『戦後日本を生きた世代は何を残すべきか』

昨日もらった寺島実郎佐高信の対談本「戦後日本を生きた世代は何を残すべきか」を読了。

以下、抜き出し

自分の蓄積してきたものを埃まみれにしないで、錬磨し、見てきたものを虚構としないで時代の中でさらに鮮明な画像にし、体験を軸にして施策をより体系化して、若い世代にしっかりしたものを残さなくてはいけない。

自分の人生を自分で決めていいと言う時代に生きた。そのことをこの後の時代に覆してはダメです。我々の世代が戦後初めて、強制のない時代を生きた。そのことを、弱さも含めて伝える必要がある。

日本近代史の教訓。誰かによって強制されたり抑圧されたりすることが肯定されてはならないし、努力して自分の人生を切り開こうとするものに公平なチャンスと可能性を与える仕組みについて、もっと強くこだわらなくてはいけない。それが損なわれつつあることに、もっと憤らなくてはいけない。戦後民主主義は今まさに試練の中にいます。

 

問題意識の中で世界史のつながりと展開を把握するというのが、私が今向き合っている、創造に対する1つの態度です。どう生きていったらいいのかと言う、ロールモデルがない。ときめくような本の出会い。過去をアウフヘーベンしながら、新しいビジョンに繋げられるかが時代のテーマだ。活字の本の重要性。

 

アメリカとアジアの二次方程式を解く。日米同盟は不平等、トランプが言うのとは逆。アメリカにとって日中同盟は悪夢のシナリオ。今、ここ、私の価値観。まっとうな知性。全体知に立った構想力。アジアから孤立した日本のシンボルマークとしての安倍首相はアメリカにとって都合が良い。責任を取らない構図、国の正当性に関わる重大問題、日本社会の倫理の軸を崩してしまっている。安倍首相は親米を装った反米論者ではないのかと言うアメリカの危惧。日本の本当の株価は15,000円位。アジアへの目線。近代中国に対する敬愛と怯えにも近い関心。宗教の怖さと偉大さは現世の権力を相対化してしまうこと。

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授業:立志人物伝のテーマは「仰ぎ見る師匠の存在」。吉田松陰福沢諭吉を取り上げた。

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ラウンジで樋口先生と久米先生と懇談。

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 「名言との対話」10月4日。篠遠喜彦「楽園考古学」

篠遠 喜彦(しのとお よしひこ、Yosihiko H. Sinoto、1924年9月3日 - 2017年10月4日)は、ハワイ州ホノルルバーニス・P・ビショップ博物館に所属する、日本人類学者。 

ハワイビショップ博物館に籍を置き、50年以上にもわたり、ポリネシアを中心とする人類史の謎に挑んだ日本人考古学者である。

高橋和也自由学園学園長)は追悼特集で「自由学園男子部時代に学園内の縄文遺跡の発掘に取り組んだことから考古学研究に目覚めます。中学3年生の頃には、鉄の棒を地面に差し込んで土器や石器を探す荒業をあみだし、実際いくつかの土器を掘り出したとのこと。卒業研究では校内出土の黒曜石と他の遺跡のものとを顕微鏡観察によって比較。研究雑誌にも取り上げられます。卒業後は華北農事試験所、日本考古学研究所を経て、ハワイ大学で人類学、考古学を学び、のち北海道大学で理学博士号を取得。ビショップ博物館を拠点にハワイ諸島ニュージーランドイースター島を結ぶ太平洋の三角地帯=ポリネシアの島々の調査研究に力を注ぎ、太平洋・ポリネシア考古学を切り拓かれました。」と篠遠喜彦を紹介している。

また、国立民族学博物館友の会機関紙『季刊 民族学』169号(2019年)では、オセアニア考古学の挑戦―篠遠喜彦の足跡から―」と題した特集が組まれている。ハワイ諸島フランス領ポリネシアをはじめ、太平洋全域に及んだ人類学的探検調査によって知られている。 1962年には、「ハワイ諸島における釣針の編年及びこれとポリネシアにおける釣針の発達との関係」により、北海道大学から理学博士を授与されている。1995年日本勲五等双光旭日章を受章しており、2000年にはタヒチ・ヌイ勲章英語版シュヴァリエ章を授与されている。1996年には、ポリネシア古代文化研究の業績によって、吉川英治文化賞を受賞した。

 ハワイ・ビショップ博物館を基地に、40年間ポリネシアの熱帯考古学にたずさわってきたドクター・シノト。タヒチ、マルケサスなど知られざる熱帯の島々をめぐる彼の探検について、博物学者・荒俣宏が訊いた『楽園考古学』という本がある。巻末には「タオテ・シノトからの手紙」として「自分のすすむ道を目標をもって実行に移す」上での2つのヒントが紹介されている。1つは「求めれば与えられる」ということ。もう1つは「人生には自分が予期せぬことから思わぬ方向に道がひらけることもあるということ」だ。アメリカへ留学する途上、ハワイのビショップ博物館によるハワイ島の遺跡発掘に参加し、そのまま同博物館で研究生活にはいることなどは、その事例だろう。楽園考古学者ドクター・シノトは、生涯をかけて求めた楽園を発見したのだろうか。