「名言との対話」9月17日。豊田英二「カローラでモータリゼーションを起こそうと思い、実際に起こしたと思っている」
豊田英二(とよだ えいじ、1913年9月12日-2013年9月17日)は、日本の実業家。正三位、勲一等旭日大綬章。豊田佐吉の甥。享年100。
第八高等学校、東京帝国大学を経て豊田自動織機に入社し、喜一郎宅に下宿して自動車部芝浦研究所に勤務。取締役、常務、専務、副社長を歴任し、1967年に社長に就任。その後、工販統合まで14年9か月社長を務めた。工販統合を機に豊田喜一郎の長男・章一郎に社長を譲り会長に就任。1992年に名誉会長、1999年から最高顧問。
以上の経歴からわかるように、豊田英二は創業期からトヨタの発展を支えてきた。量産体制を築く一方、無駄を省くトヨタ式生産方式を確立。日米自動車摩擦の解決策としてGMとの米国合弁生産を決断するなど、グローバル展開の基礎を築き、トヨタを世界レベルの自動車メーカーへと育てた。まさにトヨタ中興の祖である。
2006年、トヨタ自動車のエンジニア二人が豊田市から仙台の宮城大学の私の研究室を訪れた。名刺には「愛知県豊田市トヨタ町1番地」とある。3万人以上の技術者で構成されるトヨタ技術会での講演の打ち合わせだった。過去の講演者リストには「職人学」の岡野雅行、「失敗学」の畑村洋太郎、そして「カミオカンデ」でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊らが名を連ねており、錚々たる顔ぶれに驚いた。
受講者は技術者・経営者を中心に7〜8百人というから、相当規模の大講演会である。彼らは念入りな打ち合わせを行い、トヨタ会館の見学や懇親会の案内役・挨拶役の氏名、分刻みのスケジュールまで漏れなく決まっていた。トヨタの仕事ぶりの一端を垣間見た思いがした。
7月末の本番では、もう一人の講師として「プロジェクトX」で紹介された国選定保存技術保持者、玉鋼製造職人の木原明さんが登壇した。たたき上げの職人らしい風貌の木原さんの言葉はトヨタの技術者の心を打った。座右の銘は「誠実は美鋼を生む」。技術も大切だが内面はそれに勝る。従業員一人ひとりのものづくりにかける真心が、より良い鋼を生み出す。トヨタ技術者には鉄を愛し、魂のこもったクルマづくりをしてほしい──朴訥とした語りに会場は静かに聞き入った。たたら製鉄は3日3晩に及ぶ作業を支える体力・感性・技能を要し、木原さんは「8時間労働で良いクルマがつくれますか」と問いかけ、会場を沸かせた。愛情・真心・誠実──こうした心が素晴らしいものを生み出すという揺るぎない信念に私も胸を打たれた。クルマづくりの技術者たちは、日本の誇る職人たちの後継者でもあるのだ。
私は企業から講演を依頼されることが多く、講演後に感想アンケートを書いてもらうが、多くの企業では「ためになりました」「よかったです」といった感想が大半を占める。ところがトヨタ自動車でのアンケートには「この部分はなぜですか」「私の仕事ではこうですが、どうすればよいですか」といった質問が多かった。何事も鵜呑みにせず自分の頭で考える社員が多いのだろう。
豊田英二の語録。
「乾いたタオルでも、知恵を出せば水が出る」
「人間も企業も、前を向いて歩けなくなったときが終わりだ」
「今がピークと思ったら終わりだ」
「モノの値段はお客様が決める。利益はコストの削減で決まる。コストダウンは、モノづくりを根本のところから追求することによって決まる」
モノの値段は顧客が決める。それに見合うコスト削減努力が利益を生む。コスト削減はものづくりの根本から考え直すことで実現する。トヨタ式生産方式そのものを体現した思想だが、私は豊田英二という人物の歩みに強い興味を抱く。
叔父・豊田佐吉の長男である豊田喜一郎の薫陶を受け、迷うことなく自動車産業の確立に生涯を捧げ、「カローラでモータリゼーションを起こそうと思い、実際に起こしたと思っている」と述懐するほどに事業を成功へ導いた。そして創業家の喜一郎の長男・章一郎に社長を譲るという去就も見事である。このセンテナリアンの100年人生は、清浄で壮大な伽藍のように感じられる。