野党圧勝!?ーー本日の図解塾のテーマは「衆院選の公約の比較図解」。

図解塾:テーマは今週末の「衆院選の公約の比較図解」でした。

図解を描くことによって、全員に自分の意見が生まれ、投票すべき人と政党が決まりました。野党圧勝という結果でした。さて、どうなるでしょうか。

 

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以下、塾生の反応です。

  • 本日も濃厚な時間をありがとうございました。私はほぼ毎回支持政党が決まっているのでこれまであまりいろいろな党の政策を見たことがありませんでしたが、きちんと読んで比較するというよい機会を与えられました。Tsudaさんも書いておられますが、スローガンが果たして実現可能かどうかも気にはなるところです。それにしても、どの候補者も耳障りのよい、目先のことだけしか語っていないようで残念です。図へのコメントから発展して、こういった疑問や懸念も、率直に語り合えてよかったと思いました。
  • 本日もありがとうございました。政治は学生時代に教科として苦手だったという印象が抜けきらないマインドを変えたいと努力をしているところです。図解塾のテーマとして取り上げていただくことで、重い腰を上げることができありがたく、かつ、政治に興味を持たれている皆さんの語る姿から、政治は思っているよりも生活にかかわる身近なことだと認知するきっかけになっています。図解は思考法というところまで、政治テーマでたどり着けるのは私の場合はもう少し先になりそうですが、「繰り返すことで頭の中にある図が補強されていくという」感覚を体感できるように前向きに取り組んでいきたいと思います。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。本日のお題は衆院選に向けた各党の公約を図解で比較する、というモノでした。丁度10/17付け東京新聞には、まさにその比較の表が掲載されていたのですが、一面全てを埋め尽くす膨大な文字数に閉口しつつも、まずは書かれている数字や明確な言葉を拾い集め、「一言集」を文字起こしを兼ねて作成しました。これだけでも「どの党も同じような公約が目に付くなぁ」等と少しずつ俯瞰し始めることができました。これに加えて自分の気付いた疑問や意見、これに基づき独断で付けた点数を集計することで、図解の元になる「情報の要約」を行う…そのような段取りで進めていきました。自分にとって元々あまり興味のなかった世界なので、予備知識も乏しい中膨大な情報と対峙する際には、自分の言葉で説明できるようになる為にどのように進めるか、きちんと段取りする事ができたのが今回非常に大きな学びとなりました。また、他の塾生の方々のアウトプットからは、①ニュースソースを複数持ち視点が偏らないよう配慮する点、②「今」の公約を取り扱うと同時に、「過去」分の達成実績の確認もまた重要である点、③各政党のカラー(右/左派?)を踏まえて紙面上にレイアウトする事は、観る人にしみじみ受け取ってもらえる一工夫となる、等といった情報も得ることが出来、今回も非常に学びの多い場となり誠に有意義でした。さて今回の課題で気になった「公明党」の立場ですが、今回自ら勝手に立てた仮説である「立憲ほか在野の政党との連立による政権奪取」という何の脈絡もないフィクションは、果たして真実となるか仮説のまま終わるか…興味津々。怒涛の情報に真っ向対峙し新たな自分の一分野がまた一つ築けた思いが致します(まだちっぽけですが…)。11/3のフェスではひとり5分の枠で自由な主張ができるとのこと、この枠、もしかして自分にとって大きすぎないかナ?こちらも興味津々。次回も宜しくお願い致します。
  • 久恒先生、参加された皆さん、今回もいろいろ学ばせていただき、ありがとうございました。課外講座のテーマは「衆議院議員選挙の公約」。私は残念ながら図解を仕上げることができませんでした。政党間で共通する点と相違点を仲間分けする形でキーワードを並べてみたり、テーマを学生に関すること(教育費)に絞ってから仲間分けしたりしましたが、図に落としきれませんでした。でも、発表されたみなさんの図を拝見して、ご自身の視点や考え方を素直に図解にされているところとか、言葉の抽出の仕方、見やすく工夫されている図形の配置など、私が悩んだことを解決するヒントをいくつもいただくことができました。また、公約を図解にすることで、自分が託したいことは何なのかに気づくきっかけにもなりました。次回の千本ノックでは、考えたことを素直に書き込むようトライしたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。公約の図解。みなさまの図解で勉強させていただきました。比例代表も選べそうです。図解するための準備というか、みなさまの試行錯誤の様子も見えて、感心しきりでした。図解に取り組むことが大事なことだと実感いたしました。よくわからないのに選挙にいっても意味がないのでは、、と思いがちですが、図解すれば、支持政党も出て、自信を持って行けるようになりますね。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
     
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    「名言との対話」柴野拓美「かつて柴野拓美と呼ばれた残骸です」
    (しばの たくみ、1926年10月27日 - 2010年1月16日)は、日本のSF翻訳家SF作家であり、SF研究家である。

    第四高等学校、東京工大卒。1951年から1977年まで都立小山台高校定時制)の教諭をつとめた。1957年、日本初のSFファングループ「宇宙塵」の創立し主宰者。同人誌「宇宙塵」の編集長。この同人誌からは星新一ら100人を超すSF作家を輩出している。アマチュア作家をプロに育てる才能でも有名な人である。

    日本SFファンダム(SFファンの同好会)の父と呼ばれ、SFファンダム賞を創設した。この賞は後の1982年の柴野拓美記念・日本SFファンダム賞(略称:柴野章)になる。SFファン活動の功労者を顕彰している。

    神奈川県二宮市に住んでいた。二宮ゆかりの人として顕彰されている。遺族からも多くのSF関連資料の寄贈が図書館に寄贈されている。「ゆかりの人」という企画は参考になる。

    著作活動が活発だ。小説4冊、評論7冊、編集・監修・共著10冊、そして翻訳は実に73冊を数え、合計で100冊に迫まる。主に翻訳で使った小隅 黎(こずみ れい)というペンネームは、コズミック・レイ(宇宙線)からとっている。SFを支える3つの柱は、怪奇幻想性、文明批判、フロンティア精神というのが柴野の考えだった。

    1971年から2006年まで35年間にものした翻訳書の名前を眺めているだけで、ワクワクする。その中でも読みたいなと感じさせる書名をあげてみよう。

    大宇宙の墓場。恐怖の疫病宇宙船。異次元の陥穽。原爆は誰でも作れる。インフェルノ. SF地獄篇。惑星メラーの魔薬。太陽系辺境空域 。中性子星。窒素固定世界。アシモフ博士の世界。未来からのホットライン。造物主の掟。ゼロ・ストーン. 2 (未踏星域をこえて)。タイムマシンの作り方 。時間泥棒。造物主の選択 。銀河パトロール隊。三惑星連合。

    柴野拓美は2010年に83歳で永眠している。亡くなったときに、縁のあった人たちが偲んで思い出を語っているサイトをみつけた。人を育てる名人だったことがわかるエピソードが多くあり、生前の姿をほうふつとさせる。以下、追悼のつぶやきだ。

    • 柴野さんには2冊目のエッセイ集『とり・みきの大百科事典』を出したとき、わざわざお手紙をいただき(内容はともかく)文章というか文体についてお褒めの言葉をいただきました。これがどんなに嬉しいことであったか。
    • 「さかいさん、だから、いい加減にSF考証なんて仕事はやめて、翻訳をおやりなさい」と説教されて
    • 私は野田さんや柴野さんたち先達が我々にしてくれたように、若い世代にきちんと接してあげているだろうか。いかんなあ。
    • SFコンベンションで何度か席が隣になり声をかけていただいたことがあるだけなんだけど、右も左もわからない新米SFファンにとってそれがどれだけ励みになったことか。
    • 宇宙塵会員だった私の名前を覚えていてくださったのが嬉しかった。
    • 柴野さんも、こんなわけのわからん子どもの原稿をよく使ってくれたものだ。
    • 柴野さんがいたから、今のオレがある。
    • 初代のSF作家たちはみな、宇宙塵を経てデビューした。
    • 柴野さんがいなければSF大会はなく、SF大会がなければコミケもなかったろう。そう思うと今隆盛を極めている日本のサブカルチャーの非常に多くが、柴野さんからひろがったといえるんでないかな。
    • 学生時代の失礼なぼくにも優しい笑顔と抱擁力で接してくれたことを思い出します。
    • ファンも編集者も作家も対等に語り合うというSF界の気風は柴野さんが作ったような気がするなあ。
    • SFファンダムはどうなってしまうのか?
    • 日本のSFのSは柴野、Fは福島正実と言われていたこともありました。
    • 若者の育成も考えていきたいと思います。
    • 息子に「SFは読んでいますか?」と話しかけてくださり「SFはあなたのような若い人に支えていってもらわないといけません」と仰った。

    このつぶやきの中で、自らを「かつて柴野拓美と呼ばれた残骸です」と言ったという書き込みがあった。目もほとんど見えず、耳も聞こえず、気胸でヒューヒューと苦しげに呼吸をしていたという目撃談だ。2006年に最後の翻訳書を出してから4年でなくなっているから、その間の時期だろうか。

    柴野拓美が1957年に創刊したSF同人誌「宇宙塵」は2013年7月発行の204号で惜しまれながら終刊となった。柴野拓美という宇宙人がつくった偉大な雑誌「宇宙塵」は、半世紀以上の命があったのだ。「人の才能を育てる人」であった柴野が切り拓いたSFという分野には、数多くの人材が育っている。われわれはその楽しみを享受している。