白井さゆり「日本の企業の環境・社会・コーポレートガバナンス(ESG)経営と課題」

文庫リレー塾の第2回。白井さゆり「日本の企業の環境・社会・コーポレートガバナンス(ESG)経営と課題」

寺島:ワシントン、欧州、日銀の経験のある、根拠のある議論をする貴重な本物のエコノミスト。17色のSDGSバッジ。整合性が重要。キレイごとではなく、本気のリアリィを。5月23日はなかにしれい。途方もない転換期。地頭で考える力。日本埋没・解題解決力。

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白井さゆり先生の講義。1時間半。

欧州の投資家との仕事、日本での社外取締役としての企業側からの視点、政府関係者との議論など、中立的立場で全体が見えている。

ESG投資とは、年金、保険などの長期投資家 が「エンゲージメント」する。それは企業の変化をめざす目的のある対話だ。ウイグルなど権の問題はESGと人権がぶつかる現場。日本はこういう問題にうとかった。

ESG投資はビジネスモデルを根底から変える。年金、保険などの投資総額は9000兆円(2018年)。ESG投資(環境・社会・ガバナンス)。ネガティブスクリーニング(武器、煙草、)、インパクト投資(ひとつの問題、)とは違う。サスティナブル投資の中にある?

日本の金融資産は銀行53%、保険21%、年金16%。保険と年金が長期的視点で投資する本丸のプレイヤー。59%を占めている株式で資金調達している。

コストがかかる、社内改革が必要なので、コーポレートガバナンスがしっかりしていないと環境・社会の経営改革はできない。

2012年までの日本企業は資本コスト(投資家が期待する利益率)が6-8%なのに自己資本利益率ROE。稼ぐ力)は5%しかなかった。米国は20%弱、欧州は10%前後。日本は守りの姿勢が原因で稼ぐ力が弱かった。2013-2018年にはオリンピック特需もありROEは8-10%になっているが、米国は25%だ。

2015年にはコーポレートガバナンスコードが決定された。金融庁証券取引所が上場企業を対象に遵守してくださいというソフトローだ。5原則:1少数株主、外国人株主の権利確保。2:ステークホルダーとの協働、3:有用性の高い情報開示、4:収益力、資本効率の改善のために戦略の方向性、適切なリスクていくが必要。そのために経営陣や取締役会に対する実効性の高い監視が必要。社外取締役の役割が重要。5:株主との建設的な対話(エンゲージメント)で持続的成長、企業価値の向上を。

コーポレートガバナンスコード:2014年の伊藤レポートは日本再興戦略に入った。2015年にコーポレートガバナンスコード(3年ごとに改定)が決まる。2018年、社外取締役2名以上、指名委員会での社長の選任と解雇、ESGに言及。2021年6月、自主的測定可能な目標の設定(ジェンダー指標120位。女性管理職の登用など)、東証1部上場企業2000社から「プライム市場」を選ぶ。その条件は社外取締役3分の1以上、英語での情報開示、TCFD(気候変動に関する情報開示)、人権の尊重など。

今から必要なことは、内向きからの脱却、環境・社会意識の高まりへの理解、投資・研究開発などのリスクていく、ビジネスモデルの再考(短期にはコスト高、中長期の手を打つ)。課題は監視機能が不十分なことだ。カギは女性だ。独立取締役も含め発言力を高める必要がある。

環境を中心とした経営改革が求められている。コロナで貧困者が増えており2030年の達成は難しくなってきた。投資家の目線と同人消費者の意識も大事だ。進んでいる欧州が米国に影響を与えている。2019年、株主市場主義からステークホルダー至上主義へ。2020年、ダボス会議で気候変動に言及。中長期の価値を最大化すべきという株主が増加・株主の利益は従業員、社会、業績、サービスのバランスの上に成り立っている。この意識は日本でも急速に高まりつつある。企業はESGを重視するESG経営、投資家は中長期リターン重視するESG投資。

2000年、国連のグローバルコンパクト。10の企業の行動原則。160ヵ国の1万社以上がサイン、日本は383社。2006年、責任投資原則(PRT)を導入。金融セクターにESG投資を提言。2020年末で60ヵ国以上の3000社以上(103.4兆ドル)がサイン。日本は2015年GPIF(年金)が加盟。2015年の国連サミットで2030年までの17のSDGSを採択し、195ヵ国が採択。環境と社会は、SDGSの6-9、11-15。

 環境:2015年、気候変動枠組条約締結国会議COP21。2016年、パリ協定で2030年までのSDGS 。175ヵ国が署名。産業革命以後温暖化が進んでいる。22世紀が始まるまでに2度Cを十分下回るか、1.5度Cの上昇に抑える。すでに1.2度上昇。さもなければ住めなくなる地域が増えてしまう。ESG投資で資金を投入する必要がある。カーボンニュートラル(ネットでゼロ)にするには石炭をゼロ、再生エネを50%以上、太陽光、風力、EV、水素、、。イノベーションが必要だ。2017年、金融安定理事会(FSB)がTCD提言。気候関連財務情報開示のタスクフォース。今年COP26。2210年、英国は開示を義務付けた。
CO2排出量:1990年対比で、イギリス▲46%?、ドイツ▲31.3%、EU▲22.5%、フランス▲18.9%。日本は▲2.8%。アメリカ∔3.7%、カナダ∔20.9%、もう石炭は無理。

環境イノベーション:炭素の回収と再利用のイノベーション(カーボンリサイクル、、)。アンモニア、水素、バイオ、EV、FCV(燃電池車)、航空機、、。

揮毫の行動と情報開示への期待:3つのスコープ。自社、間接(電力など(、サプライヤーサプライヤーに目となると、広く海外にも。トレーサビリティ、コストの上昇。コバルト(コンゴ、搾取、)、パームオイル(児童虐待、搾取、)。認証NGOなどからの情報公開ランキング、訴訟リスクあり。RE100(再生エネルギー)への加盟で2050年までに事業活動で必要なエネルギーを100%再生エネルギーに。アップルは2030年にRE100を達成(サプライヤーも、村田製作所も)。設備投資の決定に際し、インターナルカーボンプライシングの導入。機械が生み出す排出量はライフサイクルで選ぶ。生産、消費、廃棄の川上から川下にいたるライフサイクルでの評価になってきた。炭素価格の上昇、炭素税、、。すべての企業に影響がでてくる。

TCFD提言:投資家の判断。ガバナンス(サステ委員会、担当取締役の任命、取締役会の責務)。戦略(3年短期、10年中期、50年長期。気候変動のリスクとチャンスが戦略、財務の与える影響を説明)、リスク管理(機構変動リスクの識別、評価、管理のプロセスを説明。・リスクにどう対応するか)。指標と目標(リスクと機会の評価。指標の開示。排出量の開示と目標。プライム市場から広がっていく)。

サプライヤーの排出量:流通小売り、ホスピタリティ、製造、食品。サービス、バイオ、ヘルスケは大変。

グリーンウオッシュの回避:日本は発電のCO2(4割)をどう減らすか。化石燃料への依存度は75%。石炭のコストが安いから。電力料金の値上げが必要になる。

国境炭素税で調整するメカニズム。日本は2030年代半ばには新車はEVのみ(ハイブリッドを含む)という目標。

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朝は1時間のヨガ。

午後:NPO法人関係のZOOMミーティング

来週の図解塾の課外授業「遅咲き」の準備

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「名言との対話」5月15日。瀬戸内寂聴「愛し、書き、祈った」

瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年大正11年〉5月15日 - )は、日本の小説家天台宗尼僧。俗名晴美

東京女子大学国語専攻部卒業。代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。新潮同人雑誌賞女流文学賞谷崎潤一郎賞野間文芸賞などを受賞している。1997年文化功労者2006年文化勲章。 

本日99歳になり、2022年5月15日には100歳の誕生日を迎えることになる。

『寂聴 九十七歳の遺言』(朝日選書)を読んだ。500冊近くの本を刊行している。89歳のインタビューを聞いていたら、作品は、「300か、400近いわね」と言っていたから、この10年で100から200冊になっている。怒涛の仕事量だ。どこまで積み上がっていくのだろうか。見ものである。

「百冊の本を読むよりも、一度の真剣な恋愛の方が、はるかに人間の心を、人生を豊かにします」「4歳年下の作家、井上光晴と8年間の不倫。43歳から51歳まで。出家する。生きながら死ぬj事。娘の井上荒野(あれの)の方がずっと才能があります」。(荒野は「切羽へ」での直木賞をとっている作家だ。出家は、4つ年下の井上光晴との関係の清算が動機だったという説がある。5月15日は意井上光晴生まれた日であるが、実は寂聴の誕生日でもある。二人は同日生まれだ。これも小説的だ)。「男は代えれば代えるるほど悪くなる」「何が一番嬉しいかと考えたら、やはり自分の本が世にでることなんです」「発見する。もっと違うことが書けるかもしれない」「私なんか、ではなく、私こそ」「百歳近くになってもやはり人間は変わる」「書くことが生きること」。

  日本経済新聞に毎週連載していた「奇縁まんだら」という読み物があった。瀬戸内寂聴の筆になる著名作家たちとの交友録で、意外で面白い人間的なエピソードが込められており、読むのを楽しみにしていた。この好評連載が一冊の本になっている。
21人の登場人物のうち一人を除いて全員が寂聴よりも年上でそれぞれが文壇の大家たちだ。1872年生まれの島崎藤村から1923年生まれの遠藤周作までである。順番に並べてみると、島崎藤村正宗白鳥川端康成三島由紀夫谷崎潤一郎佐藤春夫舟橋聖一丹羽文雄稲垣足穂宇野千代今東光松本清張河盛好蔵荒畑寒村岡本太郎壇一雄平林たい子平野謙遠藤周作水上勉。それぞれが一家をなす歴史的人物といってもよい人たちだ。
1922年生まれだから当時86歳の寂聴は、長かった茫々の歳月で愉しかったことは人との出逢いとおびただしい縁だったと述懐している。長く生きた余徳は、それらの人々の生の肉声を聞き、かざらない表情をじかに見たことだたっという。先にあげた作家たちにこの言葉を当てはめるとそれは愉しい人生だっただろと深く納得する。
寂聴は、毎回それぞれの人物の業績、その人と自分との縁、創作の秘密、そして自分の人生行路を重ね合わせながらユーモアたっぷりに健筆をふるっている。また女流作家でもあり、美男の作家たちの容姿をややミーハー的に活写したり、女流作家についても赤裸々にその行状を書くなど、またそれぞれの運命的な、あるいは濃密な男女関係をあたたかい目で観察していて、読んでいて豊かな気分にさせてくれる。たとえば「惚れ惚れするような美男ぶりであった。鼻筋が通って、、、、、白鶴のような、すがすがしい姿であった。そこだけ涼しい風が吹いているよに見えた」は島崎藤村の描写である。「小説家というより、現役の女優のように見えた。、、まわりには虹色のオーラが輝き、どの作家たちよりも美しく存在感があった」、豊かな恋愛体験の中でどなたが一番お好きでしたかという問いに、「尾崎士郎!、二番目も、三番目も四番目も尾崎士郎!」と言ったのは、宇野千代だ。
これほどの人たちとの親交がなぜできたのだろうか。人懐っこい性格、機敏な駆動力、世話好き、そして本人の言うように美人でないことが警戒心を解き、幸いしたのだろう。また初対面の人には手相を観ることで一気に相手の懐に飛び込んでいくという若いころからの手練も中で明らかにしている。
寂聴は、娘時代に藤村を見て小説家を志し、28歳で小説家になることを決心し、35歳で最初の小さな賞をもらっている。それぞれの節目には必ず、この本であげた作家たちとの縁がある。
寂聴は、大作家たちとの交友、旅行などを楽しみながら、同業の先輩たちの創作の方法や秘密を鋭く観察している。松本清張の講演の見事さは口述筆記の訓練によるものだった。舟橋聖一は63歳で書いた「好きな女の胸飾り」以降、すべての作品は、口述筆記になった。岡本かの子の作品は、夫の一平や同居者の手が入っている。その子の岡本太郎は、書斎を獣のように歩き廻りながら言葉を発し、養女の敏子がペンで口述筆記し、できあがった作品は敏子の名文で整えられ、わかり易く、高尚になっていく。それは合作といってよかったと書いている。そして絵もこの敏子との合作だった様子がわかる。これは岡本家の芸術造りの方法だったという観察である。
51歳で出家のお願いに行ったときの今東光とのやりとりもすさまじい。「頭はどうする?」「剃ります」「下半身はどうする?」「断ちます」それだけであった。
今東光からもらった寂聴という法名は「出離者は寂なるか梵音(ぼんのん)を聴く」という意味だそうだ。
寂聴の書くものは、常に人物がその対象になっているようだ。興味ある人物を調べ、取材し、それを評伝という客観的な形ではなく、作者の想像と創造が許される小説という形式に仕上げていく。これが瀬戸内寂聴の小説造りの方法だということもわかった。
自分を中心に縁のあった大きな人物たちが幾重にも取り囲んでいる姿が寂聴の頭の中にあり、それは「まんだら」であり、この本のタイトルとなった。この本を読み切ったあとに感じるのは「奇縁まんだら」というタイトルそのものの内容であるということだ。横尾忠則の人物絵も楽しめる。
「続」は、2008年の1月12日から12月28日にわたって連載されたエッセイをまとめたものだ。前作は、島崎藤村川端康成、三島由起夫、谷崎潤一郎宇野千代松本清張遠藤周作、、と絢爛豪華だったが、「続」は時代が少し下がっていて、そういう意味では馴染みがある作家たちが並んでいる。寂聴より年上の人が多いが、年下もいる。そして全員がすでに鬼籍に入っている。その人たちを米寿を迎えた寂聴が愛情を持って描いて赤裸々に描いている。

各人の紹介では、必ず生年と没年と、享年が書かれている。また本文でも寂聴との上下の年齢差が記してあり、寂聴の立ち位置がわかる。また、それぞれの前作で異常な人気を博した横尾忠則肖像画に加え、墓の写真と霊園の名前と場所が記されているなど、編集の統一がとれている。

この本は人物論の一種であるが、書き出しもうまい。

「正月になると思いだす人がいる。菊田一夫さんである」「開高健さんは、親しくなった頃からすでに肥っていた」「城夏子--何だか宝塚のスターのようなロマンチックで、オトメチックな名を覚えたのは早かった」「柴田錬三郎さんは誰もフルネームで呼ぶ人はいなかった。「しシバレン」で天下に通っていた」「江国さんは、、、、。ほとんど笑顔など見せないので、老成した感じがした」 (江国先生とは、私のビジネスマン時代に何度かお会いしている。ある雰囲気のいい料理屋で見事な手品を見せてもらったことを思い出した)「黒岩さんはハンサムだった」「島尾敏雄さんはハンサムだった」「一度何した女とは別れたあとも、旅の度土産物を届けることにしている」のは、菊田一夫。「残寒やこの俺がこの俺が癌」「おい癌め 酌み交わさうぜ秋の酒」と詠んだのは、江国滋。「ゆく春や身に幸せの割烹着」「蛍火や女の道をふみはづし」と詠んだのは、鈴木真砂女。「私と瀬戸内さんは男の趣味が同じなのね。、、」続いてCの話をして、Cに目下一番興味があると言った。その時、私はCとはそういう関係だったので、思いがけない不快さを感じた、と寂聴に書かせた大庭みな子。
「あんたのようなわがままな人と長くつきあえる人間はおれくらいのもんだ」と威張ったが、私の側にも言わせてもえらえば、同じ言葉になる。と寂聴に書かせた井上光晴

88年の歳月を必死に生きて、小説を書いて、多くの作家たちと交流した寂聴の自伝でもあり、文壇史でもある正と続のこの本は、人物論としても、文壇外史としても、一級のエンターテイメント性を備えている。多作な寂聴ではあるが、これは代表作として後世にも読まれ続ける息の長い本となるだろう。

25歳、娘を残し家出する。瀬戸内寂聴句集『ひとり』には、「子を捨てしわれに母の日喪のごとく」というすさまじい句がある。「人が生きるということは、命と同時にその人にのみに授けられた才能の芽を心をこめて育て、大輪の花を咲かせることにつきると思います」「人間って守りに入った瞬間から年をとるんじゃないかしら」などの名言もある。

 岩手に用意してある墓には 「愛し、書き、祈った」と刻まれている。寂聴の長い波乱の生涯は、この短い一言に尽きているのだろう。来年には100歳になる寂聴には改めて注目したい。

寂聴 九十七歳の遺言 (朝日新書)

寂聴 九十七歳の遺言 (朝日新書)

 

 

奇縁まんだら

奇縁まんだら

  • 作者:瀬戸内 寂聴
  • 発売日: 2008/04/16
  • メディア: ハードカバー
 

 

 

 

 

 

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