九州から上京中の母親と一緒に南大沢から高速バスで羽田空港へ。母親を見送る。
有楽町ビック・カメラに寄って、iPadの在庫状況を確認してみると、まだあるということだった。しかし買うには数時間ほど時間がかかるという係員の説明だったが、列に並んでみる。14時過ぎに並んだのだが、意外に早く順番が来て16時前には購入手続きが終わった。マスコミやツイッターでの騒ぎからすると、意外な感じを受けた。それにしても話題の機器をゲットしたのは快挙だった。
九段サテライトに着いて今日のインターゼミ(社会工学研究会)の打ち合わせなどを含めて寺島学長と懇談。iPadも話題になった。
インターゼミの冒頭の30分講座は多摩大総研の中庭先生。水というテーマと多摩ニュータウンという二つのテーマを持っている「開発政策史」(開発マネジメント)を専門とする研究者だが、この二つが関連していること、そして多摩ニュータウンの大開発では戦前の満州開拓に関わった人脈が大いに活躍したということがわかった。この開発は「全国総合開発計画型」ではなく、「所得倍増型(一極)の開発で、京浜工業地帯の労働者に大量の住宅を提供するのが目的だった。これを推進した日本住宅公団のテクノクラートが満州に関わった人たちだ。モデルはソビエトである。また、ダイニングキッチン、シリンダー錠、内風呂など現在では当たり前になっているライフスタイルは多摩ニュータウン開発がきっかけとなっていること、そしてそれが日本の住宅産業を形成していったことも理解した。水の権利の関係で多摩ニュータウン(予定人口30万人)の水は多摩川の水ではなく利根川の水となっている。
そして中庭先生は、高度成長期とは何だったか、また今後の人口減少期にこの経験をいかに適用していくかという問題意識を持っていることを説明した。「多摩学」の広がりと深みを確認できる講義だった。
寺島学長。
多摩ニュータウン開発が決定した1965年という年は、食料自給率73%でそれを支える第一次産業従事者は24%であった。その後1966年の一人1000ドルGDPから1981年の1万ドルへ日本は高度成長していく。1980年は食糧自給率51%、一次産業従事者10%。そして2009年には食糧自給率は41%、第一次産業従事者は4%となった。
東京を環状に結ぶ国道16号線上の埼玉の春日部・草加、あるいは多摩ニュータウンなどは都市中間層の住宅の受け皿のための開発だった。多摩ニュータウンはアッパーミドルクラスのサラリーマンが住んだ。ここから核家族やニューファミリーが生まれていった。京王や小田急などの私鉄は、住宅地と都心を結んで都心の勤務地と百貨店に運ぶというビジネスモデルである。(谷崎潤一郎の「かげ」の話題も)
今回参加している一期生の数人との学長懇談。大学院進学組、留学組、起業組、、など頼もしい。
「アメリカのソノマ、サラサリート(素晴らしいところ」「アンデルセン(パン)とスワン(喫茶)」「文庫カフェ」、「文庫のクラスター」、「一円銀貨、天保銭、和同開珎」、「場がシナジーを生む」、、、。
インターゼミの今期は昨年とは違って一期生と二期生との組み合わせがいい影響を与えており、熱気溢れる討論が進んでいる。今期は非常に楽しみだ。彼らに入手したばかりのiPadを見せると歓喜の声があがって楽しかった。iPadは間違いなくヒットする。