2021年は自分にとってどんな年だったかーーー過去・現在・未来

2021年は自分にとってどんな年だったか。

社会はコロナに明けコロナに暮れた一年だったが、個人的には収穫の多い一年でした。

大学の研究室を引き上げて(春は大学院の講義)、自宅中心の生活のパターンとなりました。以下、モデル。

早朝5時起床。7時頃までブログの日誌と「名言との対話」を執筆。テレビ体操、神社まで往復ウオーキング、朝食。9時から午前中は書斎。

午後は、自由(都心・散歩・昼寝)。トイレと入浴は大事な読書の時間。今月、来月の読むべき本をトイレでは「拾い読み」。風呂では線を引きながらの「一浴一冊」の習慣。

晩酌付きの夕食後はテレビをみながら休養。寝る前に明日のブログの仕込みを少しして、寝ている間に発酵させる。11時から12時にかけて、ユーチューブを聴きながら就寝。

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2021年の方針「集大成と新世界」は、どの程度進んだか。

集大成(過去):著書の刊行は史上最多の14冊。

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  • 「図解コミュニケーション全集」第2巻、第3巻、第4巻。
  • 単行本『50歳からの人生戦略は「図」で考える』(プレジデント社)。
  • 『名言の暦 戦後命日編』は「名言シリーズ」の5冊目。
  • ディスカバー社のe-book新書で9冊の電子書籍を刊行。

新世界(未来):YMAI大学・深呼吸学部(橘川幸夫学部長)に「つねちゃん」として参加し、一回り、二回り若い世代と交流した。

  • ZOOM、クラファン、VR、未来フェス、デメケン、新聞、、、
  • 人物や名言に関する雑誌取材が増えてきた。

継続(現在)

  • ブログ「今日も生涯の一日なり」:2004年9月28日以来6303日連続記入。
  • note「名言との対話」:1年完走。2016年1月1日以来6年。2190日連続記入。
  • メルマガ「久恒啓一の学びの軌跡」:200年5月8日以来ほぼ毎週で1310号。
  • 人物記念館の旅:コロナ禍でも41館(企画展中心)。2005年以来累計976館。
  • 図解塾:2020年9月以降ZOOMで継続。「課外授業」を実施。「幸福論」へ。
  • 身体:テレビ体操(毎朝)。ヨガ(土曜日)。オステオパシー(定期的にケア)
  • 兄弟会(弟夫妻。妹夫妻) 

大事な人の訃報

  • 母、94歳で天寿を全う(「遺歌集」の編集)。
  • 恩人・八木哲郎さん、90歳で永眠(知研を継続)。

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今日のヒント

倉本聰「数えきれないほど書いてきて、まだ書きたいことが山ほどある。それってずいぶん幸せな物書き人生ですよ」(倉本聰碓井広義『ドラマへの遺言』(新潮新書))

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温泉で入浴とマッサージと食事。

9200歩。

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「名言との対話」12月31日。倉本聰「神様が書かせてくれている間は書きつづけたいですね」

倉本 聰(くらもと そう、1934年12月31日 - )は、日本脚本家劇作家演出家

3浪して東大文学部に入学し、美学科で学ぶ。24歳、ニッポン放送入社。28歳、退社しシナリオ作家として独立。30歳『青春とはなんだ』、31歳『これが青春だ』。42歳、北海道の富良野に移住。46歳の『北の国から』は、67歳の『北の国から 2002遺言』まで続く国民ドラマとなった。82歳、『やすらぎの郷』、84歳、『やすらぎの刻ー道』。

倉本聰はテレビドラマ界の巨人である。数え上げればきりがないほど、この人のつくったテレビドラマを私も楽しんでいきた。

その秘密に迫った後輩のインタビュー本、倉本聰碓井広義『ドラマへの遺言』(新潮新書)を読んだ。実家の屋号の「蔵元」と、妹の名の「聰子」を組みあわせて、倉本聰というペンネームができあがった。

「生涯に一本、映画化されるシナリオを書きたい」という控えめな志から出発している。まずは脚本の職人になろうとし、どんな注文も請け負ったが、一点だけ、短編小説の核みたいなものは入れていこうと決意する。そして成功する。

この巨人のテレビドラマ観を聴こう。

「倉本脚本は一言一句変えてはならない」という伝説がある。それは「語尾を勝手に変えられると人格が変わってしまうんですよ」という趣旨からだ。。

「映画はドラマだけど、テレビはチックが大事だ」。ドラマチックとは、「細かなニュアンスを面白く描くのが神髄じゃないかな」と説明している。

「ドラマっていうのはキャラクターとキャラクターのぶつかり合いの化学反応なんだ」

倉本聰は49歳で富良野塾という、脚本家や俳優の養成塾を開いた。75歳で閉塾するまでの26年間で380名が学んでいる。この塾は2年間は授業料は無料、地元農家を手伝うことで生活費を稼ぐというスタイルだったのはユニークだ。

倉本聰は「これが最後という覚悟がいい仕事を生む」という決意のとおり、優れた作品を作り続けている。私は若い頃は「青春もの」をよくみたが、最近では『やすらぎの郷』という意表をついたドラマを楽しんだ。

「数えきれないほど書いてきて、まだ書きたいことが山ほどある。それってずいぶん幸せな物書き人生ですよ」と生涯を総括しているのだが、「神様が書かせてくれている間は書きつづけたいですね」という希望を述べてこの本は終わっている。本日、87歳を迎えたが、この心意気ならまだまだ私たちをたのしませてくれそうだ。