青森県武道館
- 花田勝治展示コーナー。
第45代横綱・若乃花。1928年-2010年。82歳。
179センチ、105キロと軽量。。栃若時代を築く。「土俵の鬼」と言われた。
私の子ども時代は、若乃花のファンだった。
一度、中津への巡業があって、栃若の相撲を見た記憶がある。この時は若乃花が勝った。
優勝10回、横綱在位26場所、34歳で引退。
「品格力量抜群に付き横綱に推挙す」
二子山部屋をつくり、二横綱二大関を生んだ。そして日本相撲協会理事長を務める。
「土俵のけがは土俵の砂でなおしてゆくんですよ。けがをするたびに休んでいたんでは勝負師にはなれませんね」
- 斉藤仁展示コーナー
ロスとソウルの二度のオリンピック柔道で金メダル。1961−2015年。54歳。
同世代に天才・山下康裕がいたために、全日本柔道選手権では勝てなかった。
世界選手権で勝った時、「エベレストには登ったが、富士山には登っていない」と表現していたが、後に全日本柔道選手権大会でも優勝する。
青森市筒井中学校時代にテレビ「柔道一直線」を見て柔道一筋に進む。
三内丸山遺跡。
1997年に仙台の宮城大学に赴任した直後に訪れたことがあり、今回で二度目の訪問。
資料をみると、1992年から本格的な発掘調査が始まり、1997年には国の史跡の指定を受け、200年には国の特別史跡となった。その後、施設の整備も進んだようで、ミュージアムなどもでき、一変している。
縄文前期から中期にかけての遺跡。縄文時代は1万年続く。この遺跡は5500年前から4000年前。
中国文明は、8000年前に稲作と家畜。5000年前に雑穀栽培と家畜。
インダス文明は、4300−3700年前に都市文明。モヘンジョ・ダロ。ハラッパー。
メソポタミア文明は、4700年前に都市国家。シュメール人。
エジプト文明は、5000年前に統一王国。ピラミッド。
ヨーロッパのストーンヘンジは、4500年前に各地に。
三内丸山遺跡は、世界の古代文明に匹敵する可能性があると、当時梅棹忠夫先生が興奮していたことを思いだす。
発掘物では北海道・長野県の黒曜石。秋田県のアスファルト。岩手県の琥珀。新潟県と富山県の県境のヒスイなどがでている。相当広範囲のネットワークがあったことがわかる。
この三内丸山の最盛期は4500年前。東京ドーム7個分の広さ。海と川に面していた。
この遺跡の象徴となっている大型掘立には、2mの巨大な6本の栗の木の柱がある。
灯台、やぐら、宗教儀式などに使われたという想像がある。
古代の神殿ではないか。
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青森近代文学館。
「修司と修治」という面白い名前の企画展をやっていた。
寺山修司(1935-1983)と太宰治(1909-1948)の本名である津島修治をもじったものだ。
太宰は1935年の第1回の芥川賞に「逆行」が候補とはなったが落選している。
第2回は二・ニ六事件で審査が中止。第3階は前回の候補者は対象外とする規則ができてしまう。
尊敬する芥川の名前の賞、そして500円の賞金が欲しかったが、とうとう受賞はかなわなかった。
寺山修司は芥川の「走れメロス」を題材に演劇にしたたている。
太宰治「人間は死に依って完成させられる。生きているうちはみんな未完成だ」
寺山修司「マッチ擦るつかのま海に雪深し身捨つるほどの祖国はありや」(「祖国喪失」より)
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「名言の暦」10月17日
命日
- ショパン1849:成功に必要なのは完全無欠です。だから極端にまで研究し尽くされ、また評価されるのです。
- 木村尚三郎2006:思いついた日が吉日。
- 若松孝二2012:映画に文法はない。どうつくるのも自由だ。ただ一つ、権力の側からは描かないこと。
生誕
青森近代文学館
- 「修司と修二」