林真理子:「何も書いていない」、「まだ代表作は書いていない」「まだミリオンセラーを書いていない」、そして「まだまだ、頑張ります!」

NHK「あさいち」で作家の林真理子の語りをみました。

「何も書いていない」、「まだ代表作は書いていない」「まだミリオンセラーを書いていない」、そして「まだまだ頑張ります!」と、迫力と気合に満ちた発言をしていて感心しました。

 28歳の処女作「ルンルンを買っておうちに帰ろう」でブレイク、32歳で直木賞を受賞している。今回調べてみて驚いたのは、作品を書き続ける継続力、持続力の強さです。

数えてみると1980年代は単行本だけで48冊、1990年代は43冊、2000年代は52冊、2010年代は50冊と、計193冊を積みあげており、共著や翻訳を入れると200冊を越えている。40年間にわたり年に5冊のペースで話題作を生産している計算になります。

その林真理子にして「何も書いていない」というのは凄いことです。つまり生涯を代表する傑作、歴史に残る最高の作品にはまだ届いていないという認識です。60代半ばという年齢は、「青年期」(50歳まで)、「壮年期」(65歳まで)を過ぎて、私のいう「実年期」(80歳まで)にさしかかったところということになります。

「生活、人生、生命」というライフという言葉から眺めると、日々の営みが生涯を代表する作品につながり、その作品を通じて永遠の命を持つというストーリーをみている人だと感じました。ライフワークを意識した人です。

林真理子の名作読本 (文春文庫)

林真理子の名作読本 (文春文庫)

 

今までこの人の本はきちんと読んでは来こなかったのですが、『林真理子の名作読本』(文春文庫)についてブログで書いているのでアップしてみました。

東西の54冊の名作とそれを書いた作家を論評するという代物で、面白く読みふけってしまった。一冊について原稿用紙5-6枚のクレアでの連載をまとめたものだが、この作家が女性に人気が高い理由がよくわかった。目線は高いが、読者の女性と同じ女性としての作家や主人公への深い視点が共感を呼ぶのであろう。こういうエッセイ的な文章は本音がでる。

女性の生き方、年の取り方に関する考え方や智恵が記されており、同じ職業を営む作家に対する尊敬と共感と同情、そして深い人間観察もあり、読みながら確かな手ごたえを感じる本だ。

「生きていることが芸術」だった白洲正子。「古きよき時代のつつましく美しい日本人」を描いた池波正太郎。本物の自由と孤独をじんわりと味わう幸福をしっていた林芙美子。「隠れ技の天才」向田邦子。、、、。

林芙美子「放浪記」を論じた冒頭は「昔も今も、日本の男というのは、野心的な女が嫌いである。」との断定から始まる。宮尾登美子「櫂」では「宮尾登美子氏の本を、あなたがまだ読んでいないとしたら、それはとても不幸なことである」も同様だ。「宮部みゆき松本清張の長女である」。
この人の文章にはあいまいな物言いはなく、「のだ」「である」などの文末が多い。この断定が読者を魅了している。断定される快楽である。

三島由紀夫鏡子の家」などでは「これはまさしく私のことではないか」と驚きを示す。小説の愉しみには、自分では表現できない感情や本音を代わりに表現してくれ嬉しくなることがある。林真理子のこういう感情は、彼女の愛読者の感情でもあるだろう。

ここにあげた本は林真理子が好きな本である。なぜ好きかというところを見ていくと、「静けさに終始」「静謐を保ち」「清潔」「ピュアなもの」という言葉が目につく。表面的な風俗や事件を描きながら、冷徹で静かな作品が好みのようだ。

小説の登場人物には、読者の自分が投影される。平穏な人生を歩む自分のなかにある性的、金銭的な危険さ、危うさをさぐりながら読んでいるのだ。読者は共感しながら疑似体験をしている。

以下、私にも参考になったところ。

フィクションは作家で選ぶのに対し、ノンフィクションはテーマで選ぶのが正しいそうだ。そしてノンフィクションでもあるルポルタージュの肝は比喩にあるとする。比喩こそは作家の価値を高めるキーワードでもある。

「見たことや体験したことをだらだらと書くことは、誰にも出来る。桐島(洋子)さんの凄さは、自分の見たものを分析し、それを実に的確な言葉で組み立て直すところにあるのだ」は、心したい言葉だ。

「作家というのは書き続けることによってしか、過去の栄光の重圧に耐えるすべはないのだ」と言い、しだいにずぶとい神経ができあがっていく。それが「成功の咀嚼」の方法である。 

グラビアの夜 (集英社文庫)

グラビアの夜 (集英社文庫)

  • 作者:林 真理子
  • 発売日: 2010/01/20
  • メディア: 文庫
 

  「グラビアの夜」(林真理子)。編集者・スタイリスト・ヘアメイク・カメラマン・マネージャー・モデルら現代の若者の心情と生活、生態を林真理子が達者な軽い筆致で描いた作品。現代の気分を上手に表現しているので、共感を呼ぶだろうと思う。林真理子が若い人に人気があるのも当然という気がする。

 林真理子にはなんどか縁があります。

JAL広報部時代に取材のために、ご自宅にうかがったことがあります。また、「自分史フェスティバル2014」という二日間にわたった大きなイベントで、第1回では基調講演、第2回は「自分史オンステージ:書籍部門」という自分史を出版した人たちの発表である書籍部門のコメンテーターという役割で、コメントを交えながら自分史の意義と意味について講演を行ったことがあります。会場に林真理子さんががいて取材をしていて、その日の朝日新聞夕刊には1面にこの大イベントの様子と彼女のコメントが載っていました。

この作家にあらためて注目したいと思います。

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20時から24時まで深呼吸学の講義に参加。20人ほどの受講生と一緒に橘川節を堪能し、平野、田原、そして20名の時代を感じる男女の発言に刺激を受けました。

参加型社会。未来のトシ。ムーブメント。同人雑誌。市民クリエーター。学ぶ人生から育てる人生へのシフト。選ばれる自分から選ぶ個人へ。バンド。民主主義。メタヒューマン。AI、VR、ブロックチェーン、学際。メタヒューマンクリエーター。better。粘菌。ミニコミ。深呼吸小説。同じタイムライン。みるものだけをみる。

あの後、何時までつういたのかな。わたしは24時に終えました。

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「名言との対話」5月1日。宗左近「何かに縋らなければ、人は自分を救えません。わたしを助けてくれたのは、詩でした」

宗 左近(そう さこん、1919年5月1日 - 2006年6月20日)は、詩人評論家仏文学者であり翻訳家

2019年に「名言との対話」6月20日宗左近「山がはじけた 海がさかまいた 吊り橋はねた 青空さけた きみたち死んだ おれたち生きた 」という以下の文章を書いた。

 宗左近が選んだ詩とその解説書『あなたにあいたくて生まれてきた詩』(新潮文庫)を読んだ。以下、印象に残った詩をあげてみる。

「ルームライトを消す スタンドランプを 消す そうして 悲しみに灯を入れる」「おばあちゃん おはなみにいって さくらのはなが ごはんのうえに おちてきたら どうしたら いいの」「ふるさとには なんにも ない 山と 川と 空のほかには だけど 母さんがいる ふるさとには なんでも ある 夢と 友と 思い出がある だけど 母さんが いない」

2014年、生まれ故郷である北九州市戸畑図書館内に「宗左近記念室」がオープンした。2016年、市川市に詩碑が建立された。2017年、「宗左近・蕊の会」が設立され活動を続けている。市川市の名誉市民でもあることからわかるように、深く地元に影響を与えた人だった。

宗左近岡本太郎縄文土器論』に衝撃を受け、縄文土器に強く惹かれていた。宗左近が作詞した縄文ラプソディの「滝壺舞踏」の映像をみた。ピアノの伴奏にのった力強い男性合唱と、エネルギーに満ちた詩に感銘を受けた。「山がはじけた 海がさかまいた 吊り橋はねた 青空さけた きみたち死んだ おれたち生きた   石が泳いでくる 雲が喘いでくる 星が溺れてくる 月が割れてくる、、、」。鎮魂の「祈り」である。

今回は違った角度からさらに深掘りしてみたい。

あらためて調べてみると、詩集は46冊にのぼる(詩選集を除く)。1987年から亡くなる2006年までの間は、年に1冊以上のペースで出版していた(1994年は3冊)。処女詩集の『黒眼鏡』が出版されたのが1959年で、この後1985年までに出された詩集が16冊であることから、晩年の創作の旺盛さがうかがえる。

『私の死生観』(新潮新書)を読んだ。正統的な人生ではなく、縄文人大東亜戦争末期の親しい死者に取り憑かれている列外的人生を送る人の「列外人生死生観」だ。

 「 何かに縋らなければ、人は自分を救えません。わたしを助けてくれたのは、詩でした」。「自由、平等、博愛」の理念が失われたのが「地獄」であり、戦争時代だった。

「地獄」について源信『往生要集』の要点を詳細を記している。この機会に源信から地獄について学んでみよう。源信は942年に生まれ75歳で1017年に死去した学問僧で、74部150巻の著作を書いた。その主著が『往生要集』で、内容は経典、先人の著作など160数部の文献の952の文章の引用、孫引きである。浄土思想のエッセンスが集められた名著で、日本人の死生観を養ってきた重要な作品である。

三界(精神の「無色界」、清らかな「色界」、性欲と食欲の「欲界」)は安きことはない。人間が住む「欲界」には、六道(迷い)と呼ばれる「地獄」「餓鬼」「畜生」「阿修羅」「人」「天」、そしてそのまとめがある。地下の牢獄である地獄は8つあり、「等活」「黒縄」「衆合」「叫喚」「大叫喚」「焦熱」「大焦熱」「無間」の順序がある。ここは人間の処刑場だ。

源信浄土教の教義の体系化を成し遂げた人だ。世界観、哲学の宗教から、「極楽か、地獄化」という選択を迫る実践倫理を提出した。それでは「極楽」とは何か。五感ですべてを感じる世界だ。西欧の天国には階級があるが極楽院にはない。天国は遠近法絵画で、極楽は細密描写だ。天国は精神の歓喜、極楽には感覚の楽しみがあるなど現実感がある。源信の思想は仏教の日本化す勧めた革命だった。

以上を勉強したのだが、「死生観」を持つためには、日本探検として『往生要集』を読まねばならないようである。 

私の死生観 (新潮選書)

私の死生観 (新潮選書)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜:品川の大学院で2回目の授業。朝:自宅で「女性セブン」からのリモート取材。

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品川:人出は少ない。マスクは必需品。

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 大学院「インサイトコミュニケーション」の2回目の授業。以下、受講生の「学び」。

  • 前回は、人による「情報の受け取り方」の違い。今回はそれぞれの「発信の仕方」に違いがあることがよく解りました。面白い!他の方の図を見せてもらうことも勉強になります。描いた図に意見をもらって修正をしていくと、たしかに良くなりました。意見をもらうことも大事です。暫くは、意識して図にするようにします。次回が楽しみです。ありがとうございました。
  • 久恒先生、皆様。本日はありがとうございました。下記講義所感を記載させて頂きます。図=鳥の目、文章=虫の目といったポイントが非常に印象的で、文図の往復をすることでより相手に伝わる表現になることを学びました。相手に100%の想いを伝える為に今後の講義を通じて鍛えていきたいです。演習では文章から入る情報を自身で咀嚼し、どれが最も重要なのか、どういった繋がりがあるのかを深く追求する重要性を学びました。今後の演習ではビジネスシーン(具体的には得意先の商談、経営層へのプレゼン)を想定し、いい意味での緊張感を持って取り組んでいきたいと思います。皆様の気付き、先生とのやり取りで一人で考える時より、何十倍もの気付きがあり、本当にあっという間の3時間でした。GW期間中は外出できませんので、本や新聞から「要点」、「本質」を掴む自主練に励みたいと思います!次回講義も宜しくお願い致します。
  • 久恒 啓一先生 4/30学び&感想。図解が単なる図にならないように、講義の中で先生が仰った「正しくなくてもいい。自分の理解を図にする。」「図解は思考法」ということを忘れないようしたいと思います。【学び】・図も箇条書きも文章も表現法。それぞれに得意とするところがある。図は全体像に適していて、文章は詳細を表現するのに効果的。・文章で書かれていることを行間も含めて自分で理解したことを図解する→文章を超える・わかりやすい図解を書くポイント(テクニック面)-同じレベルは同じ図形を使う-矢印には関係性を添える-太さや色、線の種類などを変えて、大小・関係・重なりを表現する-色々な図からアイデアを盗む→自分の型を破る。以上
  • 1.授業での学び:図解するとき、文章の要点は必要であり、後は図解を日常的に使うのも大事だと言うことが分かりました。 矢印、絵、数を使うとよりインパクトの強い図解を描けると言うことが分かりました。2.授業感想: 図解で本書かれたところびっくりしました。図解がある日本史教科書は学生さんにとっては覚えやすいと思います。これから歴史課程に嫌な学生は少なくなるかもしれません。2.クラスメート達の描いた図解はきれいだし、内容も豊富し、大変勉強になりました。 日常的の図解を見て、難しいとは思わなかったんですが、実際に描いて見て、手はなかなか動けないほどだった。要点と要点の繋がりを探しにはロジック能力は必要かなぁと思いました。 皆様は本当に親切です。激励してくださったところありがとうございます。3.疑問:今回の授業、新聞についての図解なんですが、新聞の準備どうすれば宜しいでしょうか。お願い:日本語はまだまだなので、もし文法や言葉の間違いがあったら、教えていただけませんか。よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生。先ほどは授業に参加させて頂きありがとうございました。初回の授業は、図解にすることは文章を読むより内容を理解することでき、わかりやすくなるということを学びましたが、今回の授業では理解することだけに留まらず、より深く考える手段になり得るということを学ばせていただきました。また、先ほど感想でも述べさせていただきましたが、皆さんの図解を見ることで、自分の考える力が乏しく、図解の表現が単調になってしまうことも痛感させれました。日頃から図解を使って深く考えることを習慣にし、より多彩な表現ができるように日々頑張りたいと思います。次回の講義も宜しくお願い致します。
  • 久恒 啓一先生。本日の授業の感想をお送りいたします。文章を文字通り読み図解にするだけでは、文章を深く理解するとは言えないのではないでしょうか。文字にはなっていない行間を読む力が必要なのではないでしょうか。文章のみならず、日常のコミュニケーションにおいても本音と建て前があり、言葉の真意を理解するには行間を読む力が必要です。図解コミュニケーションでは文章を図解にする訓練をしていますが、この訓練の先には相手の言葉を頭の中で図解にし、日常のコミュニケーション力の向上につながるのではないかと思いました。また、解釈においては「間違うこと」「人と理解している内容や物の見方の視点が違うこと」に不安を感じておりました。しかし、本日の講義のなかで「解釈は違って当たり前」という話があり日本人特有の「正解はひとつ」「同調行動」という民族性が日本人の想像力を弱体化させているのではないかと不安に思いました。次回の授業まで、図を描くことを意識的に行っていきたいです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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同じ時間に講義をしている橋本大也さん(デジタルハリウッド大学)に「全集」1・2巻を差し上げた。FBに書いていただきました。「多摩大学大学院の授業『先端ITイノベーション』を講義するため品川キャンパスへ。学生はいないオンライン授業。入ると机の上に分厚い本2冊とホワイトボードにメッセージが。同時間帯で授業の久恒先生にご著書の最新刊を献本していただいたのでした。『図解コミュニケーション原論』と最新の『図解コミュニケーションの技術』。先生の教室へマスクをして入り、距離を取って少しだけ雑談。これだけ厚い本を出したばかりなのにまだまだ出す予定とのこと。久恒先生はブログ含めて毎日の執筆量が尋常ではないので簡単に本になってしまって羨ましい。私もあるテーマで今、本を書きはじめてますと報告。久々にリアルで人と話せるのは嬉しい。帰りの電車、久恒先生の図解コミュニケーションの本が面白い。アイデアを図にする、それを伝達する上で、効果的な方法が網羅されている。熟読してレビューします。オンライン時代に図解は求められている技術だと感じています。」

https://www.facebook.com/daiya.hashimoto

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朝10時:「女性セブン」からのリモートインタビュー。「遅咲き」「テーマの育て方」など1時間。5月6日発売号。こういうテーマでの女性誌からのインタビューは初めて。森光子、片岡球子、坂東真理子に加え、宮脇俊三、村野四郎、永田耕衣を説明しました。

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昼食は、永山で橘川さんと意見交換。学会、雑誌、HPソフト、通販、、、。

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「名言との対話」4月30日。河野多恵子「狭義の才能と広義の才能」

河野 多惠子(こうの たえこ、1926年大正15年)4月30日 - 2015年平成27年)1月29日)は、日本小説家

大阪の乾物問屋に生まれ、大阪府女子専門学校を卒業。1950年丹羽文雄主宰の同人誌『文学者』に参加。1961年に『幼児狩り』で新潮社同人雑誌賞、1963年に『蟹』で芥川賞を受賞。谷崎潤一郎の衣鉢を継ぎ、精緻な描写に基づくリアリズムの文体で、嗜虐・被虐妄想、異常性愛などの倒錯した欲望や意識の暗部を浮き彫りにして高い評価を得た。

1967年『最後の時』で女流文学賞、1969年『不意の声』で読売文学賞、1980年『一年の牧歌』で谷崎潤一郎賞、1991年『みいら採り猟奇譚』で野間文芸賞、2000年『後日の話』で毎日芸術賞などを受賞。

1987年に大庭みな子とともに女性で初の芥川賞選考委員となり。読売文学賞谷崎潤一郎賞の選考委員を務めた。1989年に日本芸術院会員。2014年に文化勲章を受章した。

この人の小説は読んだことはないが、『小説の秘密をめぐる十二章』(文芸春秋)を読んでみた。芥川賞読売文学賞谷崎潤一郎賞野間文芸賞伊藤整文学賞などを総なめにしている小説の名手が、「創作」について語った本だ。文章の呼吸、作品の育て方、才能について、登場人物の名前、標題、導入と終わり方、筋、小説の構造、文章力、などについて自説を展開しているので、興味深く読み進めた。以下、いくつかあげてみる。

日本語の横書きの創作に創造性を発揮することは不可能。大震災文学は平林たい子の三作のみで生まれていない。創作を志す人は、まず三人称、単元描写の書き方で始めよ。主要人物の名前は、珍しすぎず、ありふれていない名前がよい。動詞の使い方に関心を持て。終わり方が大事だ、芥川の作品にも失敗はある。一言で言い表せる作家が長持ちする。谷崎は「女の死のこればっかりの小説家」、円地文子「女の業を書く作家」、津島佑子「シングルマザーもの作家」、、。

誰も思いもしなかったであろうこと、考えもしなかったであろうこと、想像もしなかったであろうことを書きたいのである。自分ひとりのみの精神に生まれたことを書きたいのである。小説家は独創的であるべきで、詩人のように独断的であってはならない。詩、俳句、短歌は自分自身のためのものだが、小説は読者に共感されるように書かれるべきだ。

以上、「小説の秘密」を詳しく語ってくれているのだが、私が特に共感したのは、才能についてだ。それは「いわゆる才能」を重要視することではなかった。河野多恵子は「才能」について、二つの才能をあげている。「狭義の才能」とは、想像力、感覚、瞬発力、持続力という、持って生まれた文学的才能である。「広義の才能」とは狭義の才能を生かす能力で、吸収力、度胸、洞察力、観察力、決断力、好奇心等を発達させることを持続させる能力としている。いわば自分で自分を育てる能力だろう。どの分野でもいえることだろうが、狭義の才能よりも、自分を育てていく広義の才能の方が重要である。この本でそれは小説でも同じだという発見をしたことを嬉しく思った。 

小説の秘密をめぐる十二章

小説の秘密をめぐる十二章

 

 

寺島文庫リレー塾①「新しい世界認識の視座ーーコロナ後の全体知」

寺島文庫リレー塾①「新しい世界認識の視座ーーコロナ後の全体知」。

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・専門知。総合知(専門知の集積。認識力。AI)。全体知(課題解決に必要。美意識、宗教)。

・コロナ1年3か月。政策科学になっていない。進展なし。リーダーの沈黙。コンテンツ、メッセージがない。国際連帯税(グローバル化のリスク対応)。航空連帯税(14ヵ国)、金融取引税(株0.2%。為替0.005%)。デジタル課税(仏で2019年導入)。米の保険制度で副反応100万ドル(75セント負担)。

・なぜ国産ワクチンができないのか。1992年問題。種痘の副作用をめぐって裁判で負けて行政や製薬企業は国産はやらないことになった。IPS細胞のノーベル賞再生医療に集中してしまった。ベトナム、インド、イスラエル、中国、ロシアなどはできている。日本は早くとも来年末。次の感染症のための高度安全実験施設(BSL4.。エボラ、天然痘など)は村山と建設中の長崎大のみ。世界には24ヵ国59施設(欧24、米16、他19)。日本にはあと数カ所必要。

・なぜコロナ病床は増えないのか?民間病院の団体である日本医師会は受け入れない。政治の出番のはず。ここを説明していない。沈黙。

・日本の埋没とアジアの世紀の現実化:ごまかしと断片報道という情報環境。健全な危機感がない。コロナが本質をあぶりだした。IMF世界経済見通し。2020年▲3.3%(中国∔2.3%)。2021年予測は上方修正、世界6.0%。米国6.4%。バイデンの1000日を評価。ワクチンは公約の60日1億人を達成し2億人に迫る勢い。財政出動第5弾200兆円(年収8万ドル以下に15万円支給)、コロナで650兆円投入。財源を議論。法人税増(35、21%を28%に)、株などのキャピタルゲイン課税も。日本の10万円支給は8割は貯金。赤字国債を日銀が購入。後代負担。東日本大震災も37兆円は復興特別税(25年刊禅の国民2.1%)と同じ。中国:8.4%予測。格差と貧困。6億人の貧困。

・日本:2020年▲4.8%、4月予測3.3%。2020年で2013年に戻った。2021年も水面下。日本のGDPの世界シェアは1950年3%、1988年16%、2000年14%、2020年6%、2030年4%へ。2020年:日本6%、アジア25%、米25%。貿易相手国:2020年は米14.7%、中国23.9%、アジア54.2%。大中華圏26.5%。(1990年:米27.4%、中国3.5%)。「アジアの世紀」の現実化。アジアダイナミズム。

・1900年漱石はイギリスの世紀の終りを目撃(ビクトリア女王の葬儀)。2000年:2001年の「9・11」でアメリカの世紀の終りを目撃。2010年:2011年の「3・11」東日本大震災アベノミクスという調整インフレ政策は失敗。2020年:「3・11」から10年。37兆円投入。1次産業▲34%、2次∔29%(建設・製造。ハードインフラ投資。)、3次∔6%。人と産業は戻らなかった。広域東北6県の基本構想がなかった。人口は2015年から2045年までで3割減少する。日本は戦略企画力が弱い・復興庁、デジタル庁、子ども庁。組織論は愚かな回答。

・なぜ日本は埋没したか? 2つの象徴。「MRJ国産中型ジェット機開発の挫折」。2008年から。部品などの要素は一流だが「総合エンジニアリング力」がダメだった。全体で解決していく力。米の型式証明が降りない。「国産ワクチンがつくれない。ポテンシャルはあるが完成体がつくれない。2つともパーツの積み上げだけではだめで、「全体知」が必要だ。

・DXの時代:GAFAMは2019年末の時価総額4.9兆ドル、2021年1月に7.4兆ドルに増加(アップリは2兆ドル)。BAT(バイドウ・アリババ・テンセント)は1.0兆ドルから1.6兆ドルへ。日本の日立4.2兆円、日鉄1.1、東レ1.1、重工1.0(リクルート9兆円、オリエンタルランド5.9兆円)。医療を売った東芝半導体をうればドンガらのみになる。データリズムの時代。医療・防災産業など新産業を育てる。

・産業資本主義(400年)。金融資本主義(金融ビジネス。FinTECH、仮想通貨、異常な株高)。デジタル資本主義(軍民転換から始まったIT革命。DX.GAFA.データリズム)、これに国家資本主義(過剰依存)の4つの資本主義の関係をどう考えるか。そしてニュールール(金融取引税、デジタル課税など)をどうつくるか。新しいマルクスケインズが求められている。

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午前は立川:体を整える。

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一浴一冊:・瀬戸内寂聴「寂聴 九十七歳の遺言」(朝日新書

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安部晋太郎「オレは岸信介の娘婿はじゃない。安部寛の息子なんだ」

安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年大正13年)4月29日 - 1991年(平成3年)5月15日)は、日本の政治家。

終戦後、改称された東大法学部に復学、卒業して毎日新聞社に入社。1982年、総裁予備選で中曽根康弘河本敏夫に次ぐ3位。中曽根内閣で外相を務め、竹下登宮沢喜一とともに次世代のリーダーとして期待された。農林大臣、官房長官通産大臣外務大臣自民党国対委員長自民党政調会長自民党総務会長、自民党幹事長を歴任した。1987年の総裁びでは中曽根裁定で竹下に首相の座を譲る。衆議院議員安倍寛の長男。岳父に岸信介、義理の叔父は佐藤栄作、次男は安倍晋三である。

『総理になれなかった男たちーー逆説的指導者論』(小林吉弥)という面白い本がある。石田博英―「一匹狼」の限界。大野伴睦―「義理と人情」のもろさ。緒方竹虎―「未知数の魅力」の幻想。川島正次郎―「ナンバー2」の恍惚に埋没。河野一郎―敵をつくりすぎた男。椎名悦三郎―「省事」が情報を遠ざけた。灘尾弘吉―高潔「覇道」を拒否。藤山愛一郎―「下積み時代」を持たなかった。保利茂―「密室型演出者」の自覚。前尾繁三郎―「根本主義」から抜け出せず。松村謙三―反骨と進歩性は「少数派」の宿命。三木武吉―稀代の謀将は「変幻自在の処世術」。そしてトップに挙げているのは、安倍晋太郎―ついて回った「脇の甘さ」だ。「プリンスメロン」とも呼ばれる甘さを指摘している。その他、副総裁の渡辺美智雄二階堂進、総裁をつとめた河野洋平谷垣禎一などの名前が浮かんでくる。

青木理『安部三代』(朝日文庫。2019年4月刊行)を読んだ。日本の政治は、もはや『家業』と化してしまったのか」で、このルポは始まる。安部晋太郎はリベラリズム、現場主義、絶妙なバランス感覚を持っており、特に接した人が異口同音に「バランス」という言葉を使った人がらだ。最後はリクルート事件に遭遇するという不運に見舞われ、またガンという病魔に犯されて総理の座はつかめずに1991年に67歳で世を去った。「頑張ったしなぁ、ここまでこれたのになぁ」と淡々と語っていたという証言も紹介されている。

最後の「解説」で東工大教授の中島岳志は、安倍晋三のルーツをタ丹念に探った本書で、野党時代に右派イデオロギーに接近する晋三の姿を明らかにした功績を評価している。晋太郎は「オレは岸信介の娘婿はじゃない。安部寛の息子なんだ」が口癖だった。戦時中に戦争に反対した父親の寛を誇りにしていた。その志を継いだ安部晋太郎は、リベラル保守の政治家として大成していく。

中島がいう「リベラル保守」とは、寛容と自由を基盤に置き、「大切なものを守るために変わる」政治思想である。改革への可能性を掲げ、自らも変わることを恐れない立場だ。「大切なものを抱きしめる」保守でも、「自由」を標榜し革新を唱えるリベラルでもなく、寛容な保守、変化する保守とでもいうのだろうか、そのリベラル保守政治家のモデルと中島はみている。二代目の安部晋太郎はその真価を存分には発揮することはできなかったが、その政治もみたかった気もする。それは長期政権を実現した三代目の安倍晋三とは違った姿になっただろう。

 

安倍三代

安倍三代

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図解塾の課外授業「続ける技術」の6回目のテーマは「ライフワーク」。

夜は図解塾の課外授業「続ける技術」の6回目。テーマは「ライフワーク」です。
手持ちのデータベースのうち、200名を選び、さらにその中から「二刀流」(二足のわらじ)の人々を中心に、ライフワークを解説するという趣向です。
課外授業は、1回目「ライフプラン」、2回目「日記・ブログ」、3回目「人物記念館」。4回目「名言との対話」、5回目「最初の一冊、最後の一冊」でした。
「ライフワーク」については、「公人」「個人」「定年後」「センテナリアン」「女性」など、キーワードしだいで、続けることもできそうです。
以下、受講生からの反応。
  • 本日もありがとうございました!いつものように、非常に濃い2時間でした。二刀流(二足の草鞋)の多くが遅咲き、センテリアン近く。励まされます。そして「女性セブン」で取り上げられるように、幅広い層に広がっていけばいいな、と思いました。最近では、新聞やTV等に登場する人々について年齢を気にするようになりました。偉人・有名人には至らなくても、世の中に継続していろいろなことに取り組んでこられた方が多いということに気付かされます。聴きながら、神奈川県の政策の一つ「未病」と結びついてしまいました。話の中にもありましたが、ライフワークを持っている人は健康な人が多い。それは生きる意欲と、絶えず脳を使っているので認知症にもなりにくい、ということがあるのではないか。だとすると、政策的に高齢者のライフワークを推進して、医療費を節約することもできるのではないか、など考えてしまいました。また、すでに教育界では「受験勉強を一生懸命やって、いい高校・大学に入学し、いい会社に就職・・・・」という一元的で直線的な価値観が崩壊しているが、それに気づいていない人もまだ多い。100年時代を生きるために、幅広い分野に興味や問題意識をもち解決していこうとする力を身に付けることがいっそう重要になるだろう、とも考えました。
  • 課外授業、続ける技術「ライフワーク」。ライスワークとライクワーク、そしてライフワーク。社会参加・衣食住の確保のために、手探りで飛び込むのがライスワーク。興味関心を元に、社会に名乗りを上げるのがライクワーク。これらを積み重ねて、気付いたら肩書きになっているのがライフワーク。こんな感じでしょうか。属する組織で実績を上げるのはいいことだけれど、求められることにのめり込むことあまりに、我を失ってはいけない。むしろ自身の興味関心を大切に育てた方が仕事の実績も上がる。タイムマネジメントが重要、とはよく言うけれど、その理由のひとつが、興味関心を育てるためである。納得と後押しを感じる授業でした。今夜もありがとうございました。
  • 本日もありがとうございました。たくさんの人たちのお話を聞きましたが、ライフワークが本業に通じているもの、まったく関係ないものなど、人それぞれ様々なのだと思いました。吉村芳生さんの、自分の顔写真を鉛筆で転写した自画像がライフワークだなんて、とても楽しいと思いました。好き→続ける→好き→続ける→・・・・こんなものがあると、人生100年、楽しくないわけがありませんね。自分には何かなぁ。あれしてみたい、これは続くか?など考えるのも楽しいかもしれません。そのために記録も必要ですね。まずは日記。何度かお休みしながらでも、続いておりますが、日々気づき、簡単でも続けて、ライフワークにつながる何かを見つけられたらなと思います。次回は図解文章法②ですね。今まで課題で、自分で図解したものの文章化。お休みのうちにやってみます。それでは次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 今日もありがとうございました! ひとつ気が付いたのですが、事実がいくつも積み重なっていく様子を目の前にすると、その凄さに重さが加わってくるのですね。ライフワークをやり切った人、途中で終わってしまった人、まったくやれなかった人、いろいろいらっしゃる中で、健康に楽しく自分のライフワークを追求できた人たちの人生は、やはり輝いて見えました。自分がどう後に続くか、考えさせられる講義でした。どうもありがとうございました!
  • 本日は素適な授業ありがとうございました。司馬遼太郎新田次郎森鴎外渡辺崋山他多数の日本人の方々が、2刀流をこなし、豊かな人生を歩んでいた事を知り、とても勉強になりました。私も63歳ですが、もう少しで64歳!(^^)!ですが、これからが本番の人生!という気持ちにさせて頂けた図解塾でした。改めて、毎日行っている習慣等がヒントになるとの事。じっくりと考えて、可及的速やかにテーマを決めて取り組んでみようと思いました。人生の岐路に立った時、とても勉強になりました。できるだけこれからも参加したいと思います。(次回は5月12日(水)20時~)参加可能でしょうか。実は、以前申し込もうと思って、上手く申し込みが出来ずじまいでした( ;∀;)。お手隙の際に再度参加方法等を教えて頂ければ幸いです。今後共何卒よろしくお願い申し上げます。感謝!
  • 今日は「続ける技術」の場にお招きくださってありがとうございました。私は、続けることが好きなので、その秘訣やコツを知りたくて、参加いたしました。ここで、気がついたことは、「続ける」と「好きになる」が相互作用の関係があり、循環していることです。好きで好きで没頭しているうちに続いていたり、その逆に続けていたら、だんだんと好きになっていったりと両方がアリなわけで。続けることが好きだったら、その対象を好きになっているのだから、無理して好きなものを見つけなくてもいいのだと。「続ける」が好きな自分にイエスを出せた瞬間でした。今、続けていることを尊重するのと同時に、何か続けられそうなものを見つけていく、今後もそんな生き方をしていきます。本当にありがとうございました。

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「名言との対話」4月28日。千秋実「「死ぬまでは生きるなり。いじけずに生きるなり」

千秋 実(ちあき みのる、本名:佐々木 勝治(ささき かつじ)、旧姓:森竹、1917年4月28日 - 1999年11月1日)は、日本俳優

中央大学専門部法科在学中に芝居に興味をもち、1936年に新築地劇団に入団し、築地小劇場での劇団公演『女人哀詞』で初舞台を踏む。1946年に薔薇座を結成、舞台『堕胎医』が黒澤明監督の目に止まり、1949年にモノクロ映画『野良犬』でスクリーン・デビューを果たす。その後も黒澤作品に多数出演し、『七人の侍』の侍の一人を演じたほか、『隠し砦の三悪人』で藤原釜足と演じた農民コンビは、後に『スター・ウォーズ』に登場するロボット「R2-D2」と「C-3PO」のモデルになったことでも知られている。またテレビでも「ママちょっと来て」「肝っ玉母さん」などに出演して」いたから、」渋い演技をする実力は私もよく知っている。

映画出演は100本以上ある。主な映画出演作品は、「七人の侍」「生きる」「羅生門」「白痴」「醜聞」「野良犬」「生きものの記録」「蜘蛛巣城」「どん底」「隠し砦の三悪人」「天国と地獄」「花いちもんめ」「樺太1945年夏 氷雪の門」「日本一の断絶男」「鞍馬天狗」「杏っ子」「不滅の熱球」「冷飯とおさんとチャン」「ドン松五郎の大冒険」「徳川一族の崩壊」「他人の顔」「五番町夕霧楼」など多数。

実力派の名脇役だった千秋実は1975年の57歳で脳卒中で倒れる。卒中とは「卒然と中る」という意味だ。千秋実『生きるなり 脳卒中からの奇跡の生還』(文芸春秋)を読んだ。棺桶に全身すっぽり入り、出ていた片足の先を持ってひっぱり出してもらったという述懐を冒頭に述べている。この本は4年間の闘病とリハビリについての記録である。家族と友達が心の支えだった。

パスツール脳卒中のあとで大発見をしている。田の助やエノケンは両手両足を失っても舞台に出ていた。精神的に立ち直って社会復帰できるようにもっていくのがリハビリの目的で、それができて病人が回復したといえるということを知る。そして千秋実は「脳外科手術を受けて再起した俳優はいない。脳卒中やっても立派に生きられるという見本になりたい」と決心する。お世話になった人たちへの恩返しと後に続く人たちへの励みになると思った。

この本の最後に本のタイトル「生きるなり」にもなった、武者小路実篤の「欣喜雀躍」という詩が出てくる。私もこの詩に感銘を受けたので、記したい。

生まれたる者は/やがて死ぬ者なり/我も亦/やがて死なん。だが生きてゐる間は生きる也/我らしく生きる也/何者にも頭をさげず/いじけず生きんと思ふ。我は歩くなり/大道を歩くなり/いじけずに歩くなり/死ぬまで歩くなり。(中略)生きるなり/今 春の日なり/春の日に生きるなり/弱ってはゐられぬなり/昂然と生きるなり。昂然と生きる也/内に生命あり/生命の命ずるままに生きる也/いじけてはゐられぬなり。ああ生きる也/死ぬまでは生きる也。(後略)

この詩に共感し、胸に鳴り響きながら生きていくことを決心した千秋実は、「死ぬまでは生きるなり。いじけずに生きるなり」ととなえている。この本を書いた6年後の1985年には『花いちもんめ。』で日本アカデミー賞第9回最優秀主演男優賞を受賞して見事に再起している。そして1989年には勲四等瑞宝章を受章するまでになった。そして20年後の1999年まで生き抜いている。千秋実が、田の助やエノケンに励まされたように、千秋自身も後続世代に勇気を与えるモデルになったのだ。 

 

 

 

「文藝春秋」でバイデン。「中央公論」で尖閣問題。

バイデン大統領について藤崎一郎(元駐米大使)が「文藝春秋」5月号で解説。 

  •   アイルランドカトリックの労働者階級の家庭。吃音。シラキュース大学ロースクール。弁護士。郡議会議員。29歳で上院議員に当選。1か月後に妻と娘が交通事故死、2人の息子が残るという悲劇。子育てもありワシントンの社交界とは無縁。再婚。2015年に長男が病没。
  • 上院で外交委員会と司法委員会のトップ。1988年、2008年の大統領選に出馬。2008年のオバマ大統領の副大統領。
  • 事実を集め、自分の頭で考え論理を追求する。表裏がない。中道派。人間関係を大事にする。共和党のマケインが自身の葬儀の追悼の辞を頼んだ人がら。目下の人に気を遣う。気配りの人。組織全体の関係に重きをおく。NATOや日本との同盟が財産と考えている。
  • スタートダッシュは成功。外交は自分がやる。1.9兆ドルの追加予算。WHO、パリ協定に復帰。中国はライバルとして是々非々で対応。

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今日の収穫。

安野光雅「君たち、刑務所の塀の高さと棒高跳びの世界記録はどっちが高いんだろうね」。川内優輝「レースは最高の練習」。松本隆「71歳になったいま、もう一度。場を作ることからやってみようかなと思っています」

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中央公論」5月号。  

寺島実郎尖閣問題の本質と外交的解決策の模索」での提言。

  • 米国の「あいまい作戦」が尖閣問題を複雑化し、中国、台湾に誤ったメッセージを与えていることを正すべきである。
  • 台湾、中国と意思疎通を深め、尖閣問題を安定化させる努力をすべきある。
  • 国際社会に対し、この問題の正当性をしなやかに訴える努力をすべきである。国連安保理事会、究極は国際司法裁判所への提訴である。

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図解塾課外授業「続ける技術」の6回目「ライフワーク」の準備。

2000人のライフワークデータベース。200の参考にすべき実例。40人の二刀流のライフワークの事例。この過程で独自のライフワーク論が誕生。

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「名言との対話」4月27日。曾和博朗「音を出すのは右手、鳴らすのは左」

曾和博朗(そわひろお 1925-)は 昭和-平成時代の能楽師小鼓方。

「名言との対話」4月27日。曾和博朗「音を出すのは右手、鳴らすのは左」

曾和博朗(そわひろお 1925-)は 昭和-平成時代の能楽師小鼓方。

京都生。小鼓方幸(こう)流の三代目。曽和脩吉の長男。祖父鼓堂、そして東京で幸祥光に2年半師事。6歳6月6日から稽古をはじめ、10歳で「小鍛冶(こかじ)」で初舞台を踏む。18歳で「道成寺」を披く。曲の趣をいかした的確な演奏で知られる。1998年、重要無形文化財保持者各個指定(人間国宝)に認定される。京都能楽養成会で後進の指導にもあたる。現在、現役最高齢の能楽師囃子方。本日で96歳。

公益社団法人能楽協会は各専門的役割を職能とする各流の能楽師で構成され、2020年現在で1100名が正会員になっている。シテ方五流、ワキ方三流、小鼓方四流(幸・幸清・大倉・観世)、太鼓方五流、太鼓方二流、狂言方二流で構成されている。

能楽には能と狂言があり、オペラとコントというとわかりやすい。能は世阿弥が集大成した幽玄の世界である。

能楽師には、シテ方ワキ方狂言方囃子方(笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方)という職掌があり、各方はそれぞれに流儀がある。

 

 大鼓は皮を乾燥させるため打つと「カーン」という音がする。小鼓は皮を湿らせているので「ポ」「プ」「チ」「タ」と奥行きのある音をだす。大鼓は「陽」を意味する奇数拍を主に受けもち、小鼓は「陰」とされる偶数拍を受け持つ。

小鼓方の人間国宝である曾和博朗は、インタビューに以下のように答えている。

 

  • 「道行」は字のごとく「道を行く」ことで、転じて「旅をする」という意味をもつ。舞台に登場した人物は、地名や風景などを並べた文を謡うことにより、旅の目的地に到着したという空間移動を舞台上で実現させる。綴られた詞章の美しさは、日本文学の紀行文(道行文)の伝統によるものといわれ、観客はその旅路を想像し、物語の世界へと誘われていく。
  • 一人だけ良くてもだめで、全部が揃わないといけない。もちろんシテ方地謡がしっかり謡ってくれないと、われわれは打てませんわ。
  • 申し合わせをしても、本番はそれとは違うことがあります。速さ、呼吸がある。どうくる?じゃあ一発こうやってやろうか、とかね。それがまた面白いところなんですよ。
  • 「音を出すのは右手、鳴らすのは左」。もちろん右手も強弱ありますが、左手の締め具合。鳴り物というには、鳴らないといけないです。胴の蒔絵も「実(み)」(実が成る)や「神鳴」みたいなのも多いですね。いつもいい音でないといかん。やっぱり、『羽衣(はごろも)』らしい調子とか、『高砂(たかさご)』らしい調子とか、そういうのが出てこないとだめですね。

能についてはギリー倶楽部などで何度か、観る機会があったが、演じるシテやワキに気を取られて、囃子方は目に入っていなかった。次の機会には、全体に目を配ることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

世田谷文学館で一日だけ開催された「イラストレーター 安西水丸」展。

世田谷文学館で一日だけ開催された「イラストレーター 安西水丸」展。

 日大芸術学部卒。電通(国際広告)、渡米しADAC(NYCのデザインスタジオ)、27歳で帰国し平凡社嵐山光三郎に出会う。同年生まれ)に入社、32歳「ガロ」に漫画を描く、35歳初の単行本、39歳退社しフリーになる。村上春樹と仕事をする。憧れの人であった和田誠とは20001年から2014年まで「二人展」を続け、200点の「NO IDEA」という作品を生み出す。

広告、雑誌の表紙や漫画、挿絵などで活躍。小説、漫画、絵本などの著作も多い。本人はあくまで「イラストレーター」と自身を規定していた。会場に開智された著書や絵本は、軽く100冊を超える量だった。

東京赤坂生まれでだが、喘息があり、千葉県の千倉に移住。この千倉のイメージが残る。安西の特徴である画面の水平線は千倉の海の水平線をイメージしている。「その人にしか描けない絵」を描こうとした。ユーモアと哀愁がある作品は今でのファンが多いようで、会場は若い人も多かった。

 この企画展は500点以上の原画などを使った、工夫に満ちたイベントだ。翌日から緊急事態宣言に入ったのでたった一日だけ公開というのは悲しい。「JALプランナー」という懐かしいポスターがあった。1988年だから私のJAL広報部時代だ。
「こんな風に生きたいとおもっていることがある。絶景ではなく、車窓をの風景のような人間でいたいということだ」(「ニッポンあっちこっち」)

シンプルな絵が特色だが、「たくさん仕事を受けるようになっても「絵の質が落ちないように、時間をかけずに描けるように、と考えたスタイル」だそうで、戦略的で驚いた。

兄弟のようだった村上春樹は「安西水丸という一人の人間を絵というかたちで表し続けていたのだという気がする」。『村上朝日堂』などの独特の表紙は安西の作品だったことがわかった。水丸は「自由にやらせてもらった」と語っている。 

安西水丸 地球の細道

安西水丸 地球の細道

  • 作者:安西 水丸
  • 発売日: 2014/08/26
  • メディア: 単行本
 

 『地球の細道』というタイトルのエッセイを購入し、読んでみた。世界中を旅したときのエッセイ集だ。「旅する人」の92の旅風景と文章がつづられている。芭蕉は日本、水丸は世界。下の写真はこの本の冒頭に載っている2014年7月6日の鎌倉のアトリエ・書斎だ。この本の原稿を書いているときの机の上が写っている。シチリアの旅の執筆途中のようだ。ガイドブック、街の地図、ウィキペデア「シチリア」の項の印刷、辞書、百科事典、会田雄次「敗者の条件」、原稿用紙などが並んでいる。コカ・コーラのデザインも好きだったようだ。

エッセイをよんで驚くことは、それぞれの土地がらと歴史、そこに関係する人物などの記述が半端ではないことだ。それは現地取材と、綿密な資料の読み込みが支えていることがわかる写真である。

例えば「西武国境警備隊の町から八王子城址へ」というページを開くと、北条早雲、氏綱、氏康の顔、八王子千人同心屋敷跡記念碑、北条氏照の墓、八王子城の曳き橋、本丸の祠などのイラストがある。そして、エッセイも資料の読み込みがうかがえる。本人も歴史好きといっているように、調べは徹底していると感心した。

松江の堀尾吉晴近江八幡の殺生関白秀次、土木の天才行基菩薩、間宮林蔵ら北方の探検家たち、信州上田の真田一族、肥前の熊・竜造寺隆信、南国土佐のマトリョーシカ小江戸・佐原、小京都・飯田、そして海外でもアトランタリー将軍などが描かれている。それぞれ読ませる内容だった。相当なインテリだったと敬服した。

「初旅や こけし微笑む 奥の細道」(水夢)

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多摩センター:秘書の近藤さんと打ち合わせ。

週刊「女性セブン」から取材依頼あり。

夜はデメケンのミーティング。

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「名言との対話」4月26日。加藤秀俊「結局、紙と鉛筆があればよいのだ」

加藤 秀俊(かとう ひでとし、1930年(昭和5年)4月26日 - )は、日本の評論家・社会学者。

日本万国博覧会に尽力し、林雄二郎(51歳、梅棹忠夫(47歳)、川添登(41歳)加藤秀俊(37歳)、小松左京(36歳)らは1968年に日本未来学会を創設した。親しかった梅棹忠夫について加藤は「梅棹さんは先々まで見通して手を打つ人だった。洞察力があるといえば聞こえはいいが、要するにたいへんんな「悪党」であった」と述べている。国立民族学博物館をつくることにつながる彼らの陰謀を重ねる様子が浮かんでくる。

加藤秀俊の『整理学』をはじめとする名著や対談などはよく読んできたし、NPO知研でもお呼びして謦咳に接したこともある。

加藤秀俊著作集 10 人物と人生』(中央公論社)を読んだときに抜き出した文章を記す。 加藤秀俊が語った「人物と人生」は、今日の時点でも納得感が高い。若いときにも読んだと思うが、本当には理解できなかったのだろう。人生の秋霜を経てきて、改めて読むとうなづくことが多い。

 ・「生きがい」ある人生とは、プライドをもって生きることができる、ということである。・「ショート・ショート時代」、、時間的な持続力をもった人間が例外的な偉人として珍重される。、、もしも何十年かの人生を通じて、なにごとかについての持続力をもつことができるなら、それは、とりもなおさず、「生きがい」のある人生であった、ということである。・年月は恐ろしい。、、、蓄積は貴い。、、だいじなことは、その蓄積をじぶんの力でつくるということである。自力でつみ上げていくことである。、、コツコツと蓄積していくこと---そのプロセスが貴重なのだ、とわたしは思う。・「責任ある仕事」とは、、、自由のある仕事、ということになる。そして自由度が大きければ大きいだけ、責任も大きくなる。・もしも、未来社会がより「ゆたか」な社会で、すべての人間が、最低の文化的生活を保障されるようになるのだとすれば、少なからぬ数の人間が、職業生活から脱落して、のびやかに二十日ダイコンをつくるようになるだろう。(小松左京『そして誰もしなくなった』)。8万円の給料で働くよりは、5万円の社会保障をうけることを選ぶだろう。、、こうした生き方によってつくられる文化を仮に「若隠居」文化と呼ぶことにしよう。・東洋の思想は「縁」という観念によてこの「偶然」を必然化した。・道というのは、「えらぶ」ものではなく、「見えてくる」ものであるらしいのである。それは、ひとつの丘をこえてみて、はじめて、つぎの丘が見えてくるのに似ている。こうしようとおもってこうなるのではない。こうしてみようか、とおもってやってみると、やってきた結果として、次がみえてくるのである。・世界は無数の断片のちらばりによってできあがっている、茫漠たるものだ。その断片のひとつに手をつけてみると、それが手がかりになってつぎの断片が見えてくる。そんなふうにして、いくつかの断片が見えない糸でつながり、関係づけられてゆく。、、このアミダくじ的世界観にもとづく作業の過程という以外のなにもんでもない。断片と断片を糸でつないでゆけば、ひょっとして、首飾りのようなものができるかもしれないが、、。・毎日が選択肢の連続だ。こう、と決めたら、それでやってみよう、とわたしはいつもおもっている。そしてどうにかなるさ、と信じている。ほんとうに、どうにかなるものだ。・将来、すこしづつ人間というっものをより深く学びつつ、この領域(評伝・伝記)でのしごともつづけてゆきたいとかんがえている。

加藤秀俊の「通勤電車、奴隷船」説。満員電車が事故で30分以上動かない時、気分が悪い人や、失神する人がでる。古代ヨーロッパの奴隷船が目的地に着くまでに4人に1人は死んでいた。通勤電車で毎日もまれていた私は、怒りとともに、その説に共感した覚えがある。

加藤秀俊著作集』(全12巻、中央公論社, 1980-1981年)が編まれている。自分が描いた文章はすべて管理していたその結果がこれだろう。私たちが取材した1982年の時点ですでに完成していたのには今さらながら驚いた。1巻「探求の技法」2巻「人間関係」3巻「世相史」4巻「大衆文化論」5巻「時間と空間」6巻「世代と教育」7巻「生活研究」8巻「比較文化論」9巻「情報と文明」10巻「人物と人生」11巻「旅行と紀行」12巻「アメリカ研究」。

1982年に『私の書斎活用術』(「講談社)という本をつくった時に取材している。約2年かけて、17人の著名人の書斎を訪ねた。そのときはそういう先生たちと1日何時間も一緒になれるし、それはもう楽しくてしかたがなかった。社会学者として知られる加藤秀俊は整理の達人で、インターネット上で「加藤秀俊データベース」を公開している人だけあって、当時から自分が今までやってきた仕事を全部ファイリングしていた。当時は52歳。「 事務所はルーティンワーク、書斎は知的生産の場」「常に一号機を買う」「1時間4枚、一日5時間が限度」「書斎は自分自身。自分の肉体と神と鉛筆さえあればよい」「司馬遼太郎梅棹忠夫の文章を参考」「旅行中のできごとはテープに吹き込んで後で文章化」「一番優れた情報源は友人」、、。

「知的生産の技術」の先達として大いに刺激を受けた先生だ。あらゆることを試した人の結論は、自分の肉体と「紙と鉛筆」だったのには納得する。健筆を続けられることを祈る。 

私の書斎活用術 (オレンジバックス)

私の書斎活用術 (オレンジバックス)

  • メディア: ペーパーバック
 

 

 

 

 

 

 

「抽象写真」ー生命力は想像力を誘い出す

散歩中にふと思いついて、木々に近寄って撮影してみました。抽象画のようです。

抽象画といえば、父が脳溢血で倒れたときに「いづこの部分が夫のことばを奪ひしや抽象画のごとき脳の影像」と詠んだ母の短歌を思い出します。

最近107歳で亡くなった篠田桃紅は、「抽象画は想像する芸術。具象は見てわかる、理解するもの。抽象は理解するものではなく感じるもの。想像力を誘いだす」と言っています。写真にも抽象という分野があるかもしれません。生命力は想像力を誘い出す。

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図解塾課外授業の「ライフワーク」と大学院の授業準備。

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「名言との対話」4月25日。富永一朗「長生きはするもんだ」

富永 一朗(とみなが いちろう、1925年4月25日 - )は、日本漫画家

京都生まれ。5歳の時から父の郷里の大分県佐伯市に移り、中学卒業までそこで育つ。大分県立佐伯中学(大分県立佐伯鶴城高等学校)に2番で入学、卒業。小学校教員をしていた母が恋愛事件を起こして東京に出奔し、このため祖母に育てられた。学費無料の台湾の台南師範学校に入学するも、学徒出陣。

敗戦後、教員免状を得て台南師範学校を卒業。佐伯市で小学校教員生活。1951年上京。帝国興信所で会社年鑑の編纂。『モダン日本』編集部の吉行淳之介から才能を認められ、後に吉行が移った三世社の『講談讀切倶楽部』に作品を多数掲載された。1953年頃から「赤本」と呼ばれた子供向け漫画単行本や貸本漫画を描く。4コマ漫画は「この方式は僕が初めてではないか」と語っている。

恰幅いい体型がトレードマークだったが、還暦を超えて糖尿病と診断され、生活を改めた。「健康じいさん」を自称し、模範患者として医療関係のシンポジウムや講演を通じて啓発活動を行い、闘病記も著した。代表作はチンコロ姐ちゃんポンコツおやじ、せっかちネエヤ、びっくりはるあき。

富永の漫画と姿はテレビでもよくみかけていた。日常や男女、忍者、歴史物語などをテーマにした作品は、いずれも「クスッ」と笑わせるユーモアが特徴だ。

『東京珍味 たべある記』(柴田書店)を読んだ。昭和42年刊行だから富永は42歳頃だ。「月刊食堂」に3年ほど食べ歩きのスケッチと文章を連載した。その100軒の記録をまとめたものだ。「安くてうまくて珍しい庶民の店」を食べ歩く胃袋の青春譜だ。確かにこの生活スタイルを続ければ糖尿病になるだろう。

私はこの本は出てから6年後の1973年に東京で就職している。食べたことのある店もあった。銀座イタリー亭。銀座の有薫酒蔵(九州料理)。銀座のお多幸(おでん)。新橋のさつま(鹿児島料理)。鶯谷の笹乃雪(とうふ料理)。浅草の駒形どぜう(どじょう料理)。神田ユック(北海道料理)。渋谷のくじらや(くじら料理)、、、。そこはかとするユーモアと軽快なエッセイで、私も青春時代を懐かしんだ。

値段をみてみよう。イタリー亭のナポリタンは300円。笹乃雪の三品コースは230円。くじら屋の尾の身さしみは250円。駒形どぜうのどぜう鍋は180円とあるのだが、この古本には「45.11.22」の書き込みと、どぜう鍋180円を250円と鉛筆で修正している。数年で4割近くも値上がりしていることがわかる。インフレ時代で物価も給料も上昇中だったことがわかる。

静岡県伊豆の修善寺には、ライフワークとして取り組んでいる作品集「一朗忍者考」の貴重な原画26点を集めた「がある。

2016年に広島カープが優勝した時には、長年のカープファンの富永は「長生きはするもんだ」と語っている。そしてこの記事を書いている本日、2021年4月26日(月)の西日本新聞には、「ユーモアたっぷりに別府描く 95歳富永一朗さん「まんが展」」という記事が載っているから、まだ元気なのだろう。本日で96歳だ。

東京珍味たべある記 (1967年)