全日本大学フットサル大会で多摩大が初優勝!

日本大学フットサル大会で多摩大が初優勝! 優勝「多摩大」。準優勝「湘南横浜大」。3位「北大」。4位「東北大」。

 3位決定戦と優勝決定選の映像。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・『鮎川義介先生追想録』の本人の言葉と他の人からに見た鮎川像の再チェック。

三浦哲郎のエッセイ『一尾の鮎』を読了。

・こえラボの「ビジネスに活かす偉人の名言」の候補の人選。9月「湯川秀樹徳富蘆花西郷隆盛三木清遠藤周作」。10月「石坂洋次郎渡辺崋山三浦綾子新渡戸稲造。岩田弐夫」。11月「徳富蘇峰ド・ゴール渋沢栄一坂本龍馬トルストイ白洲次郎」。12月「平山郁夫長岡半太郎安岡正篤。寺田寅吉。田中角栄」。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「名言との対話」8月28日。羽田孜普通の人間の考え方、普通の人間が使っている普通の、わかりやすい言葉を使う。そのことが、私のモットーです」

羽田 孜(はた つとむ、1935年昭和10年)8月24日 - 2017年平成29年)8月28日)は、日本政治家。第80代 内閣総理大臣。

長野県上田市出身。成城大学経済学部卒、小田急バスに入社。1969年、衆議院議員総選挙に旧長野2区から自民党公認で立候補し初当選。農林大臣、大蔵大臣、外務大臣などを歴任。1992年、自民党を離党。新生党を結成し、党首に就任。1994年、内閣総理大臣(第80代)に就任するも64日で内閣総辞職民主党に合流し、初代幹事長に就任。以後、特別代表、最高顧問を歴任。

「孜」という名前は、孜々としてひたすら励むという意味だ。師であった田中角栄からは立候補する時、選挙区は日本の縮図だから選挙区をくまなく歩き3万人と会いなさいと言われ感動している。座右の書として、中曽根康弘からもらった勝海舟『氷川清話』と城山三郎『落日燃ゆ』を挙げている。海舟にならって自民党より国を選び党を飛び出す。広田弘毅からは外交のあるべき姿を学んでいる。

羽田は政治改革に取り組んだ。政権交代が起こる小選挙区比例代表制の採用を盟友の小沢一郎らと実現した。小沢については方向性を指し示すことができる、大きな決断がスポン、スポンとやれる、非情でもあり泥をかぶることも知っていると述べている。

今回読んだ『志』という本が刊行された1996年時点では、「官僚に振り回される国」「顏が見えない国」という批判にこたえるべきだと主張しているのだが、20年以上経った現在とは隔世の感がある。

父は衆議院議員で出版業にも取り組んでいた人物で、宮澤賢治風の又三郎』を出版している。そういう縁もあって羽田孜は賢治の『雨にもまけず』に影響を受ける。久しぶりにこの詩を読んでみた。「東に病気のこどもあれば 行って看病してやり 西につかれた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北にけんかやそしょうがあれば つまらないからやめろといい」「みんなにデクノボーとよばれ ほめられもせず くにもされず そういうものに わたしはなりたい」。政治家・羽田孜はこの精神を日本のメッセージとしていこうと考える。確かに日本のあるべき姿のひとつであろう。

普通の人・羽田孜は、選挙時のスローガン「普通の言葉が通じる政治」そのままに普通の国になろうという「志」をもち、努力した人である。

志