むのたけじ、101歳で死去

昨日、老衰で亡くなったジャーナリスト・むのたけじに関する新聞記事が多かった。享年101歳。
22日の東京新聞

  • 「今が人生のてっぺん」
  • 「統制よりも怖いのは自主規制。家族や周りが怖い」
  • 「どんな悪い平和でもいい戦争に勝る」

23日の東京新聞

  • 社説「戦争は人間をけだものにする。ぶざまな戦争をやって残ったのが憲法九条。九条こそが人類に希望をもたらす。戦後71年間、日本人は一人も戦死せず、相手も戦死させなかった」(むのさん逝く)
  • 本音のコラム「憲法九条が平和の武器だ」(鎌田慧「101歳 反戦の遺言」)

戴正呉シャープ社長

  • 「信賞必罰はホンハイだけでなく全世界で見られるが、日本ではあまりない。でもこの言葉は日本語だ」(日経23日)

「名言との対話」8月22日。向田邦子

  • 「どこで命を終わるのも運です。、、骨を拾いにくることはありません。」
    • 向田 邦子(1929年(昭和4年)11月28日 - 1981年(昭和56年)8月22日)は、テレビドラマ脚本家、エッセイスト、小説家。第83回直木賞受賞。
    • 実践女子専門学校を卒業、卒論は「西鶴」だった。最後の作品となったTBSドラマの「隣の女」の副題は、「現代西鶴物語」だった。1952年から雄鶏者の映画専門雑誌「映画ストーリー」の編集者。仕事の傍ら、脚本を書き始める。当時は、朝は編集部で仕事、午後は映画の試写、夕方は脚本書き、夜はライターの仕事、いうすさまじい生活を送っている。
    • 35歳、テレビドラマ「七人の孫」で売れっ子シナリオライターになる。「だいこんの花」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」「あ・うん」「隣の女」などのヒット作品を量産。絶妙な台詞と巧みな構成で「向田ドラマ」と呼ばれ、ホームドラマの基礎を築く。書いたテレビドラマの脚本は1000本以上。ラジオは10000本を超える。やはり膨大な仕事をしている。46歳、乳がん手術。テレビの仕事を休んで間に回帰始めたエッセイ「父の詫び状」が高い評価を得る。この出版は、乳がんという大病の「お釣り」だった。51歳で「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」(「思い出トランプ)で直木賞を受賞。
    • 向田邦子は1981年、台湾での航空機事故で死去。「どこで命を終わるのも運です。、、骨を拾いにくることはありません。」、この遺書は2年ほど前に書かれている。飛行機事故(1981年8月22日)を想定していたかのようだ。「死んだ後も人に思い出してもらえるようなものを書こう」と本人が言っていたように、冒頭の言葉は自ら選び取った生き方への矜持が滲む言葉である。