本日の東京新聞・中日新聞の「遅咲きの人 伊能忠敬的生き方」特集にインタビュー記事。

本日12日の東京新聞中日新聞の4面「考える広場」は「遅咲きの人 伊能忠敬的生き方」特集。伊能忠敬没後200年。漫談家綾小路きみまろ「あきらめず人生幸せ」、不動産会社社長・和田京子「主婦から80歳で起業」、私「長寿 いつでも咲ける」というタイトルで一面全部を使ってインタビューに応じている.

 

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◆長寿いつでも咲ける 多摩大副学長・久恒啓一さん

 人生百年時代と言われます。それを健康面やお金の問題からリスクと捉える人が多いのですが、私はチャンスと捉えるべきだと考えています。自分のライフワークが完成する可能性が高くなるからです。長寿時代を生きるためのモデルとなるのが遅咲きの人です。四十代で咲かなければ五十代で咲けばいいし、その先でもいい。いつでも咲けると思いながら生きていけばいいと思うんです。

遅咲きの人には、いろいろなタイプがあります。「二足のわらじ型」は、職業を持ちながら別の分野にも取り組み、最後はその分野で歴史に名を残すような人です。伊能忠敬はこのタイプでしょう。脱皮するようにどんどん変わっていく人、一心不乱に一つのことに取り組み、時間をかけて立派な業績を上げる人もいます。

 タイプを問わず、共通するのは、だんだん良くなっていくという点です。磨かれ、蓄積されて高みに上っていく人がほとんどです。早咲きの人は途中でダウンして、そのまま上がってこないケースもある。遅咲きの人には蓄積があり、その間に成熟していく。土台がしっかりしているのです。

 遅咲きとは、凡人が時間をかけてこつこつと蓄積し、非凡になっていく過程でもあります。これが遅咲きのいいところです。学生に講義をしていると、早熟の天才より遅咲きの人に関心を示します。天才は普通の人間の参考にはなりません。若者はみな不安で悩みも多いのです。だから、人生の途中から頑張った人の話に感銘を受けるのでしょう。遅咲きの人は若い人にも勇気を与えてくれます。

 伊能忠敬は五十歳を過ぎて家業を離れたとき、勉強のため家を出ると言いました。周囲から「そんな年齢になって測量なんてやめてくれ」と反対されましたが、彼は「わしは五十一歳になったばかりだ」と言い、年下の学者に弟子入りする。彼は、余生はいらないと言ったそうです。自分のやりたいことをやるという意味でしょう。

 忠敬のような生き方が今後、もっと注目されてもいいと思います。仕事を中心にしながら自分の興味のある分野を深掘りしていくことです。それが遅咲きの花となるかもしれません。大輪の花でなくても、自分が満足できるレベルになればいいのではないでしょうか。

 (聞き手・越智俊至)

  <ひさつね・けいいち> 1950年、大分県生まれ。九州大卒。日本航空を早期退職。宮城大教授を経て2008年から多摩大教授。15年から現職。『遅咲き偉人伝 人生後半に輝いた日本人』など著書多数。

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「副学長日誌・志塾の風」180512

・品川:大学院教授会

・九段:多摩大OBの岡君から近況報告あり。外資系企業(中国)でIT

マーケッティング。CtoJ(中国のアプリなどを日本へ展開)、デジタル情報を有機体に。ブロックチェーンは自由・分散・民主。改ざんできない。物流、自動運転、生保(スマートコントラクト)、AI(ビッグデータ、大企業)の脆弱性補完、IOT、ベンチャー向き。

・インターゼミ:岡君の近況。新人の大学院生の自己紹介。

学長講話:

本気でものを考える。FAAGA+Mのアメリカ。アリババとテンセントの中国で時価総額500兆円(日本のGDPと同じ)。食糧を輸入し工業製品の輸出する国。食糧自給率38%という惨状とテレビ・カメラなどの不振というものづくり国家へ。食と農。

多摩学:過去の論文。

 地域:県民幸福度ランキング2018。客観指標。信金金利、、。若者の視点、女性買った苦、、。

AI:新分野。松尾先生の本。(ブロックチェーンレボリューション)

アジア:大英帝国は英語・英国法・スポーツが遺産、大英連邦。とモンゴルは消えた。シンガポール華人・華僑(元・清の異民族支配から)76%。アジア3500万人。

ロンドン出張報告:夢にカネがつく時代。蛙跳び経済。アメリカのブラックロック(運用資産500兆円)。ロンドンのMAN投資顧問(150の市場にブリッジ。24hのAI投資)。ロベコ。

グループワーク:私はAI班

終了後、AI班の懇親会に出席。

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「名言との対話(平成命日編)」5月12日。蜷川幸雄「大きい物語を書くことを恐れるな」

 蜷川 幸雄にながわ ゆきお1935年10月15日 - 2016年5月12日)は、日本演出家映画監督俳優

若い頃から自意識過剰であった蜷川幸雄は、自伝『演劇の力』で自己との絶えざる格闘を行った傷だらけの人生であった。。東京芸大の受験失敗で、生々しい感情を吐き出せるのは演劇だろうと劇団員になる。売れない俳優人生であったが、32歳頃から演出を手がける。50歳の頃に演出の仕事でようやく食べられるようになるのだが、50代は肉体の故障と精神の憂鬱から長いトンネルの時代だった。神経過敏にならなくても演出できるようになったのは60歳の頃。演劇世界での孤立感をバネに演出の仕事に没頭し、60代は仕事の場が広がった。2006年に55歳以上を集めた劇団高齢者劇団ゴールド・シアターもつくっていて、テレビで高齢者集団の演劇の稽古を指導する姿をみたが、迫力があった。「ゴールドシアターの劇団員を見ていると、「高齢者」とひとくくりにするのは本当に危険だとわかるよ。60歳より80歳がふけているかというとそうじゃない。個々でまったく違うからね」。

命を刻みながら書いているオリジナルの才能の劇作家が歳をとって小さな物語に収斂するのをみると裏切られた気持になり違和感を感じた蜷川は、70代にさしかかると「パンクじじいになる」と宣言し時代を疾走する。世界的にみても50歳を過ぎて優れた演出を続けた演出家はいないから、遅咲きの蜷川幸雄は特異な存在である。

仏壇の中で行われる「NINAGAWAマクベス」は1987年にロンドンで上演し絶賛される。この作品は自分でも傑作だと思っている。巨大な仏壇の中で魔女が語り、マクベスが苦悩し、殺人を冒す。私はこの演劇を観たのだが、日本人と共有できる記憶の磁場として巨大な仏壇を配置するアイデアには驚いた。「記憶と、現在起きている出来事が、どれだけ観てる人の心の中に残っていくかの勝負だ」と蜷川が言うように、今でも映像として強い印象で残っている。

「若い人はデジタルの中にアナログの感覚を持ち込んで欲しい。身体的な触覚や生理感覚。表現や人との関係もきっと広げられるよ」

受賞歴は以下。菊田一夫演劇賞文化庁芸術祭演劇部門大賞、テアトロ演劇賞、芸術選奨文部大臣賞、読売演劇大賞(第20回に大賞と最優秀演出家賞)、松尾芸能賞毎日芸術賞朝日賞朝日舞台芸術賞(グランプリ、特別大賞)、紀伊國屋演劇賞個人賞など、多数の受賞がある。2001年に紫綬褒章、2004年秋に文化功労者、2010年秋に文化勲章(75歳)を受章。他に第53回菊池寛賞、埼玉県民栄誉章、川口市市民栄誉賞などを受賞。海外では、1992年に英国エジンバラ大学名誉博士号、2002年に英国名誉大英勲章第三位。2005年にWalpoleメダル、2010年に米国ケネディ・センター国際委員会芸術部門ゴールド・メダルを受章。

「昨日と今日のおまえは違うだろ。昨日からの1日で経験した何かを足さなければ、その演技は過去のもの。常に新しいものを提示する意識を持て!」「自己模倣するようになったらみっともない。人ってハードルを越えていくことで成長するものでしょ」「人と違うことをやることで、なんとか自分の存在証明をしたかったんでしょうね。人と違う、すごいものを作りたいっていう思いだけはありました」というように、蜷川の姿勢は生涯変わらない。それが魅力だ。

小さなつぶやきで成り立つ演劇は現在の社会の姿と同じだからインパクトはない。演劇の場所は大きな物語を語ろうとするところにあるのだ。こういう蜷川幸雄の時代に対する強烈なメッセージは、私には小さな物語ではなく大いなる物語を描こう、矮小な計画ではなく遠大な構想を持て、そして閉塞的な状況を突破せよ、と聞こえる。

 

演劇の力 ―私の履歴書