3月は「積ん読」、4月は「精読」。

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4月分の本が届いている。まだ数冊あるでしょうが、3月中は少しづつ手に取ってみましょう。読まねばならないという意味での宿題というより、楽しみという意識の方が強いように思います。新しい世界を知ることは何ものにも代えがたいところがあります。4月からは、一日一冊の精読のプロセスに入ります。

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少しづつ読んでいる田原真人『出現する参加型社会』を読み終えました。後ほど感想を書くつもりですが、「未来叢書」シリーズにふさわしい未来を切りひらく名著です。

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「名言との対話」3月19日。伊吹和子「作家にとって最高傑作を書き上げたときが最大の危機なのである」

伊吹 和子(いぶき かずこ、1929年3月19日2015年12月16日)は、日本の編集者エッセイスト

京都市呉服屋に生まれる。女学校卒業後、京都大学国文学研究室に嘱託として勤務した後、1953年の24歳の時、当時66歳の谷崎潤一郎と会い、旧仮名遣いの書ける筆記者として「潤一郎新譚源氏物語」の原稿の口述筆記者となる。谷崎は、右手を痛めて自筆では書けなくなったために、「潤一郎新譯源氏物語」以降の作品制作は、ことごとく口述となった。「明日から来なくてよござんす」と何度も突然クビを言い渡されながら、谷崎から仲直りのお使いを頼まれれて復帰することが多かった。まさに谷崎の右腕として励んだ人だ。

「谷崎源氏」の仕事が終わったあとは、中央公論社の谷崎担当の編集者として引き続き口述筆記に従事し、「瘋癲老人日記」や「夢の浮橋」など、晩年の傑作の誕生の現場に親しく立ち会う。1959年からは中央公論に勤務し、谷崎の助手を続け1961年からは川端康成担当編集者となり、以降多くの作家の担当となる。1984年の定年退職後、谷崎との思い出を連載、『われよりほかに  谷崎潤一郎 最期の十二年』として1994年上梓、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。

今回、『めぐり逢った作家たち』(平凡社、2009年)を読んだ。谷崎潤一郎の他には、川端康成井上靖司馬遼太郎有吉佐和子水上勉を回想したエッセイである。

谷崎は96ページで、他の作家は5人で212ページだから、2倍以上の分量だ。「あとがき」で述べているようにたしかにバランスは悪いが、谷崎との関わりは特別だったのだのだ。「谷崎源氏の真実」というタイトルで、この代表作ができあがる経緯と「禁忌三ヶ条」の真実について克明に研究的に記している。

与謝野晶子『新訳源氏物語』は概略を追った縮訳の全集であり、谷崎源氏は全訳である。「旧訳」「新訳」「新々訳」の三度の仕事の流れがわかる。1939年から1941年にかけて訳した「旧訳」が「山田孝雄校閲 谷崎潤一郎訳」となっている経緯は興味深い。山田博士国語学の泰斗であり、谷崎源氏は「昭和源氏」となると見抜いている。谷崎は3度原稿をつくっている。「源氏物語」は軍国主義の時代には「不敬の文学」と呼ばれた。臣下が皇后と密通、密通によって生まれた子が天皇になっている、臣下たるものが太政大臣に準ずる地位にのぼっている。これらの部分は検閲をおそれて自ら削除している。その経緯を追った研究記録でもある。

正宗白鳥は1933年にアーサー・ウェイリーの『源氏物語』の英訳を絶賛し、谷崎の小説を酷評している。絶賛された『春琴抄』の後に書いた作品を「大才谷崎潤一郎にしても、なほ多作の幣を免れないのではあるまいか」と指摘し、「同じことを同じ程度の技巧で書くのなら、芸術としては無用な所業である」と知れ切している。それを読んだ谷崎の反発が原動力となって源氏へつながっていく。伊吹和子はこの本で「作家にとって最高傑作を書き上げたときが最大の危機なのである」と記している。谷崎はスランプを乗り切るために、新作を考えるより楽な源氏に取り組んだのだ。そして一日に4、5枚の遅いペースで2年で書き上げている。

伊吹によれば、谷崎は光源氏には生理的な嫌悪感を持っていた。谷崎自身は「源氏」については「それほどの傑作と思いませんがね」と答えている。谷崎が「先生」という敬称を使ったのは鴎外、荷風山田博士、小学校時代の稲葉恩師だけだった。

山田博士は「私が監修したのですから、誤訳というようなものはありません」と断定している。この姿に著書は深い印象を持ったが、私も感銘を受けた。

『めぐり逢った作家たち』では、他の作家も谷崎との比べながら書いている。全員が文化勲章の受賞者であり、そうそうたる大作家たちから可愛がられたことがわかる。難物の谷崎の秘書がつとまったのだから、ということで、著名作家の担当をあてがわれたのだろうが、それは正しかったようである。

伊吹和子は編集者という仕事の持つ醍醐味を満喫したのだろう。人間観察としてはこれほど面白い職業ないだろう。作家という職業人については、秘書や家族、特に妻などの観察が非常に面白い。そういう例は、山本周五郎新田次郎などいくつかあげることができる。その嚆矢が伊吹の谷崎潤一郎だろう。

傑作とスランプという波の循環の連続の中で、その危機を乗り切るという意味での仕事の選び方について谷崎潤一郎のとった方法は見事だと思う。その機微を谷崎の不世出の秘書である伊吹和子が書き残してくれていることに感謝したい。早速『われよりほかに  谷崎潤一郎 最期の十二年』を読むことにしたい。