本を2冊寄贈された。
小笠原泰「わが子を「居心地の悪い場所」に送り出せ」(プレジデント社) 。プレジデントの編集長だった旧知の阿部佳代子さんがプロデュースした本。
「デジタル・テクノロジ革新主導のグローバル化」が進行中という時代認識のもと、これからの子どもたちが生きるための処方を書いた本。
以下、要約。
・グローバル社会でのコミュニケーション能力の基礎とは、意見・価値観を異にする他者との間に、ゼロから信頼関係を構築していく能力。その先に合意形成能力がある。
・問題解決能力を高めよ。課題の発見と定義がカギだ。
・教養とは、学ぶ、自分の頭で考える姿勢。動的で能動的なこと。
・自分の意見を持つことから始めよう。それがないから英語が上達しない。
・最新の知識をカバーするためには、デジタル・テクノロジ武装が必要だ。若い時代にプログラミング、アルゴリズム、コンピュターサイエンス、統計、微分積分など基礎を学べべきだ。
コミュニケーション能力、合意形成、問題解決能力、教養、自分の頭で考える、などのキーワードは私の問題意識と同じだ。処方箋についてもデジタル・テクノロジを強調しているところは同じ方向だが、日本人としての「ココロ」の部分の処方はどう考えているのだろうか。
--------
浜田貫太郎・小椋孝子「息覚」(幻冬舎ルネッサンス新書)
「お目もじも得ませんのに、書面にて失礼します。ご著書、拝読いたしました。そのお陰をもちまして、執筆できました。御礼申し上げます」とあるが、どの本を読んだのだろうか?
通常、呼吸は感覚器官とは認識されていない。しかし本書では、呼吸=感覚器官という仮説のもとに、「第六感」としての「息覚」とは何かということと、「息覚」を知覚することの重要性を、言語学を中心に措いて解説している。
ーーーーーーーーーーーーー
・ブログ執筆。
・ヨガ教室で1時間。
・代々木「かなん」:編集者の寺口さんと出版に関する意見交換。
・母から電話:憶良らも旅人も梅花の宴より「令和」とせるとはまず思はざらむ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「名言との対話」4月16日。稲垣正夫「その土地の砂になれ」
稲垣 正夫(いながき まさお、1922年10月27日 - 2015年4月16日)は日本の実業家。
外務省勤務を経て1956年に広告代理店の旭通信社を4人で創業。「全員経営」の理念に基づき1997年には、電通、博報堂に次ぐ3位になった。1999年、第一企画と合併し、アサツー・デイ・ケイとして再スタートする。稲垣は2010年まで社長、会長をつとめ、「アニメのアサツー」の基礎を築く。私はビジネスマン時代、電通、博報堂とよく付き合ったが、いつの頃からか、「アサツー」を知るようになった。その創業者が稲垣正夫だったのだ。
稲垣には儒教を中心とする東洋思想とへの深い理解と満州体験があり、中国語に堪能であった稲垣は、中国で幅広い人脈を持ち新華社通信社と業務提携したほか、米英の広告世界大手と資本提携するなど海外事業も広げた。2015年の「お別れの会」には、程永華駐日中国大使も献花している。
「全員経営」が稲垣の経営理念だった。その内容は、適材適所、経営者意識の共有、努力に報いる公平な成果配分という3つの原則である。若い人にも「さん」で呼んで丁寧に接していたのも全員経営の表れだろう。
「植福」という考えも持っていた。これは幸田露伴が名著『努力論』で述べた「惜福」「分福」「植福」に影響を受けたのであろう。過去に自らが蒔いた種が芽を出し今の自分を創っている。将来にわたって幸せであり続けるように、今から幸福の種を蒔いておくこと、精進し続けることを勧める言葉だ。人に福を植えて育てるという人材育成の言葉でもある。
2008年にはフランス政府から芸術文化勲章・オフィシエを受賞しているのも目についた。日本での「ロン・ティボー国際音楽コンクール ガラ・コンサート」に19年に及び関わったことが祖授賞理由だ。この勲章はコマンドール(騎士)、オフィシエ(将校)、シュヴァリエ(騎士団長)と順番に権威が高くなる。毎年の定員は順番に450名、140名、50名。
1970年代、80年代には中国を中心に積極的に海外戦略を主導している。その時の方針は、「その土地の風習システムに馴染まずして、文化である広告の営業は」できない」とし、抜擢条件は長期コミットであった。それが「その土地の砂になれ」という名言になった。