『アクティブ・シニア革命』公開座談会ーー「川柳」・「友禅」・「逍遥」の3人の交差を楽しんだ

『アクティブ・シニア革命』公開座談会。17名が参加。3人の人生の過去・現在・未来を聞いた。

私の図メモ。

以下、司会の深谷さんのまとめ。

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本日『アクティブ・シニア革命』公開座談会をZoomで開催しました。
川柳作家の渡辺柳山さんこと渡辺和博さん、加賀友禅作家の久恒俊治さん、海外逍遥の坪内俊之さんにご登壇いただきました。アクティブに活躍されている分野のご紹介と最近のトピックス、その世界に入られることとなったきっかけや、忘れられない出来事など、大変貴重なお話を伺うことができました。
  • 川柳作家の渡辺さんのお話で、私が印象深く感じたことは、川柳を始めると友達が大幅に増えるということ。川柳はもともと「人」を詠む文芸でユーモアをベースにしており、人と人とをつなげる潤滑油。全国各地の川柳仲間は五・七・五を通してすぐに仲良くなるとのこと。また、川柳は他者の視点も織り込むことができ、貴重な「自己表現」の場となっている、という話も興味深く伺いました。
  •  友禅作家の久恒俊治さんのお話では、数々の賞を受賞され、伝統的な技法を守り継承しつつも、新しい素材の開発や海外への加賀友禅の素晴らしさを発信されているところに感銘を受けました。そして、その道に入られることとなったきっかけが、思いがけない偶然と、良い師匠に巡り合えたことだった、というところも印象的でした。
  • 海外逍遥の坪内俊之さん。会社を退職されてから国内外合わせて二十数か所を、1か所あたり30日前後の日数をかけて、トレッキングされているのですが、1日当たり単価を数千円に抑え、精力的に歩かれているところに驚きました。また、海外で出会う人はみな親切でいい人ばかり。ご自身も親善大使のつもりで接しているという話は、大変心温まる話でした。行動するにあたっては「自分の頭で考える」「今を大事に一歩踏み出す」という言葉は背中を押してもらえる言葉として、印象に残りました。
今回の座談会の内容は来年1月に創刊予定の雑誌『アクティブ・シニア革命』に記事として掲載させていただく予定です。

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最後に司会の深谷さんからコメントを求められた。以下、ズームの要約から。

  • 久恒啓一氏が、70代前半のの3人の登壇者(川柳、友禅、トレッキング)による自己表現の座談会について総括した。
  • 実年期(65-80歳)の人々の素晴らしい活動が見られたこと、退職後の活動として伝統的な分野や旅行が人気であることから大いに参考になったこと、そして3人とも生涯続けられるテーマを見つけていることを指摘し今後の継続を期待していると述べた。
  • 久恒氏は、この座談会が「アクティブシニア革命」という雑誌の第一回の座談会として成功したと評価した。

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〈訃報〉上野 季夫先生 | News | KCG News | 京都コンピュータ学院

「名言との対話」10月19日。上野季夫「1年生のつもりで天体物理学の勉強に取り組みたい」

上野季夫(1911年2月26日ー2011年10月19日)は天体物理学社者。京都大学教授。享年100。

東京都府中市出身。京都帝大理学部物理学科に進学。戦時中は技術将校として陸軍に勤務。終戦後の1946年京都大学宇宙物理学教室へ戻る。「1年生のつもりで天体物理学の勉強に取り組みたい」という強い思いで研究活動を再開した。当時星の大気モデルの研究において懸案となっていた「opacity table」を早速作成し、再びその研究成果が国際的に脚光を浴びることになる

1950年代半ばには、ライフワークとなる輻射輸達論の基礎となる確率論的手法に関する研究を開始。1957年にはフランスに留学し、2年の間に10編もの論文を発表し「輻射輸達問題の確率論的解析」の第一人者として「世界のウエノ」となった。1959年に教授に昇進。

1971年に京都大学を退官し、アメリ南カリフォルニア大学教授を3年間務めた後金沢工業大学に移り13年間つとめた。退官後京都コンピュータ学院情報科学研究所所長として活躍した。

 研究者としての面。輻射輸達論の世界的権威。輻射輸達論は「放射伝達論」ともいわれ地球環境問題を科学的に実証する重要な研究分野として注目されているこの問題が起こることをいち早く察知し人工衛星データを用いて地球環境問題に精力的に取り組んだ。生涯400編以上論文発表

教育者としての面。「本質を見抜く目と純粋な魂を持たれた真の科学者」は、80歳前後から京都コンピュータ学院で仕事をしている。長谷川靖子学院長をはじめ教え子も多く彼らは上野の100歳を記念して2011年3月にシンポジウムを開催している。誠実で高潔な人柄のななせるわざだろう。これが特筆すべきところだ。

60代前半で京大を定年退職、アメリカの大学で3年、金沢の大学で13年、そして80歳あたりからは京都の専門学校の所長として後進を育てた。そして100歳に長寿を記念したシンポジウムを開いてもらっている。生涯現役の研究者であり教育者であった100年人生は壮観だ。

そういえば、還暦を迎えた柳田国男は、「還暦祝賀会は呑気な江戸の町人隠居のやること」であり、お祝いなぞしてはならん。これを機会に共同研究をやるならよろしい」と弟子たちにハッパをかけている。またその影響受けた梅棹忠夫は、還暦記念として比較文明学シンポジウム「文明学の構築のために」が開催しており、梅棹は「生態系から文明系へ」という基調講演を行った。

百寿記念シンポジウムの開催は、100歳でもなお前を向き続ける精神の表明だ。還暦、古稀喜寿、米寿、白寿、百寿、、。こういった節目には単なるお祝いをすべきではない。上野季夫のセンテナリアン人生からは、「 1年生のつもりで取り組む」精神を学びたい。