「幸福塾」ーー田辺茂一。田村魚菜。清水達夫。長井勝一。布川角左衛門。小西和人。高野悦子。村木良彦

幸福塾。「起業家・創業者」でもちょっと面白い人たちを紹介した。日本の文化向上に功績があった人たちの充実した生涯と名言。

田辺茂一紀伊国屋書店創業者)。田村魚菜(料理研究家)。清水達夫(マガジンハウス創業者)。長井勝一(月刊漫画「ガロ」初代編集長)。布川角左衛門(『日本出版百年史年表』の編集者)。小西和人(週刊「釣りダンデー』創刊者)。高野悦子岩波ホール総支配人)。村木良彦(テレビマンユニオン設立メンバー)。

「釣りに国境なし」「インフラを作る人とコンテンツを作る人がいる。インフラを作る人は表にでないけど一番偉いんじゃないか。」「自分で記録を残すことが大切。どの分野でも記録はほとんど残っていない。歴史を書いた人が歴史を作る。」「仕事の面白さはジョブデザインにある。」「しなやかに、したたかに」「自分にしか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け」

f:id:k-hisatune:20220714052437j:image

以下、塾生の反応。

  • 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今回は「公人」の「起業家」ということで、何人かの方をご紹介いただきましたが、会社を興して資産家となった経営者というイメージとは異なり、実務を極めてプロフェッショナルを貫いた人、といった印象の人が多く、大変参考になりました。例えば あらゆる資料を収集し自分で記録を残すことで出版の歴史をまとめ上げた 編集の実業家 布川角左衛門氏や、「釣りに国境なし」の小西和人氏(週刊釣りサンデー創刊)、「仕事の面白さというのは、ジョブデザインだ」という村木良彦氏(テレビマンユニオン創業者)の言葉は、それぞれにカッコよく、印象に残りました。また、料理研究家ぴったりの名前の田村魚菜は本名であったという話にはびっくりしました。生まれながらにして料理研究が天職という感じで、すごいなと思いました。次回も「起業家」シリーズとのこと。どのような起業家がどんな言葉を残したか、次も楽しみです。
  • 第一部の最後に参加者の皆さんが口をそろえておっしゃってましたが、私も、今日の「起業家」の話は非常に面白く興味深く聴きました。たしかに、知らなかった方が多かったですが、もちろんその仕事は有名で、70年代以降の文化をになってきた方々、といっていいでしょう。重要なキーワードもいくつかありました。「インフラを作る人とコンテンツを作る人がいる。インフラを作る人は表にでないけど一番偉いんじゃないか。」「自分で記録を残すことが大切。どの分野でも記録はほとんど残っていない。歴史を書いた人が歴史を作る。」「仕事の面白さはジョブデザインにある。」自分自身を振り返り、歴史を書いて歴史を作れるテーマを探すのが、これからの70代の課題かな、と思いました。
  • 久恒先生、皆様、ありがとうございました。「起業家」の方々のお話、中二階との表現もされてましたが、個人として名を残すと言うよりはプラットフォーム作りで我々に恩恵をもたらしてくれた方々であると思いました。「やめたくても、やめられない。」「ゆっくり急げ」「しなやかに、したたかに」心に残りました。次回も楽しみにしております。最後に、「ソリチュード」と「ロンリネス」の捉え方、勉強になりました。
  • 本日の幸福塾、ありがとうございました。取り上げられたどの方からも「しなやかさ」を感じ取ったのですが、最後に村木良彦さんの「しなやかにしたたかに」のフレーズが出てきて、びっくりしました。静かな情熱のようなものを受け取りました。また、田辺茂一さんがおっしゃった「自分にしか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け」のような生き方をどの方もされているのではないかと思いました。目の前に打ち込むものがあって、真摯に取り組まれた結果なのだと、気づかされました。自分の行っていることを卑下せず、継続して続けていきたいと思った次第です。
  • 昨晩も「幸福塾」をご開講いただき誠にありがとうございます。昨日ご紹介いただいた方々は、私たちに「心においしいおかず」を届けてくれた方々だと思います。それも満腹感というよりも腹八分目の充足感を与えてくれるものを。
  • 本日も久恒先生、みなさまお疲れ様でございました。倖せの構造の公人の起業した方中心のお話でした。久恒先生の資料の中のお写真が、みなさん素敵な笑顔で朗らかで、充実されてたのだろうと思いました。記録を残されている方が多く、小西和人さんの、書いた人が歴史を作るというのは、なるほどと思いました。記録を残す。常々久恒先生から教わっていることですね。田村魚菜さん、お名前通りの方でびっくり。先生のnoteの名言との対話をみていると、面白いお名前の方が多くて、日本人の名前って意外と自由だなぁと思います。よくキラキラネームと言われますが、昔の人だってキラキラしてると思います。高野悦子さんの『岩波ホールと映画の仲間』は面白そうですね。次回は企業の人の2回目でしょうか。楽しみにしております。本日はありがとうございました。
     
     

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

永山で橘川さんと「銀蔵」で昼食を摂りながら、打ち合わせ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」7月13日。青木繁「この絵具、君が描くより僕が描いた方が、いい絵になるんだよ」

青木 繁(あおき しげる1882年明治15年)7月13日 - 1911年明治44年3月25日)は日本洋画家。享年28。

福岡県久留米市出身。洋画家で大成した坂本繁二郎とは同年生まれで、実家も2キロしか離れていない近くだった。久留米中学明善校で親しくなり、終生の友となった。

青木は何に一生を賭けるかと思案する。「人生とは何ぞや」「我は男子として如何に我を発揮すべきや」。学者、政治、軍人、、、。哲学、宗教、文学、、、。「われは丹青の技によって、歴山帝(アレクサンダー大王)若しくはそれ以上の高傑な偉大な真実な、そして情操を偽らざる天真流露、玉の如き男子となり得るのだ」と最後に芸術にたどり着く。

東京美術学校に進み、在学中に「黄泉比良坂」で第1回白馬賞を受賞している。西洋絵画の模倣に明け暮れる画家がほとんどであるのに、青木の日本史に題材をとった絵は評価が高かった。

青木は友人たちと恋人の福田たねを誘って房総に遊ぶ。地元の漁師たちをモデルにした「海の幸」を描いた。「青木こそ日本西洋画壇の天才だ」と称賛された。この作品は青木の代表作となったが、裸体画であったために白馬賞をもらうことはできなかった。ブリジストン美術館で実際に見た「海の幸」は、私のイメージと比べると小さかった。それでもタテ70.2センチ、ヨコ182センチの横長の大作だが、昔教科書で見た鮮烈なイメージの大きさほどではなかった。しかし、荒削りの迫力にある絵には強いメッセージを受けた。老人、若人などが10人ほどおり、大きなサメを背負う人や棒でかつぐ人などが夕陽の落ちる波打ち際の浜辺で歩く姿が描かれている。一人だけ画面を向いている白い顔があり、これは恋人の福田たねであるという説がある。神話的な世界と見る人をつなぐ不思議な目である。

「わだつみのいろこの宮」。夏目漱石は2年後に出版した小説の中で「いつかの展覧会に青木と云う人が海の底に立っている背の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持ちに出来ていると思った」と主人公に語らせている。また、漱石は画家の津田清風への手紙の中で「青木君の絵を久しぶりに見ました。あの人は天才と思います。あの会場に立って、故人を惜しいと思う気が致しました」と高い評価をしている。

しかし、名声と収入は一致しない。故郷の父の死で戸主となった繁は、母や姉らから貧窮から脱するように責められ続ける。しかし売るための絵を描くわけにはいかない。繁の志は高かったためにそれができない。九州での放浪のあげく28歳での夭折してしまう。

土居洋三『青木繁 天才の軌跡』(マクシミリアン出版)を読んだ。青木繁は福田たねとの間に生まれた息子に幸彦と名をつけている。幸彦は成人近くになるまで父を知らなかった。彼は福田蘭という名前の作曲家になった。その子、つまり青木繁の孫が石橋エータローである。クレオジーキャッツのピアノを担当し、俳優業でも人気のあった人である。

郷里の筑後川下流の三又村野鐘ヶ江にある造り酒屋の清方商店から絵画制作の依頼があった。今は美術館になっているこの建物を私は先日訪問した。また、青木繁の旧居と、それよりやや格の高い坂本繁二郎の生家を訪ねて、青木繁を偲んだ。

青木繁は虚空に右手でなにかを描こうとして息が絶えている。姉と妹にあてた遺書に、遺体を焼いた骨灰を、高良山の奥のケシケシ山に埋めて欲しいと書いている。私は久留米市街を一望できる高良山に神社にお参りしたが、ここは青木繁の魂の故郷だったのだ。

「この絵具、君が描くより僕が描いた方が、いい絵になるんだよ」は、貧乏であった青木繁東京美術学校時代に、他の学生の絵具を勝手に使って非難された時の返答である。青木には自身の天才への確信があったのだ。

谷口治達「青木繁 坂本繁二郎」(西日本新聞社)には、高等小学校時代からの友人二人の軌跡が描かれていて興味深く読んだ。28歳で夭折した早熟の天才・青木繁と、明治・大正・昭和と87歳まで画業を全うした晩成の坂本繁二郎
二人の友人であり早稲田大学を出て故郷で旧制中学の国語教師をしていた梅野満雄の二人の比較がよく特徴をとらえている。「彼らは大いに似て大いに異なるところが面白い対照だ。同じ久留米に生まれてしかも同年、眼が共に乱視。彼は動、是は静。、、青木は天才、坂本は鈍才。彼は華やか、是は地味。青木は馬で坂本は牛。青木は天に住み、坂本は地に棲む。彼は浮き是は沈む。青木は放逸不羈、坂本は沈潜自重。青木は早熟、坂本は晩成。、、、」

周囲に迷惑をかけ続けた青木繁は悲劇の天才であり、人格者・坂本繁二郎は求道の画人であった。どちらにも「繁」という字がついているのが面白い。

 

 

青木繁: 天才の軌跡

青木繁: 天才の軌跡

Amazon