オンライン出版記念パーティを初体験ーーリアルなパーティよりも実がある。さらなる可能性も感じた。

橘川さんの『参加型社会宣言』のオンライン出版記念パーティ。17時から。32名参加。
リアルのパーティでは、人との会話や、酒・食べ物に気をとられて、挨拶はあまり聞いてはいないことが多いが、オンラインだときちんと聞くことになる。リアルだとあまり多くの人と会話はできないが、オンラインだと出席者同士が著者を介在して知り合いになる可能性が高い。
数時間にわたり、一人3分づつのエキスを聞き、主宰者の著者が紹介するコメントを聞くのは得難い体験だ。こういうパーティも、リアルよりオンラインかもしれない。やり方はまだ工夫できそうだ。私もやってみようかな。
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オープニングの演奏は星ゆうすけ(インドから)。
来賓挨拶は中村伊知哉(iU専門職大学学長)「やられた。超客員教授」。乾杯は久米信行(iU教授)「20年後につぎの出版記念パーティを。暇つぶし社会」。
祝辞の最初は私が指名された。「コロナ禍でなくコロナ渦。橘川さんは渦。エライ人が年を取ってダメになるのは人脈、情脈が枯れるから。最先端と最前線。千里馬を見出す目利きである名伯楽。最先端からエネルギーを補給し続けて最前線で時代の中心であばれている。ZOOM、クラウドファンディングなど私も渦に巻き込まれている。未来のためにもっと大きな渦に」
大久保「保坂の政治塾。内田裕也土井たか子」。為本「教育。資本主義と民主主義が終わる」。滑川海彦「タイミング!」。遊佐ひとみ「会計」。和田嘉弘「インテリジェント代表。20年」。大野誠一「リクルート、、。公文情報塾。リスペクト」。西野弘「25年。日本沈没。大企業は昭和のまま。ビジョンペーパー。次はスマート・スモールカントリーの研究」。鈴木敏行「企画書」。妹尾みえ「ライター。ブルース。やっくんがゲームクリエータで100万本」。西岡真由美「離島をターゲットにしたオンライン家庭教師事業」。NAOKI SEIJI「高山先生。松岡正剛の師範」。高崎よしかず「ドレミング。板前から。貧乏人を救う。20億人の金融難民」。宮崎よしすけ「一本歯ゲタ。スポーツ選手たちに本を配る。和歌山未来フェス」。浅田カズノリ「熱中小学校。ルーター。盲人のためのアプリは100万本、27ヵ国」。前田「一日一回本を送っている」。伊藤「リーフラス代表。子どものスポーツ指導。32県、5万人」。たまこ「仙台。生き方と文章が同じ」。高野雅治「20年。未来フェス」。松永「よはっと図形」。浅沼正治「書評家。noteに投稿」。堀てつひこ「ブロックチェーンの会社」。中山よここ「半農半X。テレワーク。移住」。竹越和貴「気分調査。ベネッセ」。津田博史「ヤミ大学」。中能ひろみ「熊本。美しい本。明るい示唆。」。田原正人「マレーシアから。ZOOM革命。双方向コミュニケーション。ヤミ大学よろめき歩行学部」。鈴木太夢「期待通り。五條堀先生」。
橘川幸夫「林雄二郎。君は偉い。宮沢賢治。1対1の関係。20冊の本。推薦文。本を書くということ。推敲なしのネット、書き直し、寝かす本。ネットは空間を超える。本は時間を超える。
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午前:オンライン講座についてのまとめ。
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「名言との対話」7月11日。小松方正「死なない限り、俺は舞台に立つ。役者とはそういうもんなんだ」
小松 方正(こまつ ほうせい、1926年大正15年〉11月4日 - 2003年平成15年〉7月11日)は、俳優声優
長野県生まれ。中央大学専門部卒。大蔵省勤務時代より演劇に熱中し、俳優を志す。1953年、真空地帯』に大住軍曹役で出演。1957年『26人の逃亡者』で映画デビュー。以来、個性派俳優として、舞台、テレビなどで活躍した。大島渚の独立プロ「創造社」に参加する。以降大島作品の常連俳優となり、『太陽の墓場』や『絞死刑』、『儀式』などの作品で活躍した。アクの強い悪役敵役などが中心だが、演技力は幅広く、日本を代表する名脇役だった。大島渚監督との出会いが運命を変えたと自覚していた。1972年、45歳の時に22歳年下の女性と結婚した。仲人は大島渚・小山明子夫妻がつとめている。
脇役として出演するこの人の顔と演技はよく目にした。主役級の役者はなかなか脇役にはなれないだろうから、脇役の方が仕事が多いのではないかと、出演作品のリストをながめながら思った。

 1982年から1999年の18年間にわたる大病との凄絶な闘いと、病を通して強くなった夫婦の絆が書かれた『俺は元気は大病人』(第三文明社)を読んだ。亡くなる3年前に書いた本だ。頭蓋骨骨折、糖尿病、慢性腎不全、人工透析脳梗塞、直腸ガン、大腸ガンの再発、、などまさに病気のデパート状態の後半生だ。闘病生活の中で小松は俳句を覚えた。「尽くす友とも 報わざるとも 百合の花」は、妻への感謝の句である。 「逆境の恩寵」をかみしめながら、一日一日を丁寧に生きていく。

「大事なのは、病気になってからどうするかということだ。、、ひと通り経験したら、今度はそこから這い上がることを考えなければならない」「講演を成功させようとすると、痛みも感じないようになり、神経が仕事の方に向いていく」。病気は死ではない。「天職と思う役者稼業だけを一生懸命やろう。どんな仕事も断らない」。舞台に立つと思うとエネルギーが湧いてくる。それが小松方正の役者魂である。

 

 

 

 

都知事選:受講生の投票率は同世代の1.5倍強、野党統一候補(宇都宮。山本)なら小池と互角。「図解文章法」のアンケート集計結果。

ビジネスコミュニケーションⅠ⑩。都知事選の総括と図解文章法。

  • 受講学生の都知事選の投票率は56%となった。全体投票率55%とほぼ同じ。20歳の前回投票率は40%。前回より4%ほど全体投票率はダウンしているから今回は36%とみると、1.5倍以上の投票率となった。これがこの授業の効果。
  • 支持者:小池百合子45%。宇都宮健児22%。山本太郎13%。宇都宮と山本の野党統一ができていたら、互角のはずだった。実際の得票は小池は両氏の2.4倍以上の圧勝。2.4倍以上と互角の差がこの授業の効果。

本日のテーマは「図解文章法。 授業後の課題(アンケート)は、今までの紙ではなく、T-NEXTですぐに回収できるから、コピーできるのが便利だ。これもリモート授業の有利な点だ。

本講義において新しい切り口での文章の書き方を教えて頂いた。樋口先生のライティングスキルの時とはまったくの別の切り口であり、そこに双方の魅力を感じることが出来た。使いわけできるようになれば非常に楽に文章を書くことができるであろう。また本講義にて教えて頂いた書き方のほうが気張らずに書き始められる気がした。しかし一定数の情報を頭に入れておくだけでなく、書き出しそれを分類にまとめる。講義資料のような図をイメージ、描くのにどれだけの時間がかかるのかは実際にやっていないためわからないのが現状である。今後のためにも一度文章を書く機会がある時にこのような図を描いてみようと考えた。

図を使ってまとめた後に文章を書いていくと書く内容、話題が広がり、迷わず量のある文章を書けると感じた。レポートだけでなくプレゼンテーションや論文の際、非常に助かるスキルであるなと感じた。1年の秋学期にライティングスキルの授業を受けたが、今回の授業と合わせさらに良い文章を書こうと思えた。

先生の描かれた図の完成度が非常に高いため、ほとんどそのまま文章化でき、自分の意見で多少肉付けするだけでまともな理論になっているように感じた。

図から文字にするととても頭の中で整理されて、小論文が書けると思いました。小論文を書くのが難しいのは、事柄について理解して、整理できていないためなんだと分かりました。図で整理することでしっかり理解ができ、また考えもまとまり図にすることはとても重要だと思いました.

図解で表すのは文字で起こすよりも簡単でアイデアが多く出てきました。これからのレポートでも活用したい。

今後レポート等を書く際はこのことを意識して書きたいです。

図から文章にする作業をするとレポートなどの作業が楽になる。というのはまさにそうだと思う。

初めから文章で書くよりも一回設計図にして表してから文章にしたほうがすらすらと自分の書きたいことをまとめて書くことができました。

文章というのは、骨格を決めて具体的な事例を当てはめていけばいいという事を学びました。具体的な事例を挙げる事でこんなにも簡単に、長い文章を書くことが出来るんだと新たな発見でした。

今回の授業では図解でまとめた要点を軸に文章を作成することの効率の良さを強く感じた。文章というのは作成者が重要視することを軸に肉付けをしながら内容を深めていくものであると考えられる。図解というのは題材とする事柄の重要視すべき点を抽出し、関係性を明らかにしたものであるため、文章作成の根幹を作る道具として利用することはとても理にかなっていると感じた。また、文章作成時に図解を利用する利点はもう一つある。それは主張の軸を曲げることなく文章を作成することが容易になるという点である。このこともまた、図解の要点を抽出するという特徴からくる恩恵である。要点をはっきりと認識し意識しながら文章を作成することで、首尾一貫した論理を展開することができるのである。

今回の講義で学んだ事は、一つ大きなテーマが決まっていると、そこから色々な関連ワードが出てきて、図にしやすかった事。

今回の講義で学んだ事は、一つ大きなテーマが決まっていると、そこから色々な関連ワードが出てきて、図にしやすかった事。

文章やレポートを書く際にも、図解を用いて考えることで分かりやすくまとめることができる。文章やレポートを書く前に、図解を用いて考えることで、レポートのレイアウトを明確にすることができる。図解はレポートや文章の設計図だという言葉はその通りだと感じた。その図解による設計図を見ながらレポートを作成することで、自分の主張したいことや、文章の一貫性があるレポートになりやすいため、今後はレポートを書く前に、図解を用いて設計図を作ってから文章を構築していきたい。

深く考えて書くことができるので論理的にも書けるのだと気付くことができました。また、文章を書くときは骨格を決めてから図解で示して文章を書いていけば、普通に書いていくよりも論理的にかつ具体的に書くことができると学ぶことができました。

レポートを書くときは講義で学んだこととプラスにそこから自分自身でどう感じどう思ったかを書くことでレポートが綺麗にまとまり内容も膨らむと思う.

図解を行ってから文章構成を試みたら、非常にスムーズに書くことが出来ました。

図解を文章化することでレポートを書くのが上達すると思った。また一つの大きな要因の中から分岐して要因がどんどん増えていくため自己分析や事柄を解明するときには非常に役立つと考えました。

図解を文章にすると書くべきトピックが常にわかり、元々整理してあるので、思い付きで書いて時系列や接続がおかしな文章になりにくかったです。また、いろいろな項目の関係性についてもわかるので、適切な組み合わせができると思いました。特に今回は1つの項目についてだったが、図全体のような規模が大きくなるほど、文章が支離滅裂になりやすいので一度アウトプットして整理してから長い文章を書くとよいと思ったし、一見遠回りに見えるが結果的に短い時間でできるのではないかと思いました。

関連した内容が隣に書いてあるため、接続詞を上手く使ってつなげることができた。私が意識したことは、最初と最後に結論を持っていき、真ん中でその結論に至った過程を表した。

自分の言いたいことを設計しそれを図に起こすことで文に書き表せるからだ。なので、今後あるレポートや論文、卒業論文を書くときには、これを活用しようと思った。

図にすることで自然と鉛筆が動き長い文章を書くことができるということである。実際に図にしたものを文章にしてみると13行もの文章を書くことができた。レポートにしたらまだ短いものではあるものの図解時にメインテーマにした題材は2つだったため、2つのテーマのものを13行にできたのは発想力が豊かになったからと考えた。今の段階でも多くのレポートが課題になっているため、図を描いてより分かりやすい文章を作成していきたい。

先生の言っていた通り紙に文章を書いていると次第に考えがまとまり、ある程度自分が書きたい内容に近づいていった。

今回の授業では、設計図を決めて書くということを学んだ。今までキーワードを周りに書くという図しか描けなかったが、今回の講義によって違う書き方を学んだ。そして、図を文章にするということを今回初めて行い、良い経験になった。関係詞を入れることによってもっと良くなるということも理解した。

図解からレポートなどの文章に表すときに、図のような基盤があるか無いかでは書きやすさに大きな差があることが分かりました。ただ書くだけではなく物事を述べる順序をまとめてから、事柄を具体的にしていき骨格に肉付けを行うことで、話題を広げたり内容を濃くしたりすることができ、より高いレベルのレポートを作成することができると感じました。やはり多くの人がレポートなどで苦労したり、難しいものに対応できずにもがいていると思いますが、原点に戻って考えてみると如何に図の重要性や大切であるかということを改めて感じました。 

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ジム:スイミング600m

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「名言との対話」7月10日。戸塚洋二「能力のない者は、時間で稼ぐしかない」

戸塚 洋二(とつか ようじ、1942年3月6日 - 2008年7月10日[1])は日本の物理学者。東京大学特別栄誉教授。

2020年3月20日。品川から新幹線で橘川さんと意見交換をしながら新富士到着。富士箱根伊豆国際学会事務局長の鈴木大夢さんの車で富士宮へ。帰りがけに入った「富士川楽座」で思いがけず「戸塚洋二 ニュートリノ館」に遭遇した。

2002年にノーベル賞をもらった小柴昌俊を助けて、また同じく2015年にノーベル賞を受賞した梶田隆章(第1回戸塚洋二賞受賞者)らを率いてスーパーカミオカンデをつくった科学者だ。1998年に素粒子ニュートリノが質量をもつことを明らかにした。物理学と天文学の分野の歴史的な発見だ。文化功労者文化勲章を受賞し、ノーベル賞受賞の呼び声が高かったが、2008年に惜しくも早逝した。享年66。富士市名誉市民。

小柴は追悼文集で「あと十八ヶ月、君が長生きしていれば、国民みんなが喜んだでしょう」と、ノーベル賞受賞を期待されながらの死去を惜しんだ。

「新しいことへのチャレンジが大好きで、何事にも全力で取り組む研究者魂の持ち主だった。スーパーカミオカンデという観測施設で事故が起こったときに、あの人が再起に向けて皆を奮起させたエネルギーとリーダーシップは今も忘れられない。あの人が生きていれば、どんな新たな発見をしてくれたかと思うと残念でなりません」(梶田隆章
妻の裕子が語る。「主人は好奇心旺盛な研究者でした」「好奇心が旺盛で、私がミシンを踏んでいると、ちょっと見せてとそのミシンを分解する。花や樹木を見ると、何であの花はあんな形なのかと子どものような疑問を持ち、そのことを調べ始める。研究が好きで、現場が好きで、3度の食事より仕事という人でした」

戸塚は2000年にがんが発覚して以来、自身の治療経過を克明に分析するブログを綴っていた。その一部を掲載した「あと三ヵ月 死への準備日記」(文春08年9月号)は文芸春秋読者賞を受賞。戸塚はノーベル賞に最も近い日本人と言われていたが、2008年に不帰の客となった。梶田の兄貴分だった。ノーベル賞の受賞は寿命との競争という面がある。地震学の大森房吉、物理学の外村彰、ニュートリノの戸塚洋二もそうだ。

戸塚が死の間際まで書き続けていたブログの「科学入門」をまとめた『戸塚教授の「科学入門」』(講談社)を読んだ。

妻は「これから勉強することがたくさんあって楽しいよ。それにしても時間が欲しいよ」と語る姿を語っている。この本の最初に「最後のインタビュー」が掲載されている。東大教養学部立花隆ゼミの学生によるインタビューだ。

「歴史の勉強をもっとやればよかった」「能力のない者は、時間で稼ぐしかない」「なんで自然は採用しないんだろう?」「何か問題があったら、相談する」、、、

「環境問題をやってみたいな」というように二酸化炭素による地球温暖化問題に関心をを持っていた。国や地域によって熱心さが違う。温度上昇が一番高いのはヨーロッパで50年で5-6度上昇。バングラデシュあたりは人が住めなくなる。ロシアはシベリアが巨大な穀倉になる。アメリカとカナダも穀倉地帯になる。日本はまだいい方だ。

「これ(スーパーカミオカンデ)ができたらノーベル賞なんて一つどころか、三つも四つも来ますよ」と豪語していた戸塚洋二は、「大宇宙はかず限りないニュートリノを住まわせるが、大宇宙の中でニュートリノが果たしている役割はその片鱗さへ分かっていない」と死の直前の2008年6月1日に語っている。

「時間で稼ぐしかない」と言っていてそれを愚直に実行した戸塚洋二には、66歳という年月しか神から与えられなかった。 

戸塚教授の「科学入門」 E=mc2 は美しい!

戸塚教授の「科学入門」 E=mc2 は美しい!

  • 作者:戸塚 洋二
  • 発売日: 2008/10/31
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演説や公約をもっと読む人がいれば接戦になったのではと思いました。

橘川幸夫『参加型社会宣言』をめぐって著者との1時間のZOOM対談。

橘川幸夫『参加型社会宣言』をめぐって著者との1時間のZOOM対談。

 コロナ渦。渦。最先端と最前線。時代。情報化社会と情報産業社会。起承転結。起承転転。40周年周期説。定量と定性。合意術。何を遺すか。名言と言葉。未来フェス。参加。異人。合意術。編集。会社とは何か。、、、、。思いがけず真面目な対談となった。この映像は下記の対談と同じように後に公開される。

新しい文化の創造:YAMI大(私塾ネットワーク)。ZOOMジャーナリズム(ZOOMAG)。

vimeo.com

vimeo.com久米信行。https://www.youtube.com/watch?v=OPyCzFLr_eg

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大学:授業準備。

立川:「道場」というコンセプトで。

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「名言との対話」7月9日。ジャニー喜多川「すべて順調にいったことは、一度もない」

ジャニー 喜多川(ジャニー きたがわ、Johnny H. Kitagawa、本名: ジョン・ヒロム・キタガワ (John Hiromu Kitagawa)、漢字表記: 喜多川 擴〈きたがわ ひろむ〉、1931年昭和6年)10月23日 - 2019年令和元年)7月9日)は、日本実業家・芸能プロモーター音楽プロデューサー。

SMAP」や「嵐」など多くの男性アイドルグループを輩出した音楽プロデューサーでジャニーズ事務所社長

 一年前の7月9日に亡くなったとき、テレビが異常に盛り上がった。お別れの会では事務所の所属タレントら約150人が出席し、ジャニーズファン8万8千人集まった。国民葬の雰囲気だったのを不思議に思ったが、小菅宏『異能の男』(徳間書店)を読んで、謎が解けた。

米ロサンゼルス出身。第2次世界大戦後、真言宗の導師をしてた父のもとで美空ひばりらが訪米した日本の歌手らの活動をサポートし、芸能界と関わりを深めた。1962年にジャニーズ事務所を設立し、あおい輝彦ら4人組のジャニーズ(元祖)をデビューさせ、以後50年以上にわたり、歌って踊れる男性アイドルというスタイルを確立した。フォーリーブス、少年隊、光GENJISMAPKinKi KidsTOKIO、嵐などの人気グループ、郷ひろみ田原俊彦近藤真彦ら人気歌手を次々と世に送り出した。彼らは俳優や司会者としてもテレビ番組で活躍し、熱狂的なファンを獲得した。2018年のNHK紅白には5組が出場している。ジャニーは歌を見せる時代をつくった人だ。

「デビューはできるだけ遅くする」は、時代の欲求を見透かし、準備が整った絶好のタイミングをはかって鮮烈なデビューをさせて成功に導いていくという基本戦略をあらわす言葉だ。作詞家の阿久悠が時代という得体のしれない怪物と対峙していたという感覚と同じである。

男性アイドルグループのネーミングが独特だ。ジャPAニーズ、光GENJI、忍者、SMAPTOKIO、V6、KinkiKids、関ジャニ∞、KAT-TUN、Hey!Sey!、JNMP、Kis-My=Ft2、Sexy Zone、A.B.CーZ、King&Prince、、、、。意味不明な感じがするが、それがまかりとおっているのは不思議な景色だ。

 以下、ジャーニーの言葉。「人間には優劣に関係なく、生まれ持った「ポジション」というのがあると思う」「まず現場に出て、そこで学べ」「本来の才能は三十代、四十代になって花開く。大事なのはそれまでのスピリット(持続力)をどうやて昇華させているのが分かれ道」「YOUたちはずっと生きた花でいなさい」「 可能性のあるなしに関係なく、夢を描くこと」「YOUがCANと思うならDOすればいいじゃない!」

「ボクは十一、二歳の写真を見て、その子の三十代、四十代が分かる」という慧眼を持っていたジャニーは「チャート1位を獲得した歌手を最も多くプロデュースした人物」など3つのギネス世界記録の認定を受けている。芸能界でこれほどの成功をおさめた人はいないのではないか。そのジャニーにして「すべて順調にいったことは、一度もない」のだから、われわれの日常がトラブルの連続なのは当たり前だ。

 

 

異能の男 ジャニー喜多川: 悲しき楽園の果て

異能の男 ジャニー喜多川: 悲しき楽園の果て

  • 作者:小菅宏
  • 発売日: 2019/03/08
  • メディア: 単行本
 

 

 

 

 

「フォト川柳」の本が進行中。

 「フォト川柳」の本(川柳:不良長寿(松田俊秀)。写真:久恒啓一)の企画が進行中。100本100枚が目標。楽しみながら進めよう。

https://www.instagram.com/hisatune/

宝くじ億の細道狭き門

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この頃は自転車操業まだもつか

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新緑に二人の誓い萌えている
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https://www.instagram.com/p/CBkQifSgZsl/  噴水に夢をみている我が子かな

https://www.instagram.com/p/CCQtBydA-TP/ スーパーの値札めぐりでウォーキング

https://www.instagram.com/p/CBzp0F8AneG/カメラ手にソーシャルディスタンスいい景色

https://www.instagram.com/p/CBzp21TAhS_/  都知事選盛り上るのはネットだけ

https://www.instagram.com/p/CBEnaNUgeTG/ 丸投げをしたいができぬ五十肩

https://www.instagram.com/p/CAj2lNtAAzt/  花見まで奪ってしまう新コロナ

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「いきいき健康川柳」(東京都後期高齢者医療広域連合)

  目覚ましのベルはまだかと起きて待つ(山田宏昌)

  生きがいは何かと聞かれ「生きること」(山田和一郎)

  歩幅減り歩数が増えた万歩計(中川曙美)

週刊文春」6月11日号

  地下鉄の乗り換えできて都会人(高橋直子

  乗り換えた船もやっぱり沈んでく(佐々木直美)

  乗りこなせず乗り換えできず一つ屋根(霜田正子)

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「ZOOM革命」講座の動画の勉強。

  • レッスン型・ニコ動型・ワークショップ型。反転授業。課題動画ツール。メール配信システム。決済のしくみ。
  • プラットフォーム。チャットツール。反転動画作成のコツ。ZOOM講座の開き方。スクールタクト。録画。コミュニティデザイン。オープニング・各週の取り組み。振り返り。脱落防止。集合知

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「名言との対話」7月8日。竹村健一「マスコミが、芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、執拗に報道している時は注意しなさい」

竹村 健一(たけむら けんいち、1930年(昭和5年)4月7日 - 2019年(令和元年)7月8日)は、ジャーナリスト、政治評論家。

大阪生まれ。フルブライト奨学金制度の第1号として、アメリカ合衆国のシラキュース大学、イェール大学、ソルボンヌ大学で学ぶ。シラキュース大学大学院新聞科修了。

毎日新聞社の英語新聞「Mainichi Daily News」の記者を経て、「山陽特殊鋼」、「追手門学院大学英文科」の助教授、「拓殖大学客員教授などを務める。その後、マクルーハンのメディア論の紹介で注目され、文筆活動を開始する。

60年代後半から評論活動を本格的に行い、フジテレビ系「竹村健一の世相を斬る」の司会などを担当。日本テレビ系「世相講談」のアシスタントは現東京都知事小池百合子だ。パイプを銜えた独特な風貌や口調でも有名で、多くの芸人が物真似芸を披露している。政治や外交、経営など幅広く論じた。著書はベストセラー「マクルーハンの世界」など500冊以上ある。喋ったことをテープに録音してそれを原稿起こしをしたり、新聞の切り抜き記事を編集者にリライトさせながら大量の本を世に出した。1981年には36冊を出版するという量産ぶりだった。80歳で現役引退。89歳で死去。

この人の主張はよく聞いたし本も読んでいる。今回、2010年の80歳の時に書いた『先見力』を読んだ。余暇の過ごし方にも熱心で、仕事もしたが、遊びの達人でもあった。ホモ・ファーベル(作る人)、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)、ホモ・サピエンス(知恵のある人)という言葉を紹介している。ヨットは20代で所有した。1000万円を20人で割り50万円で入手している。50歳でテニス(ゲーム性)を始め、57歳でスキー(スピード)、58歳でスキューバダイビング(アドエンチャー性)に取り組んでいる。旭川にスキー、麻雀、テニスのためのリゾートマンションを所有していた。

「適度に楽観的であれ」を信条とし、何ごとも60点主義であり、人の3倍生きることを目指していたそうで、この人の人生は250年以上という勘定になる。「人間の大きさはプライドに比例すると思う」という。これはプライドが大きければ人による毀誉褒貶は気にならないという意味である。

人脈は器量で決まると考えており、「自分だけの「頂上」を目指そう」として、政治家への要請は断っている。年齢によるバリアはなかったようで、年下の友人・知人に学ぶ姿勢は際立っていた。寺島実郎さんが「新経済主義宣ー政治改革論議を超えて」(「中央公論」1994年2月号)で石橋湛山賞を受賞したパーティでは「私が新しいことを言ってるとしたら、全部この人のおかげです」という正直な挨拶で驚いたことがある。

「マスコミが、芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、執拗に報道している時は注意しなさい」の言葉には「国民に知られたくない事が必ず裏で起きている。そういう時こそ、新聞の隅から隅まで目を凝らし小さな小さな記事の中から真実を探り出しなさい」と続いている。この今もなお、この教訓はそのまま生きている。

 

先見力 老いてこそ至福

先見力 老いてこそ至福

  • 作者:竹村健一
  • 発売日: 2010/05/11
  • メディア: 単行本

 

   
 
 

 

 

日本未来学会の7月のオンライン研究会の発表の準備。ヨガ。ジム。zoom革命講座。

日本未来学会のオンライン研究会の発表の準備。

梅棹忠夫著作集の全体像」。「文明の生態史観」。「文明の情報史観」。「日本文明」。「1970年の大阪万博」。「2025年の大阪万博への示唆」。以上の構成でまとめてみよう。

日本未来学会7月オンライン研究会。

発表者:久恒啓一。タイトル:「生誕100年ー梅棹忠夫からのメッセージ」。日時:2020年7月24日 19時半―21時。誰でも参加可能。 以下のメルアドmiraigakkai@ifeng.or.jpから「事前登録」を。所属と名前を記入。

 当日の参加URL。https://us02web.zoom.us/j/85737149617

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朝:ヨガ:3か月ぶりにヨガ教室が復活。

夕:ジム:スイミング300m

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「ZOOM革命」講座の4回目。

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「名言との対話」7月7日。ハーマン・カーン「未来学(フューチョロジー)」

ハーマン・カーン(Herman Kahn、1922年2月15日 - 1983年7月7日)は、アメリカ合衆国未来学者ハドソン研究所創設者。

ランド・コーポレーションを経て、1961年に独立してハドソン研究所を創設し、各国の民間や政府機関のコンサルタントや大学講師を歴任する。社会開発、政治、社会、技術、文化に関する予測、核戦略や安全保障にも取り組んだ。未来学者として日本でも有名になった。

1970年の『超大国日本の挑戦』、1978年の『それでも日本は成長する』、1980年の『大転換期』などが話題になった。

超大国日本の挑戦』(坂本ニ郎・風間禎三郎訳。TBSブリタニカ)では、2000年前後には日本は世界最大のGNPとなる。そして核大国の道を歩み、「21世紀は日本の世紀」と断言し、日本でも紹介された。

 今回、それから10年経った1980年刊行の『大転換期』(風間禎三郎訳)を読んだ。1800年から始まった工業化は、2000年から脱工業時代へと入り、2200年で近代化が完成し、大転換が終了すると予想している。近代化の測定には、GNPと一人当たりGNPが有用だとしている。日本は江戸時代に末期には。商品市場が整備され、識字率も高いという近代的な特徴を備えていたから工業化に成功したと分析している。この書では特に2000年までの時期に焦点を合わせており、オイルショックを経た1980年には、日本は自信の喪失、状況把握能力の喪失、問題解決の方法の無知などがあるものの、社会の結合力という強みがあると楽観的だった。その強気の予想には、日本社会は半信半疑の様子だったが、メディアではよく紹介されていた記憶がある。

ハーマン・カーンは未来学(フューチョロジー)を提唱した。釣り合いのとれた見方、現実に即した基準の設定、エリート集団に活気を注入、遅れてきたものは待て、旧制度の痕跡を排除、社会全体に活気を注入。以上が未来学の発展のイデオロギーだ。そして大切なことは、国、集団、人々に、平和的手段によって実現される未来に利害関係をもたせることだと語っている。

それから数十年たった現実の未来はどうなったか。1990年代初頭に起こったバブル崩壊による低迷はあったものの2000年時点では日本はGDPは2位を確保している。日本は2000年代に入って急速に存在感の低下が進行中で、2010年には中国に抜かれて3位となった。中国は2018年には日本の2倍、2040には年6倍になるとの予測もある。カーンの予想する「21世紀は日本の世紀」というバラ色の未来は、2020年時点でふりかってみると、実現してはいない。

だが、未来学はカーンの影響を受けた坂本二郎らにより紹介され、梅棹忠夫、林雄二郎、小松左京らが1966には未来学研究会をつくり、1968年には日本未来学会が創設され、もう50年が経っている。私もこの学会に関与しているから、ハーマン・カーンの未来を予測しようとする意志の影響下にあるともいえるだろう。

大転換期 (1980年)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

月刊「致知」8月号「鈴木大拙」特集がいいーーアーチスト・オブ・ライフ。生命は「墨絵」。えらい人。

月刊「致知」8月号(2020年)は「鈴木大拙」に大特集で読み応えあり。

大拙を語る登場人物の人選が素晴らしい。西村恵信、岡村美穂子。大熊玄。蓮沼直應。そして西田幾多郎、朝比奈宗源、エーリッヒ・フロム、バーナード・リーチ、松田章一、小川隆、木村宣彰、浅見洋、竹村牧男、横田南嶺。8p-71p。

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  • われわれはみな、生きることの芸術家(アーチスト・オブ・ライフ)として生まれてきている。文学や芸術のほかに、人間の生活そのものが、詩となる。文字に出る詩人だけでなく、我ら人間の一挙一動がことごとく詩になり、芸術的に美しいものとなる。
  • 生命は「墨絵」である。ためらうことなく、知性を働かせることなく、ただ一度かぎりで描かねばならぬ。
  • 真黒になって、黙々として、朝から晩まで働き、時節が来れば、「さよなら」で消えていく。このような人をえらい人と、自分はいいたい。
  • 一歩一歩上がれば何でもないぞ。一歩一歩努力すれば、いつの間にか高いところでも上がっている。
  • 人間には、他の生物と違って大悲というものがなくてはならぬ。
  • 自らによる、それこそが自由だ。
  • まだまだだぞ。
  • 実現せられんから追求せんのではない。実現せられんから追求する。
  • 人生は、どう論じようとも、結局苦しい闘争である。だが、苦しめば苦しむほど、あなたの人格は深くなり、そして、人格の深まりとともに、あなたはより深く人生の秘密を読みとるようになる。
  • 人生は万物の基礎である。人生を離れて何者も存在し得ないのである。…、星の観察者は今なお固い地上を歩いている。
  • ほんとうの祈りというものは、叶うても叶わんも、むしろ叶わんということを知りつつ、祈らずにおられんから祈るというのがほんとうの祈りで、祈るから叶うという相手に目的を置いて祈るのでは、ほんとうの祈りではない。
  • 人間の一生は不断の努力であり、永劫に聞かれぬ祈りであり、無限に至り得ない完全性の追求であるといえるのです。
  • 人間は完全なるものに向かう終りなき戦いです。
  • 自分たちは結婚生活の目標を東洋思想、東洋の心の動き、感情と言うべきものを欧米各国の国民に宣布することに定めた。
  • 世界人としての日本人。
  • ノー。ナッシング。サンキュー。
  • 依頼心を捨てよというのが(釈迦の)最後の説法であった。
  • ただ滅茶苦茶にはたらくのだ。はたらいてはたらいてはたらきにくのだ。
  • 日本的霊性法然親鸞の世界を描いている。阿弥陀仏の絶対無条件の大悲によって、この身このまま救われる。禅と浄土宗は一つに結ばれるところがある。これが日本的霊性である。
  • 十分にこれ(苦)を味わっていくべきものと思います。
  • 仏教の中で最高峰は華厳理想だ。
  • コツコツとやっていく。そうすると、自分とやることと一つになる。
  • (内面的生活が十分に働かぬから)どうしても吾等は年を取らねばならぬ。
  • 計らひを離れるというのは、仕事にわきめを振らぬと云う義である。

大拙は自分の肩書を「 」ではなく、「執筆家」としていた。

西田幾多郎「君は最も豪そうでなくて、最も豪い人かもしれない。私は思想上、君に負う所が多い」「これがよくもあしくも「私の生命の書だ」といって神の前に出すものを書きなさい」。

「分りたい一心」から始まって、次に「伝えたい一心」へと変わっていく。最初が大智。次が大悲。

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大学:秘書と打ち合わせ。動画編集ソフト「フォト」。

電話

・日経の中澤さん。八木さんとの面談の報告。

・民博の三原さん。10月のイベントの方向についての報告。別途、文書。

・猪俣さんの単著の表紙について。

 夜はデメケンのZOOMミーティングに参加。

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「名言との対話」7月6日。ルイ・アームストロング「途中であきらめちゃいけない。途中であきらめてしまったら得るものよりも失うものの方がずっと多くなってしまう」

ルイ・アームストロング1901年8月4日- 1971年7月6日)は、アフリカ系アメリカ人ジャズミュージシャン

フランスの植民地として築かれた、ミシシッピ河口のニューオリンズ。ミュージシャンになるのは黒人少年の夢だった。

抜群の音感。分厚い唇。大きな口。丈夫な歯。逞しい身体。強靭な横隔膜。ルイはトランペット吹きの条件をすべて備えていた。ジョー・オリヴァという伝説の奏者との出会いによって、ニューオリンズ一のコルネット吹きになっていく。

奴隷として連れてこられた黒人たちから生まれたブルースを、夜の街の娼婦も、荒くれ男たちもうっとりと聴く。黒人たちの魂の歌だ。ルイは、コルネットから始まり、世界一美しいダミ声といわれたボーカリスト、トランペット吹きとして大活躍をする。

ユーチューブで4曲を聴いてみた。「キッス・オブ・ファイア」は、初期のヒット曲。「この素晴らしき世界」はベトナム戦争への嘆きから生まれた曲。「ハロー・トーリー!」はビートルズの3か月連続1位の記録をストップさせた映画の主題曲。代表作「聖者の行進」(聖者が街にやってくる)は黒人霊歌。葬儀場から墓地までは静かに、墓地からの帰りは明るくとい風習があった。何とも言えない人懐っこい笑顔、庶民的な表情、実に楽しそうに歌い、演奏する姿を堪能した。

ルイ・アームストロング 少年院のラッパ吹き」を読んだ。その中から同時代の人たちの声を聞いてみよう。マイルス・デイヴィス「ルイのやることはすべて正しいよ。ルイがいなかったら、オレは何もできなかったと思うね」。セロニアス・モンク「ジャズと自由はともに行進する」。チャーリー・パーカー「音楽は体験であり、思想であり、知恵なんだ」。

そして日本人の日野皓正は「彼は自分のやるべき使命を天の声で聞いていたんじゃないかな」「サッチモはサインするときにさ、ライス&ビーンズって書いたでしょ。僕は初心忘るべからずって解釈している」と語っている。

以下、語録から。

「考えてごらんよ…24時間一流ミュージシャンの誰かしらがプレイしていたんだぜ」「20年代初期のシカゴでは、みんなミュージシャンには敬意を持って接してくれた…まるで神さまのような感じだった」「一日に百万ドル稼ぐようになったとしても、これまでとは違う自分になろうなんて思わないさ」「俺は有名になることに興味はない! 世間が騒いでいるだけ。そんなの俺じゃないぜ。俺はただ吹くだけ」「俺は高い台の上に立とうなんて思わない。自分のやっていることをありがたく思っているだけ。俺にできるのは感じるままにプレイすることしかないと思う」「本当に大切なのは観客の為に懸命にやること。だって俺は人々を喜ばせる為にいるわけだからさ」。

 人類は神によって異なる言語に分断されてしまった。その絆を回復するのが音楽だ。ルイ・アームストロングは、自然発生的なジャズに、正しい音でではなく、自分なりの音でいいという個性的表現という方向性を与えた。今日に続くジャズの歴史を変えたのだ。彼がいなかったら、ジャズの歴史は変わっていたに違いない。そしてついにジャズの父、ジャズ・ヴォーカルの父となったのだ。一人の力で歴史が変わる。

参考「ルイ・アームストロング 少年院のラッパ吹き」(メディアファクトリー

 

 

 

 

 

 

 

動画編集。八木さん。野田先生。

「ZOOM革命」講座の動画作成とフォトによる編集にチャレンジ。トリミング、BGM、テキストなど、いくつか技を覚えた。

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府中の八木さんの自宅を訪問。

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野田先生と電話。13日の週に訪問。

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「名言との対話」7月5日。池田弥三郎五臓、その職を忘るる時」

池田 彌三郎(いけだ やさぶろう、1914年12月21日 - 1982年7月5日)は、日本国文学者民俗学者随筆家

銀座天麩羅屋"天金"の次男として生まれる。慶応義塾大学文学部国文学科在学中から折口信夫の指導を受け、地方の民俗や芸能調査の旅をした。5年間の軍隊生活ののち、1947年から慶応義塾大学講師、1961年教授となり、定年退職。研究対象は日本文学、民俗学、芸能史などにわたる。折口信夫の学風を継承し、優れた業績をあげた。随筆、NHKの解説など、多趣味で多方面に活動の分野をもった。慶応退職後は、富山県洗足学園魚津短大の教授となった。67歳で死去。

『私の食物誌』(岩波書店)を読んだ。有名だった粋人の日常と素顔がみえる作品だ。毎週6日間、800字で300の原稿を書き続けて完成した本である。食の民俗誌、暮らしの中の食物の記録であり、なかなか面白かった。毎日書き続けるということの凄みを感じたが、本人は楽しく書き綴ったそうだ。

「1月19日は復員記念日」。「ものを食べ合うといことは、同族になること」。「上の部に属するたべ物屋では、高い安いは言わぬことである。そして中の部以下のたべ物屋では、うまいまずいは言わぬことである」。「岡山よいとこ」。「クラスの女の子たちは、べんとうのふたでなかみをかくしかくしたべていた」。「生卵の食べ方」。「天竺浪人がふらりと江戸にやって来たから天麩羅」。「くだざさいな」。「おあいそ」。「かつおはたたきがいい」「夜鰹」。「どぜう」「江戸名物の第一はうなぎだけ」「テキとカツ」「箸が持てる、持てない」。たん「こと始めは12月8日、2月8日はこと納め」。「誕生日に忘年会」。「食物の通だと言われることはつらい」。

有名人のエピソードがよくでてくる。折口信夫「無類の食いしん坊」「どうせみんななしくずしに、たべ物にあたって死んでいくのさ」「お茶が好き」「アユが好き」「鍋を囲むのが好き」。福沢諭吉「食事中、お行儀が悪かった」。「啄木は食物の香りを歌った歌人である。味噌を煮る香。酢のかおり。葱の香」、、、。

このエッセイ集には「湯豆腐や。持薬の酒の一二杯」などの俳句や短歌、「初鰹りきんで食って蚊にくわれ」などの川柳が紹介されていて、味わいを深めている。

五臓、その職を忘るる時」とは、白隠禅師が健康のありがたさを語ったものだそうだ。五臓」とは、・心「六腑」とは、小腸大腸膀胱三焦を指す。白隠の「五臓」は内臓全体を言っているのだろう。深酒が胸に残らない、前日食べた物が腹にたまっていない。さらに頭痛がない、腰もだるくない、足がいたくない、、、など体全体も指すのかもしれない。内臓だけでなく、体のあらゆる部分の存在を忘れているとき、私たちは爽快な気分になる。このことは身体だけでなく、精神にもいえる。時間を忘れるとき、充実した時間を過ごしているのである。 

私の食物誌 (同時代ライブラリー (226))

私の食物誌 (同時代ライブラリー (226))