知研セミナーの講師をつとめた。テーマは「ライフコンシャス時代の学び方」

9月の知研セミナーは私が講師でお話をしました。

タイトルは「ライフコンシャス時代の学び方」。22名が参加。2時間。

「コロナ禍。ライフコンシャス。学び方。図解ウェブ。外的世界と内的世界。人・旅・本。人物記念館の旅。日本とは何か。真日本人7つの共通項。生涯学習。人生鳥瞰。図解塾。幸福塾。」

以下、参加者の書き込みから。

  • 本日も非常に充実したセミナー、ありがとうございました。今から十数年前、都立高校の副校長の時に「遅咲き偉人伝」を読みました。ちょうど定年退職の60歳が視野に入ってきた頃で、非常に勇気づけられました。副校長の会に久恒先生をお呼びし、講演していただきました。その後も、多くの著書を通して人々の生き方や名言に励まされてきました。「怒濤の仕事量」というのがありましたが、毎朝ブログを書かれ、その裏付けとなる本を読み、発信されているのにはただただ驚きです。本日のお話の中でもこれから作ろうとしている本の企画が次々と出てきて、本当にすばらしいと思いました。
  • 本日も知研セミナー無事に終了いたしました。久恒先生のセミナーということで、普段に比して大勢の参加者に恵まれました。 去る9/3に世を去られた野田一夫先生、また、昨年亡くなられた八木哲朗前知研会長のお話から始まり、お二人のバイオグラフィーについてのレビューから、ライフコンシャスとはなにか、という定義について、人生100年時代の学び方についてお話しいただきました。「学びの時代」はDXによる「継続の時代」と位置づけ、ご自身の継続例として20年以上公開され、つい最近新装されたWebサイトと、その中のメインコンテンツの一つである「人物記念館の旅」1000館達成の成果として「外的世界の拡大は内的世界を深化する」という認識を語られました。継続の秘訣として「旅は方針を持つこと」であり、「温泉と食べ物だけでいいのか」という問いには考えさせられました。人物記念館の旅路を通じて日本には「偉い人」が多い、偉い人とは外界に広く、深く、長く影響を与える人のことだ、という定義付けにも深く納得しました。人生100年時代を考えるとき、海外にモデルがあまりない、というお話にも、高齢化の進む日本をネガティブに捉えるのではなく、むしろポジティブに考え、世界初のモデルとなる可能性にもなります。したがって、教育には従来の、出来事で歴史を教えるのではなく、人物で歴史をたどることが必要であり、人生は自分の探究と考えれば、その探究に大きく貢献できるのではないかというお話には非常に共感できました。最後はライフコンシャスへ向け「自由の拡大(肉体的、精神的、金銭的、時間的な自由)」を目指すための具体的なアドバイスで結ばれ、大変有意義なセミナーになったと思います。次回のセミナーの告知も含め、大勢の参加者の皆さんからも一言づつコメントを頂いたため、時間オーバー気味でしたが、それでも最後まで皆さん参加していただきありがとうございました。ぜひ引き続きセミナーにご参加いただき、互いにライフコンシャスの拡充、自由の拡大を目指しましょう。久恒先生、本日のご講義ありがとうございました。
  • 久恒先生、有難う御座いました。ライフの意味は人生、生命、生活という三つの意味があり、それを意識し、いかに生きるかということが本日のセミナ―のタイトルで表現されていると実感致しました。先生の講演を通して、自分のライフワークを見つけ、努力、継続していくことの重要性が理解できました。技術と科学の進歩により、人類の将来はAI化とロボット化が進展し、労働によって、自分が生きている価値を感じられる仕事に従事できる人は数少ないと言われております。我々、高齢者は年金で暮らし、労働に従事する機会は減っております。その中で、自分が生きている価値をどこに見つけていくかは、正に将来の多くの人が向き合わざるを得ない状況の先駆けであり、本日の久恒先生の講演は非常に参考になるものでした。
  • 久恒先生の今回の講演をお聴ききし、自分のテーマをもって学んだり、個人としてライフワークを大切にしながら生活することの大切さについてよくわかり、大変参考になりました。 精神的自由など自由を拡大することで心が豊かになることもよくわかり、ありがとうございました。                                               心豊かに過ごすために、人生100年時代の今、心豊かに過ごすために、心豊かに生きたモデルを持つことで、自分自身も精神的な自由を得たり、心豊かに生きることができるような気がしました。                                                      そのためには、そのためには、本などから人物を調べたり、人物記念館をまわってみることで、自分との共通点を探して感動したり、知らなかった価値観や考え方を知ることが大切だと思いました。                                                 私も、久恒先生を見習って、少しでも本をたくさん読んだり、なるべく多くの人に会い、旅をして外的世界を拡大させて内的世界を深めて、人生を豊かに生きたいと思います。                                                    久恒先生、大変参考になる貴重なお話をして頂きありがとうございました。
  • 本日、初めてズームを使いました。途中からでしたが、「人生とは探しに行く」はいいですね。今年は、驚くような展開で悪いこともいいことも振り幅が大きくなるでしょう。生きて何でも見てやろうという気持ちで生きると、悪いことも飲み込めます。テーマの探し方は、自分のこだわりとか哲学で見つけるといいのかなと考えています。
  • 久恒先生、有難うございました。 私も北九州勤務の時代に、悩みごとがあると福沢諭吉記念館に行き、元気をもらいながら仕事を続けることができました。 何でも100回が一区切りになると感じています。私も65歳から継続できる無線の趣味ができ、交信回数も100を超えることができました。交信回数うとともに、無線の技術進化を追求する目的ができましたので、80歳までは続けていきます。 個性を磨きながら充実した人生100年を目指していきます。
  • IBMの常務取締役をしていた井上富雄という人が「ライフワークの見つけ方」という本を書いて、それがベストセラーになったことがあります。その本に井上氏が二十五歳の時に作成した人生計画表がついていました。それを見ると、仕事・学習・資金・家族・趣味などの項目が書かれています。この本は私に大きな衝撃を与えました。私も項目別の計画表を作成してみました。あなたの人生に目標はあるか ライフ・コンシャスを持たない人間に生きがいいはない 。ライフ・コンシャスという言葉に出会ったのを思いだしました。
  • Yasunori Kurokawa。先日はじめて知研セミナーに参加させて頂きました。その最後にコメントを送るよう求められましたが、正直のところ躊躇しました。というのは、久恒理事長の図解そのものの去ることながら、その活動・行動には頭が下がる想いに至りました。それでも、どこかすっきりせず、途中で退出しようとも思いました。非難を覚悟で記しますが、どこか自慢話に終始していたように思えたのです。なるほど、実践に基づくものだけに、評価に異を唱えるものではありませんが、範囲を絞って深く追究して貰えば、眠くはなかったと思います。 そもそも「知的生産の研究」とは何かですが、私の個人的見解からすれば、森羅万象を知的に探究することと理解しています。そこには、すでに顕在化したもよりも、むしろ顕在化していない未知なるもの、未開なる領域を探究することに意味があると思っています。ただそれは、社会的に認知されていること以外、ということではなく、常識とされることであっても、そこに新たな発見を見出すことなど、無限の追究にあると信じています。時代の状況からして、「考える」能力が著しく減退しておるように思えところからすれば、知研の役割は大きいと思います。付け加えておきますが、「考える」とは、疑うことから発するのであって、物ごとに対して疑問を抱かなかったら思考力に問題があると思っていいでしょう。パスカルは「人間は考える葦である」と言ってますが、そこからすれば、人間にも該当しないということにもなりましょう。長々と駄弁をすみません!
     

    youko yokono

    0:40 (3 時間前)
     
    To 自分
    久恒先生

    一昨日はありがとうございました。遅ればせながら、講演を聞いての感想を書かせていただきました。久しぶりに知研に参加させていただき、また懐かしいメンバーの方もいらしてとてもいい刺激を頂きました。ライフコンシャスとは“生活、生命、人生に配慮した”という意味だと思いますが、人生100年時代の生き方を考えるにはどうすればいいのかという問題提起と思いました。この問題については、学校の授業では教えられていないし、どのように学びを得たら良いのかも、教えてくれる人はいませんでした。しかし、久恒先生がかねてより継続されていた人物記念館の旅を通して、モデル
    となる優れた日本人が数多くいたことを教えてくださいました。自分が納得できる生き方を見つけるためには、自分自身の探求が必要で、そこで得た様々な経験や学びを自分のものとして育てていくことが必要だと思います。そのために、多くの先人たちの中から生き方の手がかりをみつけるという手法は人生の探求において極めて心強い道筋のように感じました。日本は世界初の超高齢化社会だから、世界初の生き方のモデルを示せるとおっしゃったのがとても印象的でした。先人たちが私たちに示したように、私たちの生き方がこの先、世界の誰かの参考になるかもしれないと思ったら、とても嬉しいことですし、またまたエネルギーが湧いてくることでもあります。とても有意義な時間をありがとうございました
  • たとえば、何かを集めるのに100個くらいと思えば、何年かかけて頑張るつもりになりますが、ネットで10万個以上あると知ったら、そのモチベーションは、保てないでしょう。自分のテーマと思ったものも、すでに詳しい人がたくさん簡単に見つかってしまう。そういう意味では、昔の自分を省みるに、今は,テーマ一つ決めるにも大変だなと思います。でも、決めたら、メリットが格段に大きいですね。人物をネットで学ぼうとするなら、無限でキリがないのですが、足を使って人物記念館をまわるのなら、ライフワークとして計画しやすくなります。あえてフィールドワークに持ち込むと限定できるからです。誰でもできそうですが、思いつく人、実践する人、続ける人、まして記録し公開し続ける人は、ほとんどいないのです。旅して歩く必要がありますし,でも、旅して歩くのが充実します。
    今回は、その1000館巡礼を達成した記念での久恒先生の話でした。 知研セミナー「ライフコンシャス時代の学び方」それぞれが一つの講義内容になるようなことを10個ぐらい統括されたように思えました。以下、自己流のまとめ(文責 福島)広く深く1:先人の仕事から学ぶこと、野田一夫(見えて納得全開は60、75、85歳)、福沢諭吉渋沢栄一2:自分自身で行動して実践してみること、続けること、、人物記念館、旅、研究3:それを記録し公開して、他人に伝えたり教えたりすること、図解、ホームページ、日記ブログ,出版,zoom塾4:そこからの反応をフィードバックして再構築すること、、知的生産の広場ほか5:再び、先人の知恵に対すること、、、梅棹忠夫研究ほか メモ:人物記念館、100館で入門卒業、200で自己発見巡礼、300でライフワーク5年め、1000で18年め。ライフコンシャス、生活、人生、生命への意識、人生100年 曾孫、玄孫、来孫 、、117歳最高齢死去の田島ナビ160人の子孫。師、友、志、仕事量、修行、構想力、日本回帰。孔子のではない人間形成論、25〜50歳まで青年、〜65壮年、〜80実年、〜95熟年、〜110大人、〜仙人
    自由の拡大 カネ、ヒマ、ココロ、カラダ。公、私、に加えて、個、趣味やライフワーク
     

以下、参加者の当日のコメントから。

「自由の拡大。学生時代と定年後」「なるほど」「日本人論。テーマは足元。旅」「この世は自分をさがしにきたところ。面白い時代」「感心。」整理して考えたい」「自分探し」「健康寿命」「前向きになった」「発信。幸福。風土」「師匠」「ライフコンシャス」「記念館はパワースポット」「自分探し」「サロン」「怒涛の仕事量」

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19時からの幹部会:野田先生(顧問)。12月16日は八木会長追悼会。船山先生、高山、村木。共著の進捗。来週の読書会。

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「名言との対話」9月16日。八杉貞利「自分は博士号の栄冠を得んよりも、むしろ露語学に殉ずるを以て本懐とする」

八杉 貞利(やすぎ さだとし、1876年9月16日 - 1966年2月26日)は、日本ロシア語学者。 

東京・浅草出身。一高を経て東京帝大文科大学言語学科を卒業。恩師の上田万年博士のすすめでロシア語を専攻することにし東京外国語学校の別科(夜学)で学ぶ。1901年、ロシアのペテルブルグ大学に留学し、比較言語学、スラブ比較文法を学ぶ。日露戦争の開戦のため、留学を切り上げ帰国。1903年、東京外国語学校教授。東京帝大、早稲田大学でも講師をつとめる。ロシア語、教会スラブ語、古代ロシア語、ロシア文語史、スラブ系語論などを講義した。

八杉貞利の功績は2つある。一つはドストエフスキー研究者の米川正夫ら多くのロシア文学者を育成したことである。「ロシヤ文化の研究」の米川の「序」では、露語研究に体系や根拠を示し、東京外語卒業生の数千人の学派を形成したとある。彼らはあらゆる分野で活躍した。もう一つは「大露和辞典」の編纂という露語を学びものの灯台を建設したことである。

八杉は1901年「外国語教授法」から1950年「ロシヤ文法」まで、多くの著作を刊行している。「露西亜語学階梯」「簡易日露会話」「露西亜語文法」「かなつき日露会話」「露語発音講話」「露和辞典」「基礎ロシヤ語」「八杉ロシヤ語教本」「日露会話と作文の基礎」、、、など、あらゆる分野の本を刊行している。

露西亜語以外にも、プーシキンに関する著作や、ロシア時代の日記、そしてトルストイに関する共著もものしている。

また米川は東京外語の露語会誌では、露語に移らず専門の言語学に専念していたら博士号を得ていただろうとある人がいったら、八杉は莞爾として微笑み、「栄冠よりも、殉ずる」という本懐を述べ、それを聞いた皆が感動したという逸話を紹介している。

露西亜語という新しい分野の開拓と、膨大な仕事量と体系化、そして広範な露西亜語人材の養成という素晴らしい業績を挙げた人だ。その志の後継者たちが、ロシアとの関係を築いていったことが容易に想像できる。

八杉貞利の若い頃の「露語学に殉ずる」という決意が、一人の小さな小川がいつの間にか大河になって流れているという壮大な絵姿になっていったことを知り、感銘を受けた。

師の上田萬年は、言語学に関する幅広い分野で研究者を育てた人であり、八杉に露西亜語というテーマを与えた。八杉はその期待に応えた。その弟子である米川らが大活躍していくのである。学問はこういう人間関係の中で発展していくということに改めて感じ入った。