マージナル・マンという生き方

k-hisatune2009-04-15

marginal man

社会学の術語。文化を異にする複数の集団(または社会)に属し、その異質な二つ以上の文化と集団生活の影響を同時的に受けながら、そのいずれにも完全には所属しきることのできない者。各集団、各文化のいわば境界に位置している人間。境界人、限界人、周辺人などとも訳す。新しい国に移住したばかりの移民、農村から大都市に出てきたばかりの者、偏見や排斥の的となっている少数民族の出身者、混血児、改宗者などにこうした型の個人が生まれやすい。こういう者は心の内部で複数の価値、規範、集団所属感の葛藤(かっとう)を経験していることが多く、それだけ動揺しやすく、首尾一貫性をもった人間としては生きにくい。この動揺を克服しようとするあまり、無理に一つの文化に同調し、一つの集団に没入しようとする傾向も生じるが、自然の行動ではないので心の緊張を伴いやすい。移住した国の文化や生活様式に努力して同化し、その国民になりきろうとする移民や、支配民族の社会に入り込んで成功しようとする少数民族出身者などによくおこる行動傾向である。そのような場合、しばしば周囲からの警戒心や敵意にさらされるため、かえって不安や孤立感にさいなまれ、どっちつかずの根なし草(デラシネ)の心理に陥ることが少なくない。

 ただし、こうした境界的な生活体験が、既存の文化のなかからは生まれにくい独自なものの見方、価値観、感受性をはぐくみ、優れて創造的な意義をもつことがある。事実、多くの芸術家、思想家、学者などがマージナル・マン的境遇から輩出している。西欧文化に対するユダヤ系知識人の貢献も、一部分このことによって説明されよう。なお、現代社会では、個人の永続的に所属する共同体が弱まり、人々は生活史上さまざまな集団生活を経過し、その欲求充足のため多様な集団に同時に関係をもつようになっているため、一般人でもマージナル・マンのそれに近い心理を味わう機会は増えている。
[宮島 喬] 日本大百科全書から。

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マージナル・マンを限界人、周辺人、と見ずに、「境界人」としての面を強く意識すると、在日韓国人オバマ大統領、大企業フェロー社員、転職者、などの深さ、大きさや、改革・転換などの言葉が意識にのぼってくる。上記の「ただし」部分に着目すると、創造的人格、創造的な仕事も、このような境界人から生まれてくることも多いと納得する。

「父母に棄てられたる子は、家を支える柱石となり、国人に棄てられたる民は、国を救う愛国者となり、教会に棄てられたる信者は、信仰復活の動力となる。」という内村鑑三の言葉も、このマージナル・マンを連想させる。

境界、狭間、にあることによって、情報の流入、視点の転回、などが起こり、そういう緊張感に耐えることができれば、大きく、深い、世界を見ることができるということだろうか。

洋楽と邦楽、洋画と日本画、などの芸術世界における革新運動は、境界を意識する中で、行われたケースが多いことに気づく。
同様に、会社と社会、日本と世界、など、マージナルなところに意識して立つことによって、自らの変化と進化を楽しむということも大事な生き方になるだろう。