「副学長日誌・志塾の風」170419
午前
- 人事委員会(早朝8時から):採用。昇格。非常勤。
- 学部運営委員会(10時40分から12時15分)
午後
- 杉田学部長
- 理事長報告:今回から杉田学部長と一緒に報告するスタイル。出版企画。来年度の入試戦略。人事。、、、、、。報告と意見交換。
- 入試の森島課長・酒井さん:教育内容説明会は両学部とも「大学改革の「『多摩大モデル』」で講演することに。
- アクティブラーニングセンター見学(図書館):図書サービス・ITサービス・学修支援サービス。学修支援サービスコーナーでは新任の小西先生と水盛先生が学生の相談にあたっている。川手課長、公平係長。
- 小西先生「50人。単位取得を中心によろず相談になっている。、、、。」
「名言との対話」4月19日。西田幾多郎「世界を見ようとすると時、世界もこちらを見ています。「井戸」をのぞくと「井戸」もあなたを見ています」
西田 幾多郎(にしだ きたろう、1870年5月19日〈明治3年4月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉6月7日)は、日本を代表する哲学者。京都大学教授、名誉教授。京都学派の創始者。出世作であり、代表作は「善の研究」。
西田幾太郎は、西田哲学という名前で知られる日本最高峰の哲学者である。禅の師である雪門から、四高教授の30歳の時、禅の修行者(居士)として「寸心」という号をもらている。この号を西田は書を揮毫するようになる40代半ば以降、よく使っている。
絶対矛盾的自己同一という西田哲学の哲理は有名だ。矛盾しながらも自己同一を保っている。例えば昨日の私と今日の私。私と汝、仏と衆生。神と人。そうした構造を持ったものが現実の歴史的世界だ。こういうことらしい。人格とは昨日の私と今日の私は矛盾するが同一である。多はそのままで一つである、それを「一即多」と表現している。
石川県宇ノ気町の大きな公園の中に建つ西田幾多郎記念哲学館は、入り口がわかりにくい。そして内部の展示を見てまわるのも、動線や案内板も問題も多く、何か不便で釈然としない。ところが後でわかったのだが、哲学館なのでわざとわかりにくくし考えてもらうという設計思想で貫かれているのだった。設計者は安藤忠雄である。
「円は広大な心を表します。考えることによって、それは宇宙をも包みます」。円は始めも終わりもない。完全で広大な心に通じる究極の形であり、円相図ともいう。
「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した。その後半は黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をしたと云へば、それで私の伝記は尽きるのである」と面白いユーモラスな述懐をしている。それが学者だということか。
西田の歌を二つピックアップしてみる。「人は人、吾は吾なり とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」「愛宕山 入る日のごとく あかあかと 燃やし尽くさん 残れる命」この二つの歌は、井戸をのぞくと井戸も自分を見ているという言葉に代表される哲学の創始者たらんとする決意と意欲に充ち満ちている。思索者の心は熱い。