カラダ。日比谷図書文化館。出版社。生誕祭。

午前: 立川で体を整える。姿勢!

昼:日比谷公園内にある日比谷図書文化館で、「複製芸術家 小村雪岱 装幀と挿絵に見る二つの精華」展を見てきました。

小村 雪岱(こむら せったい、明治20年1887年3月22日 - 昭和15年(1940年10月17日)は、大正から昭和初期の日本画家版画家挿絵画家装幀家

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午後:荻窪。「全集」第2巻の最終校正終了。社長とも雑談。

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夜:自宅。橘川幸夫生誕祭に参加。40代50代を中心に50人が集合。30代、60代も。

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誰もが ニコニコしている。涙ぐみながらの祝辞あり。生き方を話す人々。素直になれる。みんな悩んで大きくなった。無敵の人。SNS破門。、、、、。影響力が大きい人。

私の祝辞は「同い年。刺激。100m競争とマラソン人生。中老でなく人生100年時代の実年期を生きよう」。チャットで「青年期。壮年期。実年期。熟年期。大人期。仙人期」。

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「名言との対話」2月4日。桃井真「一日一冊はあたりまえだ」

桃井 真(ももい まこと、1923年2月4日 - 2004年4月18日)は、日本の国際政治学者軍事アナリスト。翻訳家・編集者としても活躍した。

神奈川県鎌倉市生まれ。長野県佐久市出身。陸軍委託学生として東京外国語学校英語科を卒業中野学校を経て、参謀本部。久留米予備士官学校を卒業と同時に参謀本部で放送傍聴に従事する。

終戦後、進駐米軍属、北日本貿易、エイジアン・エコノミックレビュー、ブリティッシュ・インポート、日本商工会議所アジア経済研究会などを経て、1954年に防衛研修所に入所、ハーバード大学に派遣され、帰国後は国際関係論研究に従事する。防衛研修所を退所後は国際政治評論家・軍事アナリストとして活躍した。1993年叙勲四等旭日小綬章

著書は1963年発刊の『ケネディにつづく若者たち――"ジャーナリスト"のハーバード大学留学記』(講談社、1963年)から、1998年の『2001年・日本の軍事力――「有事」の際、本当はどこまで守れるのか』(祥伝社)まで、単著が8冊あり、訳書も多い。

女優の桃井かおり(1951年生)の父だ。経歴をみると、防衛庁からの派遣でアメリカ留学していた時は、かおりはまだ10歳前後だった。

ペンタゴン初の試みで受け入れてくれたテストケースであり、37歳という遅い留学であった。その1960年2年間の留学体験記『ケネディにつづく若者たち』を読んだ。1年目はコロンビア大学大学院ジャーナリズム学科(実務経験2年以上が入学資格。平均年齢は26歳)、2年目はハーバード大学行政学科(英語以外に外国語2つが入学の条件)を卒業している。どちらも通常は2年かかるから快挙だ。

早朝から深夜まで勉強に明け暮れた。「北極で戦争しているつもりで勉強せよ」。一日一冊(400-500頁)の読書。、、、、凄まじいプログラムだ。この期間を終えてようやく「人間」になれるのだ。エリートの勉強ぶりの凄まじさが、アメリカという国のバックボーンを支えていることがわかる。「批判だけで終わらず、つねに代案を用意し、求められれば、いつでも実行に移せることを証明できる理論」が、ハーバード大行政学科の伝統だ。またこの本には学生生活の内側、女学生とのデート、アルバイト、スポーツ、食べ物などの項目もあり、その観察が興味深い。

桃井真の娘は女優の桃井かおりである。「役者なんてまともな家の人がするもんじゃないという偏見が僕にはあった。(中略)まわりは羨ましそうだった。(中略)僕が奢ると娘の金だと思うから。それがずっと嫌でした。今も嫌です」と述懐している。なお、真は自ら購入した二世帯住宅でかおりと暮らしていたが、晩年まで「まだ女優やめられないのか」と聞き続けたという。

 2004年に父が他界し、かおりは父の死を乗り越えるために、もっと辛い状況に身を置くことを決意し、ハリウッド映画のオーディションを次々に受け、2005年に『SAYURI』でハリウッド映画初出演。2006年アメリカ合衆国映画俳優組合に加入し、ロサンゼルスに住み活躍の場をハリウッドに広げている。このあたりのことはインタビューで聞いたことがある。そういう経緯とは初めて知った。

「一日一冊」読むのが当たり前の生活という習慣は、その後も恐らく身についていて、膨大な知識を自動的に得ていく原動力になっていくことによって、アメリカのベスト・アンド・ブライテストが誕生していく。遅まきながら、この「名言との対話」を書くための習慣を数年続けている私も、そのことが少しわかるような気がしている。

 

ケネディにつづく若者たち―”ジャーナリスト”のハーバード大学留学記 (1963年) (How to books)