怒涛の仕事量の動機---白洲正子の場合

小田急線の鶴川という駅から歩いて15分ほどのところに旧白洲邸武相荘がある。2006年5月に一度訪問しているが、先日二度目の訪問を果たした。
ここに住んでいた夫婦は二人とも個性の強い人物だった。夫は白洲次郎(1902−1985年)で吉田茂のブレーンをつとめた快男児で、「マッカーサーを叱った男」として有名だ。妻は白洲正子(1910−1998年)で、こちらは本物の生活を営んだ日本文化の目利きの女性として死後も人気が上がり続けている人である。
「野人と韋駄天  世紀のカップル」という表現があったが、正鵠を得ている感じがした。韋駄天お正は、自分の眼で見、足を運んで執筆する姿勢を終生貫いた行動派だった。韋駄天とは疾走を意味する言葉である。
正子の祖父で明治の元勲の一人・樺山資紀の「何事か娯しみに非ざる」という書が目に入った。孫の正子の描く樺山像は地味で静かな老人だが、どんなことも楽しみに変えて毎日を過ごしてきた人生なのだろうかと想像する。
正子の書棚には、「日本の歴史」「折口信夫全集」「河合隼雄著作集」「フロイス日本史」「菅江真澄遊覧記」「南方熊楠全集」「小林秀雄全集」「芥川龍之介作品集」などが並んでおり、豊富な知識の情報源の一端と影響を受けた人を知ることができる。
この武相模荘は変わった名前でが、武蔵と相模の間に位置するから、次郎が一ひねりして無愛想という言葉とかけて命名したもので、次郎自身気に入っていた。次郎の遺言は「葬式無用、戒名不用」だった。前回もそうだったが見学者が多い。おしゃれな男性老人、着物姿の女性たち、中年から老境にある女性の友人同士、そして老夫婦という人たちが中心である。
さて、売店でいくつか本を買った。一つは「白洲次郎・正子の食卓」(牧山桂子著・新潮社)。「味にうるさい夫婦が惚れた、愛娘の手料理100品」で、和洋中、韓国料理、エスニック、デザーまで、そして四季折々のメニューなどが並んでいる。ふきのとう、紫キャベツのマリネ、枝豆豆腐、茄子とピーマンの南蛮、フカヒレの煮込み、クスクス、カスタードパイ、、、、などどのページを開いても食欲をそそる写真と二人の思い出が載っている。
もう一冊は白洲正子の「夕顔」という随筆集である。
自殺や事故のニュースが報道されるたびに「命を大切にしろ」という掛け声だけがかまびすしいが、「今は命を大切にすることより、酒でも遊びでも恋愛でもよい、命がけで何かを実行してみることだ。そのときはじめて命の尊さと、この世のはかなさを実感するだろう」と書いており、共感した。
また、東京の郊外に農家を買って住んだ(武相荘)が、ここでは自分で働くことの喜びを知ったとしている。この家には河上徹太郎夫妻が疎開し、小林秀雄今日出海青山二郎大岡昇平などが訪ねて酒盛りが催された。
「相手はみな一騎当千のつわものであったから、いいようにあしらわれているうちに、いつしか私の狂気は醒めた。、、、、。私にとっての昭和とは何であったのか。それは醒めるために見た夢であったような気がしてならない。今、私が曲がりなりにも物を書いているのは、先生たちの恩に報いたいためで、幽明境を異にしようとも、彼らは私の心の中で生き続けており、私が死んだあとまでも生きてほしいと願うからである。」と晩年に集中した膨大な執筆量の動機を述べている。この心持ちにに深くうなずいてしまった。