【知研セミナー12月22日:リアル開催】ーー『野田一夫の大いなる晩年』出版記念会。

【知研セミナー12月:リアル開催】。『野田一夫の大いなる晩年』出版記念会。


2023年最後のセミナーは、昨年9月に亡くなられた、多摩大学、県立(当時)宮城大学事業構想大学院大学、と3つの大学初代学長を務められ、我が知的生産の技術研究会の顧問でもあられた、野田一夫先生にフォーカスしての開催となります。
リアル会場での開催(地図は文末参照※東京以外の遠隔地の方のみZOOM参加も可)ですので、ぜひ皆様こぞってご参加ください。久しぶりの方も互いに顔を合わせ、また親交を深め、高めていきましょう。
今回は諸準備の必要上、下記URLの参加フォームにて、参加のご登録をお願いいたします。https://chouseisan.com/s?h=1223ce8b185d4af8abc1666019e4d129
※zoomでのご参加希望の方はディスカッションの欄にてお知らせください。
希望者こちらでも:hisatune@gmail.com
野田一夫先生が2003年(75歳)から2017年(90歳)まで出されていた「はがき通信:ラポール」を一冊にまとめた『野田一夫の大いなる晩年』(野田一夫ファンクラブ編)の出版を記念しつつ、在りし日の野田先生を偲び、お互いに野田先生との思い出を語り合いましょう。
先生とかつてご交誼のあった方、またそうではなくとも、先生について知りたい方、ほかどなたでもご参加可能です。驚くべきエピソード、ご発言の数々など、普段では到底知り得ない話題など、野田先生にまつわるお話を互いに開陳し合いましょう。
セミナー終了後は忘年懇親会も予定しています。
セミナー、忘年懇親会ともに参加無料
Amazon.co.jp: 野田一夫の大いなる晩年 : 野田一夫ファンクブ:https://www.amazon.co.jp/dp/B0CH2P1JTJ/
※交流を円滑に勧めるためにも、事前に書籍をご購入、ご一読されることをおすすめいたします。

セミナー/忘年懇親会会場

代々木 BV HOUSE 山手線代々木駅下車。
〒151-0051 東京都渋谷区千駄ケ谷5丁目20−23
※地図 代々木 BV HOUSE - Google マップ
https://www.google.com/.../data=!3m2!4b1...
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・ヨガ1時間。土曜日の男性クラスの代替で、今回は女性クラスに闖入。
・「図解塾」の準備
・先週1週間の平均歩数は1.1万歩。
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「名言との対話」12月5日。クロード・モネ「私がやったことといえば、直接自然を前にして、きわめて逃げ去りやすい効果に対する私の印象を正確に表現しようと務めながら描き続けたということだけだ」
フランス・パリ出身。少年時代に風景画家と出会い、風景画に関心をもった。1859年にパリに出てシスレールノワールらと知り合い、フォンテンブローの森などで一緒に制作をする。サロンではなかなか認められなかったが、しだいに注目を浴びるようになっていく。モネは戸外制作を本格的に始めた最初の画家だった。モネは変化する自然を描こうとした。1874年には印象派展を組織し、『印象ーー日の出』を出品した。この作品が「印象派」と呼ばれるきっかけになったのだが、最初はいい意味でのネーミングではなかった。
1880年代はフランス各地を旅行。1883年にジベルニーに居を構える。1890年代に入ると、同一のテーマを時間の推移に沿って描き分ける連作に取り組む。その結果、『積み藁』、『ポプラ並木』、『ルーアン大聖堂』などがそれぞれ年単位の時間をかけて完成している。
1893年から太鼓橋を備えた「睡蓮の池」を造成し、1895年あたりから『睡蓮』の連作を始める。庭師を雇い、細かくデザインやレイアウトを指示した。移ろいゆく自然を絵画の中にお取り込もうとした。モネの絵には時間相が込められている。時間軸に沿って描かれた自然の全体像を描いたのである。

2016年に福岡市美術館で開催された企画展を母と一緒にみた。マルモッタン・モネ美術館所蔵の作品の中から90点が展示されていて、多くの人でごったがえしていた。「睡蓮」、「日本の橋」、風景画、そして晩年の抽象画的な絵画も多い。印象派という語源になった「印象、日の出」が印象深い。またモネと一つ年下のルノワールとの長い交流も興味深かった。

2020年に河原啓子『長寿と画家』(フィルムアート社)を読んだ。長生きした画家15人の「名画」と「生き方」を最晩年から読み解いた本だ。西欧の画家と日本の画家を対象に、老境を考えるという趣旨である。著者は、アートジャーナリスト、アートドキュメント作家という肩書だ。

クロード・モネは86歳の長寿だった。モネの言葉を拾った。「絵を描くとはどうしてここまで辛いのか!私は苦しみ、痛みを感じている」。「発見に至るには、しつこい観察と省察しかない」。「ああ、絵とは何たる拷問だろうか! まったく私はつまらぬ人間です」。「光はあまりにも早く過ぎ去ってしまう。私はそれをとらえたいのにいったいどうしたらいいんだ?」。「まだまだ満足できないんだ。私は傑作を制作した。、、、できない、うまくいかない。身を切るような苦闘だ」。

2021年にユーチューブで山田五郎「オトナの教養」をみた。画家たちの人生の真実を知ることができる。モネについては、「散歩、日傘をさす女」の解説があった。1875年と11年後の3つの作品の比較。妻カミーユについて。幸せな時代。破産したパトロンの家族(アリスと6人の子ども)が一緒に住むようになったこと。再婚。睡蓮は200以上描いている。

モネは日本の葛飾北斎歌川広重などの浮世絵を愛好している。「富岳三十六景」などから連作の着想を得たともいわれている。

「この仕事に没頭しきっています。水面とそこに映る影に取り憑かれてしました。これは私のような老いぼれの能力を超えた仕事です。でも私は感じていることを表現したいのです。何枚も描きつぶし、、、また描き始めています」。友人あての手紙に心境を記しているこの言葉に感銘を受ける。

ジベルニーの「睡蓮の池」は、代表作の絵画を生み出したが、庭そのものが画家・モネの芸術作品であったのだ。この庭は現在ではモネ記念館となって公開されている。後世の我々は、その芸術作品を堪能できることになった。

モネは移ろっていく自然を、その全体を、統一して描こうとしたのだということがようやくわかった。自然がみせる一瞬の姿を毎日、毎日丹念に追いかけていったのだろう。それは50代の初頭から80代半ばまで続いている。私のいう壮年期、実年期をこのスタイルで進んで行ったのだ。どうして「睡蓮の池」の作品ががあのようにたくさんあるのかという長年の疑問が解けた。

 

参考

日本大百科全書(ニッポニカ)