公開講座は良峯先生「脳波」。リレー講座は渡部恒雄「中間選挙を前にしたトランプ政権の動向」。大学院運営委員会。

 13時:本日の公開講座は良峯先生の「脳波と言う身近で不思議な力」。60名という盛況。

 哲学。心。脳の研究。瞑想(マインドフルネス)。生体データビジネス。85歳の205が認知症。ニューロメディテーション脳波計を使った瞑想)。脳波研究の父ハンス・ベルガー。デルタ波(熟睡)・シータ波(まどろみ)・アルファ波(安静)・ベータ波(緊張)・ガンマ波(認知)。脳波で心の状態がわかる。脳波トレーニング(ニューロフィードバック)。瞑想・呼吸・洞察。脳の可塑性を利用。マインドフルネスムーブメントで認知能力を維持向上(注意能力・気持ちの切り替え・アンチエイジング)。前頭前野の厚みは維持できる。脳は若いまま。海馬(記憶力)が大きくなる。ガイド役は脳波計にまかせよう。、、、。図解と脳波!

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 リレー講座。本日の講師は渡部恒雄笹川平和財団上席研究員)。テーマは「中間選挙を前にしたトランプ政権の動向」。

アメリカの中間選挙11月6日。

トランプ大統領アメリカファーストは世界秩序の崩壊へ向かう。サウジのカショギ殺人、中国人の国際刑事組織のトップ拘束、ロシアのクリミアなど、世界はジャングル化へ。今後ももっと難しくなるだろう。

・トランプ政権は2017年8月から2018年1月まではわりとまともだった。現実主義者の重しがなくなった。ジョン・ケリー(首席補佐官)、ロブ・ポーター秘書官、ティラーソン、マクマスター安保補佐官、ポンペイオ長官、ミッキー・ヘリリー、チナ・パウエル、、、。トランプは勝手に人に会うようになってしまった。

・2018年3月8日以降、先祖返り。鉄鋼・アルミの追加関税と北朝鮮キムジョウンとの会談の決定。支持率は上昇。共和党保守派からの支持。アメリカは中道がなくなった。ネオナチ・白人至上主義。世界とアメリカのシンクロ現象。中間選挙囲碁マティス国防長官もクビか。トランプは貿易収支のみに関心。同盟国も批判。ドイツ・日本は厳しくなる。日米貿易担当のライト・ハイザーは管理貿易主義者。

・トランプの苦労:セクハラの慰謝料が選挙資金か。ロシアゲート疑惑。中間選挙

では下院は民主党勝利、上院は共和党に。アメリカは分断。リベラルとキリスト教保守派。民主党も左派と中道に割れているから弾劾はできない。下院の委員長ポストを民主党が握るので議会でトランプは追い詰められていく。左右の対立は激しくなる。結果としてアメリカは弱くなる。

・トランプはトリックスター(神や自然界の秩序を破り物語を展開する者。いたずらが好き)。左右の分断、メディアの分断という世界になったとき、トランプがトリックスターだったと気がつくだろう。

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17時30分:品川で大学院運営委員会。

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 「名言との対話」10月18日。関川栄一郎「私はその様なものをお受けする柄ではない」

 関川栄一郎(せきかわえいいちろう。1926年?-2005年10月18日)は、航空評論家

雑誌「航空情報」の編集長などを経て1970年からフリーとなり、航空評論家の草分けとして長年にわたって活躍した。国内外の航空機事故について、テレビを中心に冷静な情報分析で航空評論の第一人者として高く評価された。晩年にいたるまで毎年「パリの航空ショー」にでかけていた根っからの航空人だった。

私がJALの広報部にいたとき、関川先生は重要な人物であり、よくご一緒した。また、1991年にJALがワシントン直行便を開設したとき、広報課長だった私は航空関係の識者、学者、評論家、メディアのツアーを企画したことがある。総勢で20人ほどのツアーだった。ワシントンでの政府関係者を招いてのセミナーやウイリアズムズバーグの訪問、ジョージタウンでのジャズ鑑賞などの旅だった。大学の学者や航空評論の関川栄一郎や鍛冶壮一などもおり、和やかな雰囲気が最後まで続いたのは草柳文恵のおかげだった。ここでも親しくしていただいた。

関川栄一郎は晩年には『日本の航空事故』という大著を執筆した。この本は80部だけの発行だったのだが、このライフワークはいずれ重要な書物として何らかの形で世に出るのではないか。

(財)日本航空協会は「空の日」を記念して、航空に関する文化、科学技術および事業などの発展に寄与した人が対象の航空功績賞を関川に授与しようとするが、「私はその様なものをお受けする柄ではない」と辞退してる。因みに文化勲章の辞退者を調べてみた。名利を求めないとしていた陶芸の河井寛次郎。これ以上人が来てくれては困るとした洋画の熊谷守一民主主義に勝る権威と価値観を認めないとした小説の大江健三郎。自分には大きすぎる、戦争中に亡くなった俳優を差し置いてもらうことはできないと語った女優の杉村春子。それ以外にも、小沢昭一永六輔千田是也岸田今日子吉行淳之介などが辞退している。

「柄ではない」と拒否した関川栄一郎は、穏やかな人柄だったが、毅然として辞退した態度だった。賞の授与対象になったときの対応には、その人の人生観が滲み出るようだ。それぞれの理由を調べてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

『GAFA』(東洋経済)

『GAFA』(東洋経済)を読了。 

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界

 

 

GAFAは、世界を創り変えたグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンの四騎士にこと。彼らが生み出した富は2兆3千ドルだ。

アマゾン:夢は地球上最大の店舗。時価総額4329億ドル(2017年7月25日)。創業者ジェフ・ベゾスの資産は世界3位。ビル・ゲイツとウオーレン・バフェットをいずれ追い抜く。1994年開業。狩猟採集本能を刺激。アマゾン・ゴー。冒険。空飛ぶ倉庫。失敗を怖れない遺伝子。空、陸、海。中産階級の没落。マルチチャンネル。プライム。ラスト・ワンマイル。ブランドを殺す。労働者がいない倉庫。ロボット。雇用破壊。5億世帯に1時間以内に発送。機械学習。検索はグーグルよりもまずアマゾン。ストア。脳と指。

アップル:イノベーティブな信者が崇拝する宗教のようだ。低コスト製品を高価格で売る。歴史上最も利益の大きな企業。創業時からの総計でアマゾンの2倍の営業利益(2016年第4四半期)。手元資金はデンマークのGDPと同じ。時価総額7940億ドル。2001年からのiphoneへの崇拝。シェア14.5%、利益シェア79%。セクシー戦略。上位1% 。シンプル・洗練。中産階級ノマイノリティ化。マシン。頭から性器へ。

フェイスブック:世界人口75億人のうち12億人。ネット接続の6分に1分はFBに接続。時価総額4200億ドル。DNS。20億人と「関係。35分。認知。幸福とは愛。独身。150件のいいね。デジタル広告。AIマシン。個人データはお金に。穏健派には目を向けない。社会的責任の回避。心と感情。世界をつなぐ。

グーグル:全知全能の無慈悲な神。20億人。毎日35億の質問で消費者行動を分析。5930億ドル(アrファベット)。検索エンジン。信頼。質問ですべてがわかる。独占の危機。悪魔になるな。収集と整理。人工脳。

 以下、著者からのアドバイス

 ・あなたが得意なことで、ほかの人にまねできないくらい難しいことをすべきだ。

・エースはデータだ。

・ある分野で目標を達成できた人はすべての分野で目標を達成できる。

・ゲームに参加しろ。アプリを使え。SNSを利用せよ。理解し使いこなせ。

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学部運営委員会

杉田学部長:人事

佐保君:大分帰省。Zoom。

理事長:人事

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「名言との対話」木村尚三郎「才子は馬車に乗り、天才は歩く」

 木村 尚三郎(きむら しょうさぶろう、1930年昭和5年)4月1日 - 2006年平成18年)10月17日)は西洋史学者ヨーロッパ史)。

13世紀フランス中世の荘園史・法社会史の研究から出発し、歴史学者の目で見た現代文明論や、音楽・映画批評、料理や生活文化に関する著作を幅広く手がけた。また、日欧の比較文明論や文明史に係わるエッセイを新聞雑誌に多数執筆。NHK教育テレビN響アワーの司会を担当するなど、ヨーロッパ的な洒脱な教養人として知られた。この人の書いた本や言説にはいつも接していた記憶がある。教養の塊のような学者だった。

 木村尚三郎は私立、公立、国立と32年間続けた大学教師を定年とともに60歳で廃業。個人の仕事、公的仕事、講演と3つに分けた。睡眠5時間半で午前5時、6時から原稿書き。その後。出かける。夜は仕事をしない。健康のために葬儀への参列などの義理を欠く。死ぬまでに読まない本という基準で本は処分する。男にも、化粧とおしゃれが必要だと述べ、そして個人に生きる隠居生活を楽しむ決意を、67歳の時の『ご隠居のすすめ』で述べている。しかし、世間は許してくれなくて、実際には静岡文化芸術大学学長などを歴任している。

 「、、、、天才は歩く」は、18世紀のフランスのメルシェという作家の言葉である。馬車、つまり現代の自動車ではまとまった思考は難しい。五感の感度を鈍らせないように、歩きながら考えることが大事なことは私も実感としてわかる。ものを考えられるのは、歩いているときだ。昔は逍遙学派と呼ばれた学者たちがいた。21世紀は徒歩の旅の時代だ。いつどこでも歩き回るという癖をつけよう。

 

ご隠居のすすめ―人生の自由時間を豊かに生きる法

ご隠居のすすめ―人生の自由時間を豊かに生きる法

 

 

 

 

 

 

東京ステーションギャラリーの「横山崋山」展。

「横山崋山」展。東京ステーションギャラリー。累計850館目。

漱石の『坊ちゃん』の中に、ある青年との掛け軸と金子のやりとりがでてくる。この掛け軸が「崋山」の軸と青年は言う。坊ちゃんは印譜を調べて「渡辺崋山も横山崋山にも似寄った落款がない」というくだりがある。明治時代までは「二人の崋山」と呼ばれていたのだ。海外に渡った作品も多く、忘れられた絵師となった。その復活の初めの企画展である。

横山崋山は画題によって画風を自由に変えることができた。狂気と毒気に満ちた曽我「蕭白」風の絵、ユーモラスな表現に満ちた「人物」絵、おとなしい「花鳥」図絵、パノラマ鳥瞰図の「山水」絵や独特の富士山、蘭亭曲水図、京を描いた花洛一覧図、またドキュメント風の天明火災絵巻や動物仮装のちょうちょう踊図屏風などの「風俗」、そして描き方の面白さと同時に記録的価値の高い上下合わせて30mを超える「祇園祭礼図巻」は詳細な実地調査に基づいている。 

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「名言との対話」10月16日。保直次「夢を見、夢を追い、夢を喰う」

保直次(1916年2月5日-2012年10月16日)は、実業家。徳之島町名誉町民。享年96。

 鹿児島県徳之島出身。神之嶺尋常高等学校卒業、出征復員後1948年鹿児島市でキャンディーストア開業、1961年城山観光ホテル(株)を設立し鹿児島市の高台城山に城山観光ホテルを開業。1969年には福岡に博多城山ホテル開業。城山合産(株)を設立し養殖事業を奄美等で展開。先見性と独創的経営で城山観光グループを1代で1000億企業に育て、鹿児島経済界に多大な功績を残した。

鹿児島と姉妹都市となったイタリア・ナポリの高台に立って眼下の地中海の広がりと遠くのベスビオ火山を見渡して鹿児島の錦江湾および桜島と比べ、「よしっ!このような景勝の地にホテルを建設しよう」と思い立って城山に着目し、東洋のナポリの地に城山観光ホテルを建設する。このホテルは鹿児島のシンボルとなった。天皇陛下や重要人物の常宿にもなっている。私の九大在学中の1970年に博多城山観光ホテルができ、外人女性を起用したパンフレットなど話題になった。この開業の前後に博多東急ホテル西鉄グランドホテルなどができ、福岡がコンベンション・シティとして始動する契機になった。

徳之島は、横綱朝潮太郎、コメディアンの八波むと志、長寿者の泉重千代などを生んでいる。この島の景勝の地に保直次の信念を刻んだ立派な記念碑が建てられ、信念「夢を見、夢を追い、夢を喰う」が彫られている。後年、妻の好子は「城山には自分の生命をかけ、男冥利(みょうり)に尽きたと思う。ロマンを追い求め、事業家として足跡を残せたことを誇りに思う」と故人をしのんだ。保直次は夢とロマンを追い求めた人である。夢を見なければ、実現することはない。

 

 

 

 

 

 

岡山県自治研修所。

 

岡山県自治研修所にて「図解思考」研修。午前9時から午後5時まで。

40名の県職員が対象。9月に引き続き2回目。同じメンバー

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以下、終了後のアンケートから。

・個人、グループ全体のように、自分に返ってきて、振り返り、再考する時間があったので、よりよいものを作ることができました。自覚、振り返りの時間が寿十分とられているので、達成感(成長)を味わえる研修でした。

・方法以外に、「仕事とは何か」などの目線も学べ、楽しい時間となりまhした、先生の本を拝読し、さらに学びます。

・「箇条書きにしないうように」と考えるクセがつきました。仕事以外でも役に立っています。

・じっくり考え、頭を整理できるスキルを知れて非常に貴重な研修でした。

・自分の業務が県政のどのポジションにあるのかを把握できたことで、仕事のモチベーションアップにつながった。同じ分野でもわかっていないことが多かったので、調べてみたい。

・県民と行政が手を取り合って進めるべきなのに、県民がすべきこと、取り組みが書かれていないことに気づいた。

・自分の仕事と「おかやま生き活きプラン」とをむすびつけて考えていくと、意外な視点が生まれ、考えさせられた。日頃使っていなかった頭を使うことが多い研修で、疲労感の強い研修ではあった。

・普段は定型的な仕事が多く、創造的な思考力が大変劣っているうおうな気がします。今回の2回の研修では普段使わない脳を使った気がします。

定量から定性へ。本質を突いた内容に変換する作業をやっていきます。

・施策の盲点がみつかる。

・手書きも重要だ。

・職場でも「受けてみたい」「おもしろそう」という声があります。教員向けの講座も考えて。今まで自分自身があまり理解していないまま業務をしていることに気がつきました。

・受講者の発表は、担当業務への責任感、熱意も感じられ、内容も素晴らしい。

・職場で、図解で頭の整理をして進めたら、落ち着いてできる。

・これまで理解不足意のまま文書を使っていたとも思えるので、頭のなかだけでも図解するクセをつけたい。

・自分の仕事と総合計画との関連性や位置づけを理解することができた。頭が整理され、新たな気づきもあった。

・図解中に、入れたい言葉が浮かんできて驚いた。

・頭が固い。

・「生き活きプラン」の周知・促進をここまでしてもらった研修は初です。日々の仕事に追われ、仕事の立ち位置を忘れがちです。この研修を受けて良かった。

・面白さがわかったが、非常に疲れました。

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「名言との対話」10月15日。舟崎克彦自分にしかできないものの追求こそが、創作活動そのものと言っていいでしょう」

舟崎 克彦(ふなざき よしひこ、1945年2月2日 - 2015年10月15日)は、日本作家詩人作詞家挿絵画家劇画原作者

 父の舟崎悌次郎は和歌山県生まれ、京都帝国大学経済学部卒、画家志望だった建築家で、当時は会社社長。克彦は末男。1951年、2人の兄と同じように学習院初等科に入学。この兄の一人は舟崎敬で、この人は私のビジネスマン時代でもっとも尊敬する上司だった。克彦はがっしりとした体格で、あたりを威圧するような風貌の人物だっそうだが、禿頭の敬も、同じような風貌で、勇気と名言とユーモアのある風格ある人物だった。その舟さんを思い出しながら、書いている。

克彦は 1971年に嫌でたまらなかった勤務先を退社する。同年『トンカチと花将軍』が福音館書店から刊行され、童話作家としてデビュー。1973年、単独で執筆した初めての長編ファンタジーぽっぺん先生の日曜日』を出版社5~6社に持ち込んだところ、それまでの児童文学とあまりに違っていたのでことごとく拒絶反応を受けたが、筑摩書房からの出版が決定。以後、人気シリーズとなった。

1974年の赤い鳥文学賞から始まって、サンケイ児童出版文化賞は3回受賞、ボローニャ国際児童図書展子どもの本の部グラフィック賞推奨、絵本にっぽん賞山本有三記念路傍の石文学賞、そして2008年の日本絵本賞まで受賞が続いている童話界の巨匠だ。著書は300冊以上にのぼる。2015年3月まで白百合女子大学教授として文章表現と創作の授業を講じた。

  『ぽっぺん先生』シリーズは、独活大学生物学部の助教授の38歳のぽっぺん先生というしょぼいおじさんが主人公で、毎回動物がらみの不思議な出来事に巻き込まれていくというお話だ。「ぼっぺん」とはガラス製玩具で、吹くと音が出るビードロのことだ。

ピカソ君探偵』シリーズも有名。主人公のピカソ君は23歳、事故により身体は五年生のままでなぜか小学校に通っている。童話の常識では同じ子どもの目線が重要とされるのだが、舟崎克彦の童話の主人公は大人が多いのが特徴だ。

自分が良いと思ったものに向かって表現を試みる。それは自分とは何かを知るための、楽しくて楽な方法だろ舟崎は言う。童話でも小説でも、詩でもDJでも、何でもいい。創作によって自己を発見し、確認し、そして自己が創造していく。自分にしかできないものを創り出す、それをやり続けよう。

 

 

 

『渡部昇一 一日一言』----渡部昇一の原材料

 

渡部昇一 一日一言』を読了。

 

箴言が人を創る。あなたの好きな格言を教えてくれ、そうしたらあなたがどんな人か教えてあげよう。渡部昇一という人物が、 どういう原材料で構成されているかがわかる本だ。そうなっていない自分を叱咤して、あそこまでになったということだろう。

以下。

マズロー「どうすべきか迷っている時は、ホンネに忠実であれ」

宮本武蔵「神仏は尊ぶべし、頼むべからず」

ロックフェラー「うんと稼ぎ、うんと貯め、うんと寄付せよ」

古人「名を成すは毎に窮苦の日にあり、事を敗るは多く因す得意の時」

王陽明「学問を成すには、まず志を立てることが一番である」

ヴィクトル・ユーゴー「人間は力が不足しているのではなく、強い意志に欠けているのだ」

チャールズ・ダーウィン「人間にとって重要なのは、頭のよさよりも心の態度である」

アラン「少し苦労して生きていくことはいいことである。生きていく上で波瀾があることはいいことである」

野間清治「工夫なき苦労は一文の値打ちもない」

セネカ「徳というものは強い意志と健全な意志によるものである」

幸田露伴「順に逆らえば仙に入る」

ヒルティ「揺るがない道徳的な確信、良い精神的な教養、愛、誠実、仕事の能力、仕事の楽しみ、精神および肉体の健康、幸せな家庭、少数の友人、そしていささかの財産」

スノーデン「境遇が不満ならば改善するように努力しなければいけない。それがどうにも変えられないものだったら、それ日甘んじるように腹を決めなければならない」

サルトル「貨幣は私の力を表わす」

ヒルティー「気が乗るか乗らないかは、仕事を始めれば自然に解決する」

エマソン「たった一人で行動すれば、すでに一人でしたことが、君を正当だと証明してくれる」

スマイルズ「人は誰でも、優れた人格を得ることを人生最大の目的とすべきである」「

 模範的性格。道徳。自尊心。人を敬う。名誉心」

易経「君子は豹変酢、小人は革面す」

セネカ「親切を与えた人は黙るべし、受けた人は語るべし」

ホラティウス「各々の日を最後の日の夜明けだと信ぜよ」

船井幸雄「必ず成功するコンサルティングとは、成功しそうもない会社のコンサルティングはしないことである」

スキート「毎日、同じテーマについて何時間も着実に仕事をし、しかも一年中ほとんど毎日それをくり返すならば、いかに多くの仕事をなしうるかは、まことに驚くべきものがあります」

ゼークト「いつでも上機嫌でいること、朗らかな気分を維持できる人が司令官にとって一番重要である」

幸田露伴「すべて自分のせいにする」

アインシュタイン「長いくるしい努力なしに、ただの思いつきなどと言うものはないのです」

セネカ「それを自然、宿命、運とよべ、これらはすべて同一の神の名である」「少し所有する人が貧乏なのではなく、更に多くを欲する人が貧乏なのである」

ベーコン「少数のある本はよく噛んで消化すべきである」

桂太郎「上位はつねに空席である」

岩崎弥太郎「怖いのは樽の底から一滴でも漏ることだ。そいつを注意してください」

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夜は岡山で知研の仲間との懇親。

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「名言との対話」10月14日。張学良「「(西安事件に関して)私がすべての責任を負っています。しかしまったく後悔はしていない」

張 学良(ちょう がくりょう、1901年6月3日 - 2001年10月14日)は、中華民国軍人政治家張作霖の長男。享年100。

中国・北の軍閥領袖張作霖の長男。 19 28年6月張作霖が日本軍により爆殺されると、後継者として東北の実権を掌握。蒋介石国民政府と提携する。1931年の満州事変以後、国民政府の対日方針に従って無抵抗主義をとり,東北を日本軍の占領にゆだねた。紅軍の長征に際して西北剿匪副司令に任命されたが,ひそかに共産党と停戦協定を結び、1936年 12月西安に到着した蒋介石を逮捕監禁し、内戦停止を迫る西安事件を起こす。信頼できるすばらしい人格者と語った周恩来らの調停で蒋介石は内戦を停止し第二次国共合作による抗日を受入れて釈放された。

この事件で張学良自身は官職を剥奪され、禁錮刑に処せられた。 1949年蒋介石の台湾逃亡に伴い連行され、1990年まで自宅軟禁状態にあった。 その幽閉は37歳から始まり、蒋経国によって解除されたのは79歳だった。1994年名誉回復、ハワイに移住した。2001年に死去。100歳没。

 西安事件によって、張学良は結果的に、国民党の最後の包囲網で消滅の危機にあった中国共産党を救い出して、共産党と国民党の統一戦線を促し、日本降伏の後の内戦における共産党の勝利と、その後の中華人民共和国の成立に道を開くことになった。2001年の張学良の死去に際しては、江沢民総書記は「偉大な愛国者」「中華民族の永遠の功臣」と遺族に弔電を打っている。

「日本は何故東条(英機)のような戦犯を靖国神社に祭っているのか。靖国神社に祭られる人は英雄である。戦犯は日本国家の罪人ではないのか。彼らを祭っているのは、彼らを英雄と認めたからなのか」

張学良の軍歴はわずか8年。西安事件という一点だけで歴史に名が残った。その張学良は、自由を失って、黙々と人生の大半を寂しく暮らした。『張学良 その数奇なる運命』には隠遁生活をいかに送ったのかが記されている。本。新聞。麻雀。将棋。囲碁花札。行楽。明と清の歴史研究、王陽明の研究。書画。、、、、。思い切りのよい人であり、そういった性格によって幽閉期間を堪え忍ぶことができた。1995年にはキリスト教徒に帰依している。娯楽、研究などで無聊の日々を慰めたのだろう。20世紀最初の年の1901年から、21世紀の最初の年の2001年までの100年間、30代後半から40年余後の老人になるまでの日々を幽閉で過ごしたことについては、蒋介石夫人の宋美齢も気の毒なことをしたと述懐している。この張学良もセンテナリアンだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ビッグデータ時代の教育のあり方。「横山崋山」展で850館。「不吉な予感と本当の処方箋」

午前中のFD 研修は、多摩大目黒高校の荒尾進路部長の講義。14人が受講。ビッグデータ時代の教育のあり方は大変参考になった。

・japan-ePortfolio。Classi。スタディアプリ。サービスサポート。生徒手帳。生徒カルテ。グループ機能。ウェブテスト。成績カルテ。学習記録。不安の解消。ノートとり不要。考える力。進路指導。基礎学力+応用力。プロセスが大事。電子調査書。図と絵も。日常生活が教材。夏休み。国語力。高大接続改革。

・父兄とのコミュニケーション。授業改善。データの蓄積。深く、きめ細かな指導。省力化。一貫。ビッグデータ時代の学校。教職員同士のコミュニケーション。自前はダメ。学生満足度調査。共有・主体性・蓄積。入試は通過点。生涯教育。

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 東京ステーションギャラリーで開催中の「横山崋山」展。今日の日経新聞に一面全部を使った特集があり、そのためか入場者が多かった。

 この名前は馴染みがないが、それは名作が外国に流れたためだ。江戸の当時は有名だったし、漱石の「坊ちゃん」にも名前が出て来る。「二人の崋山」といわれ、渡辺崋山と並んでいた。町人主体に躍動する京の町の姿を克明に記録し描いた横山崋山は「活写の名匠」だ。詳細は、別途記す。本日で、「人物記念館の旅」の累計は850館。

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九段サテライト

東洋学園大学の愛知太郎理事長が見学に見える。名刺交換。

・金先生、荻野先生、バートル先生と懇談

インターゼミ

・久保田先生「ルーマニアでの学会」。奥山先生(明治大)「OB会。研究のやり方」。木村先生「北朝鮮訪問から」。

・学長講話

・・サンデー毎日「100歳人生 本当の処方箋」

・・脳力のレッスン199特別篇「2018年秋の不吉な予感--臨界点迫るリスクと日本の劣化」

  

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  「名言との対話」10月13日。丸谷才一「よし、自分は上機嫌で書こう」

丸谷 才一(まるや さいいち、1925年大正14年)8月27日 - 2012年平成24年)10月13日)は、日本小説家文芸評論家翻訳家随筆家

 山形県鶴岡市出身。KAWADE夢ムック『追悼特集 丸谷才一』では、著書目録を次のように分類している。小説。評論。エッセイ。歌仙。ジェイムス・ジョイス関連。山崎正和との共著。大野晋との共著。対談集。ジャーナリズム批評。編集・監修。訳書。インタビュー。そして文明全体を扱うという態度で書評文化の構築にも動いた。

私は『挨拶はむづかしい』『挨拶はたいへんだ』『あいさつは一仕事』のシリーズを読んだことがある。丸谷才一は挨拶を頼まれると、前もって必ず原稿を書く。当日はその原稿を読み上げる。だからすべての挨拶の中身が残っていて、数年おきに本になるとスタイルだ。このあたりは感心する。

KAWADE夢ムック『追悼特集 丸谷才一』「編集後記」の総括を見てみよう。--巨人。怪物。柄の大きさ、多面性、懐の深さ。成熟した市民社会にふさわしい小説。伝統の新しき継承。モダニズムの達成と彫刻。外国文学の吸収と自国の伝統の咀嚼。現代性に腐心した最後の文学者。

  芥川龍之介賞(1968年) 。『年の残り』。谷崎潤一郎賞(1972年) - 『たった一人の反乱』。読売文学賞(1974年・2010年) -『後鳥羽院』・『若い藝術家の肖像』新訳。野間文芸賞(1985年) -『忠臣蔵とは何か』。川端康成文学賞(1988年) 「樹影譚」。芸術選奨(1990年)  『光る源氏の物語』(大野晋との対談)。大佛次郎賞(1999年) 『新々百人一首』。菊池寛賞(2001年)。泉鏡花文学賞(2003年) -『輝く日の宮』。以上の業績からわかるように、文学界に果たした業績は比類がない。そして、- 多年の文学的業績により朝日賞(2004年) 。2006年、文化功労者。死の前年には文化勲章(2011年)を受賞。2012年、死去。享年87。「本は薬でもあるし、食べ物でもあるし、お酒でもある」というように本をよく読んだ人でもある。そして「自分のホームグラウンドをしっかりと持っている人が書いた本は面白い」とも語っている。

  私は小説ではなく、『挨拶はむづかしい』『挨拶はたいへんだ』『挨拶は一仕事』などのエッセイが好きだ。丸谷は、挨拶にあたっては、すべて原稿を書いて、当日はそれを読み上げる。その原稿が残っているから、こういう本も書けるのだ。あらゆることに用意周到な人であったゆようだ。

丸谷才一の『文章読本』を読め。とくに、第二章「名文を読め」と第三章「ちょっと気取って書け」の二つの章を繰り返し読むがよろしい。これが現在望み得る最上にして最良の文章上達法である」とは井上ひさしの言だ。

  対談を100回以上行ったという好敵手・山﨑正和『不機嫌の時代』にみるように、日本文学は明治以降、気質的に不機嫌だった。それをひっくり返すことを自らのテーマとして、上機嫌でユーモアを大切にして戦った。「上機嫌」をテーマに言葉を探してみた。ワーグナー「仕事をするときは上機嫌でやれ、そうすれば仕事もはかどるし、身体も疲れない」。ディケンズ「病気や悲しみも人にうつるが、笑いと上機嫌ほど、うつりやすいものもこの世にない。」。 サッカーレー「上機嫌は、人が着ることのできる最上の衣装である」。

よし、上機嫌で行こう!

 

 

丸谷才一 (文藝別冊)

丸谷才一 (文藝別冊)

 

 

 

 

 

 

「立志人物伝」の4回目の授業:「切磋琢磨する敵と友」のライバル編--岡本太郎・三島由紀夫

学部の授業4回目。○前回アンケートから。○長州の「松下村塾」・薩摩の「郷中教育」・会津の「什教育」。○名言との対話から:ジョンレノン・武満徹。安田幸吉。中村元。。◎切磋琢磨する友と敵 ライバル編。●岡本太郎:・ユーチューブ「岡本太郎」の「芸術は爆発だ」。解説:私との縁「学生時代」「JAL時代」。・ライバルは、ピカソピカソの説明。・渋谷「明日の神話」の壁画。・ユーチューブ「岡本太郎名言集」。名言を紹介する。●三島由紀夫:・解説。・石原慎太郎川端康成。・ユーチューブ「英語インタビュー」「川端康成」。●大鵬柏戸イチローと松井。ゲイツとジョブス。

・渡辺さん:戦略会議「AL」の課題を確認。

・樋口先生:新著『65歳から頭がよくなる言葉習慣』をいただく。 この本の中に、毎日必死でブログを書き続けている変な人(?)、として私も登場していた。

65歳から頭がよくなる言葉習慣 ―楽々の「メモる・言い換え・要約」のすすめ

65歳から頭がよくなる言葉習慣 ―楽々の「メモる・言い換え・要約」のすすめ

 

 ・大森映子先生:新著『お家相続』をいただく。

 お家相続: 大名家の苦闘 (読みなおす日本史)

お家相続: 大名家の苦闘 (読みなおす日本史)

 

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国際交流センター運営委員会に出席。

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研究室:力丸・岩沢:新プロジェクト始動。自宅に移動。

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多摩センターの京王プラザホテル:高橋直人さんと合流

・コーヒーラウンジ:雑談

・京王ビズ・プラザ:入会。

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「名言との対話」。10月12日。黒川紀章「移動により人間は賢くなった。ホモ・モビリタス(移動するヒト)」

黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名:くろかわ のりあき、1934年4月8日 - 2007年10月12日)は、日本建築家思想家実業家政治活動家

1960年弱冠26才で建築の理論運動メタボリズムを結成、衝撃的に世界にデビュー。 その後、機械の時代から生命の時代への変革を一貫して主張してきた。共生、新陳代謝メタボリズム)、情報、循環(リサイクル)、中間領域、フラクタル非線形)、生態系(エコロジー)等、45年間提言してきたコンセプトはいずれも「生命の原理」という点で共通している。その活動は、世界20ヶ国におよび、世界各地で完成した作品は高い評価を得ている。1986年には建築界のノーベル賞と言われるフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞した。

建築家・黒川紀章の作品を挙げてみよう。佐倉市役所庁舎。BIG BOX青山ベルコモンズ。福岡県庁舎中銀カプセルタワービル。 クアラルンプール国際空港ゴッホ美術館新館、、、。私が実際に見たのは、秋田県にかほ市の白瀬南極探検隊記念館、那覇 沖縄県庁舎。、六本木の国立新美術館、大阪の国立民族学博物館、奈良の入江泰吉記念奈良市写真美術館、などである。いずれも強い印象を与える個性的な建築である。それ以外にも黒川紀章は、内外の都市計画や都市構想でも優れた仕事をしている。

1976年に、あるテレビ番組の対談で、黒川氏が若尾文子さんを「あなたはバロックの精神を持った人だ」と褒めたたえたのが口説き文句で、「バロックの恋」と話題になった。二人は1983年にどちらも50歳を超えて再婚している。

2007年の東京都知事選に出馬し、奇矯な発言を繰り返し、妻と一緒に演説する姿を不思議な思いで見ていたのだが、すでにガンで死期を悟っていたのではないか。死期を間近にして何を為すかを考えた上での行動だったのでないだろうか。

つい先日、株式時価総額が1位のトヨタと2位のソフトバンクが提携を発表した。日本のものづくりの代表で世界的に強い競争力を持つトップ企業トヨタと、常に時代の中心にいようと心がける孫正義ソフトバンクとの歴史的な提携だ。その時の豊田社長は、トヨタ自動社を「車をつくる会社から、移動サービスの会社へ転換」と語っていた。黒川紀章が、「私自身は哲学者だと考えています。建築と哲学は別物と感じる人がいるかもしれません。しかし、哲学なくして建築などできるわけがありません」と言い、人類を移動するヒト「ホモ・モビタス」と命名したのは、こういった流れを予見していたともいえる。人類は移動をさらに工夫することによってより賢くなるだろう。黒川紀章を人類の未来を見つめた哲学者として記憶することになるかも知れない。