虎屋文庫『和菓子を愛した人たち』(山川出版社)ーー鴎外の饅頭茶漬(葬式)。漱石の引菓子(披露宴)。

虎屋文庫『和菓子を愛した人たち』(山川出版社)は読んで見て愉しい。

オビ:「嬉しいとき悲しいときに そばにはいつも和菓子があった」「歴史上の人物100人と和菓子」。

紫式部と椿餅」から「森茉莉と有平糖」まで100人が愛した和菓子とのエピソードが満載の本。和菓子の「虎屋」の虎屋文庫のスタッフが2000年からホームページでの連載をもとに加筆修正て誕生したもので、和菓子の写真や画像の質も高い。どんな菓子かわかないものは、文献をもとに菓子職人につくってもらっている、というさすがの出来栄えだ。

和菓子を愛した人たち

素鴎外と漱石本人と関係者たちで9人を占めている。鴎外は自分以外は妹と娘いう肉親であるのに対し、漱石は友人と弟子たちだ。鴎外の血筋は文筆に優れた人が多かった。漱石は弟子に恵まれた。二人の文豪のそういう肌合いが出ている。漱石は披露宴のお土産、鴎外はいただきものの葬式饅頭という対比も面白い。

森鴎外

  • 森鴎外と饅頭茶漬けーー硬派な文豪の奇妙な好物
  • (葬式饅頭を二つに割り、それを4つ位に割ってご飯に載せ、それに緑に透き通る煎茶をかけて食べる。さっぱりとした軽い味わい、禅味のある甘み。次女の小堀杏奴は私などどう考えてもそんな事はできないと書いている)
  • 小金井喜美子とくず餅ーー家族団欒のひととき

  • 森茉莉と有平糖ーー私のブティット・マドゥレエヌ

夏目漱石

  • 夏目漱石と菓子ーーコスモスは干菓子に似ている
  • (羊羹の中に俟つが染め抜いてある。白い蛤の形の上に都留の首。真っ赤な亀の子。三ツ盛の引菓子は披露宴のお土産)
  • 正岡子規と牡丹餅ーー彼岸のお見舞いに
  • 内田百閒と故郷の菓子ーー昔の味を偲ぶ
  • 正岡子規と牡丹餅ーー彼岸のお見舞いに
  • 芥川龍之介と汁粉ーーパリのカフェを夢見て
  • 寺田寅彦の好きな物ーーイチゴ・珈琲・金平糖
  • 中勘助と駄菓子ーー幼き日の宝物

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生成AIとの付き合い

  • 先生と「エディ君」(久恒専門の編集者)
  • 吐鳳と「聴鳳さん」(川柳の伴走者)
  • ケイイチと「ケイボちゃん」(話し相手)

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朝:ヨガ:1時間。

夜:セナリアプリ。ZEAMi。CoeFont通訳。

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小牧正英

「名言との対話」9月13日 小牧正英「鹿踊りや剣舞が大好きだ」

小牧正英(こまき まさひで、1911年9月25日―2006年9月13日)は、日本のバレエダンサー・振付家である。享年94歳。

小牧は岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺市を経て現・奥州市)に生まれた。21歳で画家を志してパリ留学を計画し、大連まで渡航したものの、途中のハルビンでバレエ学校に入学。その後、上海バレエ・リュスに入団し、主要な役柄を踊った。

1946年、上海から引き揚げてきた小牧は、同年に東京バレエ団の結成に参加。引き揚げの際に持ち帰ったバレエ音楽の楽譜を基に、『白鳥の湖』全幕を日本で初演した。小牧は振付・演出に加え主演も務めている。1947年には小牧バレエ団を結成し、多彩なバレエ作品を上演した。

1954年、日劇で上演された『火の鳥』では、当時世界的バレリーナだったノラ・ケイがタイトルロールを、小牧がイワン王子を踊り、24日間の公演期間中すべて満席となったという。

小牧は谷桃子(谷バレエ団代表)、太刀川瑠璃子(スターダンサーズ・バレエ代表)など、日本バレエ界の舞踊家・指導者を多数育成した。演劇・映画界でも岸恵子、十朱幸代らが小牧バレエ団でのレッスンを経て芸能界入りし、活躍している。1958年の日本バレエ協会設立に際しては、発起人の一人を務めた。

世界初の本格的バレエ団・ロシアン・バレエ(バレエ・リュス)の主宰者ディアギレフの系譜を継ぐ数少ないダンサーである小牧を中心に、1987年には東京小牧バレエ団として新たなスタートを切り、古典バレエの普及に努めた。

東京小牧バレエ団は小牧の芸術的理想を継承しつつ、観客を楽しませる高水準のバレエ団として文化芸術の発展に寄与している。現在は「国際バレエアカデミア バレエ団」に改称されている。

郷里の江刺地方とその周辺には、鹿踊りや鬼剣舞などの民俗芸能が古くから伝わっている。小牧は「鹿踊りや剣舞が大好きだ」と語り、これらをモチーフにした創作バレエを上演した。彼はバレエというテーマを生涯にわたり粘り強く追究した人物であり、風土と人間の関係を考えさせられる。