長い一日:学部「立志人物伝」。「トレンドウオッチャー」収録。事務局との定例会議。赤坂。品川の大学院「立志人物論」。

「副学長日誌・志塾の風」171117

5時起床:ブログで昨日を総括。授業準備。

9時:大学に出勤。授業準備。

10時:久米先生と懇談、打ち合わせ。

10時40分:「立志人物伝」の授業。本日のテーマは「怒濤の仕事量:女性編」。

12時半:T-Studioでの「トレンドウオッチャー」の収録:久米先生との対談。テーマは「音」。ポッドキャスト、アマゾンエコー。

13時:事務局との定例ミーティング:杉田学部長。宮地事務局長・水嶋教務課長・川手総務課長。

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15時半:赤坂の野田事務所で仙台の富田さんと合流。

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18時:品川の大学院に到着。春学期の「インサイトコミュニケーション」の授業評価であるVOICE結果(5.0)をもらう。教授会で示された数字(4.95)と違う。なぜか?

18時半-21時40分:「立志人物論」の5回目。テーマは「怒濤の仕事量」。1月の最後の授業は都内の人物記念館の訪問と食事会というフィールドワークに決定。どこにしようか?

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以下、翌日5時までにフェイスブックに書き込まれた受講生の感想。

 ・久恒先生、第五回の講義、ありがとうございました。まず、今回の講義のテーマであった、怒涛の仕事量。圧倒的な仕事量をこなすことにより、そこから先に質の高い仕事が見えてくるのではないかと思いました。特に今の私は仕事を選んでいる場合ではなく、まずは先人たちに学び、仕事量を増やし、その報酬として更なる仕事を得たいと思います。そして、自分の世界を作るためにも、手塚治虫の言葉にあるように、一流の人に触れ、一流の文化に触れることが大切だと学びました。

・久恒先生、今日の講義ありがとうございました。与謝野晶子さんは本当に素晴らしい人間であると思う。17年間いつも妊娠状態、子供13人を育てながら、自分の作品を完成した。この想像できない仕事量、一般人には決して完成できないだろう。与謝野晶子さんは本当に「一能一芸」を深く究め、自分の人生のエネルギー、持っている才能と仕事に対する愛を生かせる。また、手塚治虫の作品は、普通の漫画ではなく、哲学を包む。昔は医者として戦争体験があったので、今の時代の漫画を大きな区別があると思う。『ブラックジャック』という一つの漫画を進みたい。主人公は手塚治虫と同じ医者であり、世界各地戦争がある場所に行き、色々な物語が作って、漫画で現実に対する思考を表現する。(中国人)

・第5講ありがとうございました。今週の師に, 樋口一葉を選定。彼女は幼少期 裕福な家庭環境で育つも, やがて父の事業が倒産。父と兄の死後は大借金を背負い, 母と妹で貧しい生活の中, 肺結核のため24歳で他界。当時は女性作家が珍しかったであろう時代に, 逆境をバネにした短い人生の中に世代を超えて読み継がれる作品が幾つかある。「何をなすべきかを考え, その道をひたすら進んで行くだけ」という生き方から, 置かれた環境に左右されず本業に取組む熱意と強いパーソナリティを感じました。

・今日の授業のコメント:漫画家の手塚治虫石ノ森章太郎の比較をしました。手塚治虫は、社会の倫理を教える内容で読む人の人生観に強い影響を与える作品です。石ノ森章太郎の作品は、どちらかといえば笑をとる内容で、今のテレビのバライティー番組の内容に似ています。私は手塚治虫ファンなので手塚治虫の方が好きです。

・久恒先生、講義、ありがとうございました。今回、私は与謝野 晶子さんの「人は何事にせよ、自分に適した一能一芸に深く達してさえおればよろしい」という言葉に大変に啓発されました。好きなことをやれば、必ずよくやれると思います。従って、自分にとって、何がやりたいことを明確するのが非常に重要です。その後で、あの方面に向けて、色々な専門知識を身につけます。これに基づいて、職業を選択すれば、良いと考えます。また、志村ふくみさんの映像について、感想を述べたいです。なぜ志村さんが優れた作品を作成できるというと、心から物への尊敬を持っているからだと思います。実は、染めだけではじゃなくて、マンガでも、何事にせよ、同じじゃないですか。心から従事することに尊敬の念を抱いて、本気の気持ちを注いだら、どんな難局でも、切り抜けると思います。(中国人)

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23時時過ぎに自宅に到着。入浴、就寝。

 

「名言との対話」。11月17日。井上ひさし「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ゆかいなことをまじめにかくこと」

井上 ひさし(いのうえ ひさし、1934年11月17日 - 2010年4月9日)は、日本小説家劇作家放送作家である。『吉里吉里人『ひょっこりひょうたん島。』

『青葉繁れる』は、著者の精神的故郷である仙台で少年時代に妄想ばかりしていた男の思想的半自叙伝を、すべての権威を相対化してしまうパロディ意識で描いた愉快な青春小説、と文庫の解説にある。ヒロインの若山ひろ子(第二女子高生)は、若き日の若尾文子だ。2007年の「新装版あとがきに代えて」には、この小説を書いた理由が記されていていた。敗戦後、日本には三種類の大人がいた。第一群「わたしたち大人はまちがっていた。そのまちがいを子どもたちの前で明らかにしながら、この国の未来を、彼らに託そう」。第二群「わたしたちにまちがいがあろうはずがない。、、しばらくひっそりと息をひそめて復権の機会を待とう」。第三群「今日の食べ物はあるのか」。仙台の第一高等学校の先生たちはほとんどが第一群にあった人々だった。昭和20年代の後半から第二群の大人たちが「復古調」というお囃子にあわせて息を吹き返し、学校を子どもたちを管理する施設に仕立て直した。第一群の人たちが子どもたちを懸命に後押ししていた時代があったことを文字にのこしておきたくて、この小説を書いたとある。確かに先生たちの描き方には愛情がこもっている。青春小説の不朽の名作、というだけではなかったのだ。

 神奈川近代文学館の井上ひさし展」。仙台文学館の初代館長を9年つとめて、2007年3月に退任している。この文学館はいい企画をするのでよく通ったものだ。企画展で資料を眺める中で、この人の母親が偉い人だったということを感じた。世の中で名を成している人は母親が偉かった人が多い。

 井上ひさしの遺した蔵書は22万冊にも及ぶ。それを生前から山形県川西町に1987年にできた「遅筆堂文庫」に寄付しており、そこでは1988年から2012まで生活者大学校が開かれ著名な人たちが講義をしている。

「仙台に来る映画をすべて観よう」「日に三本の映画を観て、一日に約10-20枚の原稿書き、、」が若き日の自分に課したデューティだった。

「書き抜き帳」を用意して、本でも新聞でもなんでも、是は大事だと思うことは書き抜いていく。出典とかページ数とかも書いておく。そんな手帳が1年に5-6冊。一種の「知的日録」。情報のポケットをひとつだけにする。中身を単純に時間順に並べる。井上ひさしの知的生産の技術である。妻であった西館牧子は「下調べの丁寧さ、字のきれいさ、それを越える陽気な顔と愛嬌かな、と井上さんは自分を分析していた。」「古本あさりと図書館での勉強ぶりは鬼気迫るものがあった。」風呂場でも本を読む習慣があり、そのため湯気が出ないようぬるい温度にして入る。」と観察している。

 西舘好子さんの書いた「井上ひさし協奏曲」を興味深く読んだ。この本のオビには「誰も知らない「井上ひさし」がここにある」と書いてある。都会と田舎、笑いと哀しみ、才能と狂気、妻と夫、出会いと別れ、生と死、、、。すべては表裏一体、あんなにもつらく、楽しかった25年間ともある。この本を読み終えて、このオビがすべてを語っていると感心した。好子さんは「「世の中に新しいことを」と言う井上さんは、もっとお古い日本の男だった」と結論付けている。

  井上ひさしは 「一番大事なことは、自分にしか書けないことを、誰にでもわかる文章で書くということ」を自分に課していた。冒頭に掲げ言葉は井上ひさし文学の真骨頂だ。誰でも書けることを、誰にもわからない文章で書くことはやめることにしよう。