高橋源一郎「飛ぶ教室」ーー関川夏央『人間晩年図巻1995-99年』

高橋源一郎飛ぶ教室の24日分をウオーキングしながら聴く。

「秘密の本棚」は、「90年代後半に晩年を追い来た人たちから学ぶ」というタイトルで、関川夏央『人間晩年図巻1995-99年』(岩波書店)を紹介していました。戻って私の本棚からこの本を取り出して再読しました。

1995年からの5年間は、90年代初めのバブル崩壊を受けて、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件から始まる。21世紀直前に亡くなった人の晩年を中心に描いた意欲作だ。各年の亡くなった人を並べている。

1995年は、公文公など。1996年は司馬遼太郎、難波康子、フランキー堺渥美清など。1997年は藤沢周平、鄧小平、勝新太郎伊丹十三など。1998年は村山実木下恵介など。1999年は芦田伸介江藤淳など。

このシリーズは1990-1994年版、1995-1999年版、2000-2003年版、2004-2007年版、2008-2011年まで出ているようだ。関川はずっと続けるのであろう。

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関川が参考にしている山田風太郎『人間臨終図鑑』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(徳間文庫)は15歳で死んだ八百屋お七から121歳の泉重千代までの日本と世界の923人を、死んだ年齢別に取り上げて臨終の様子を描いた列伝である。1986年9月から1987年3月までの刊行作品だ。

関川夏央山田風太郎の衣鉢を継ごうとしている。3冊を本棚から取り出して構成を確認する。

人間臨終図巻 1-3巻セット (徳間文庫)

各年齢(一部年代)ごとに、主として医学を学んだ山田風太郎が「死」についての自身の箴言を載せている。それらを順に列挙してみよう。山田風太郎の死生観がわかる。

「死をはじめて想う。それを青春という」「神は人間を、賢愚において不平等に生み、善悪において不公平に殺す」「人は死んで三日たてば、三百年前に死んだのと同然になる」「路傍の石が一つ水に落ちる。無数の足が忙しげに道を通り過ぎてゆく。映像にすればただ一秒」「人生の大事は大半必然に来る。しかるに人生の最大事たる死は大半偶然に来る」「もし自分の死ぬ年齢を知っていたら、大半の人間の生きようは一変するだろう。従って社会の様相も一変するだろう。そして歴史そのものが一変するだろう」「敵を隔てて痒きを掻く。生を隔てて死を描く」「臨終の人間「ああ、神も仏も無いものか?」 神仏「無い」」「また臨終の人間「いま、神仏が無いと言ったのは誰だ?」 答え無し。--暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」「死は推理小説のラストのように、本人にとって最も意外なかたちでやって来る」「自分と他人との差は一歩だ。しかし人は永遠に他人になることは出来ない。自分と死者との差は無限だ。しかし人は今の今死者になることも出来る」「この世で最大の滑稽事は、自分が死ぬことだ。にもかかわらず、およそ人間のやることで、自分の死ぬことだけが愚行ではない」「臨終の人間「神よ、世界の終りの日の最後の審判などいわないで、いま審判して下さい。まぜ、いま、私が、、、、」 神「では、いおう、最後の審判がいまだ」」「あの連中も待ってゐることを承知の上で、それでも君は「死後の世界」があることを望むのか?」「最愛の人が死んだ日にも、人間は晩飯を食う」「死の一秒前の生者「おれを忘れるな、忘れてくれうな!」 死の一秒後の死者「おれを忘れろ、忘れてくれ!」」「性の快楽と死の苦痛は万人平等である、しからば、なぜそれ以上の平等を求める必要があるのだろうか」「みんないう。…、いつか死ぬことはわかっている。しかし「今」死にたくないのだ」「…、いろいろあったが、死んでみれば、なんてこった。はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、皆の衆」「死が生にいう。「俺はお前がわかっている。しかし、お前には俺がわかっていない」」「死の瞬間に、何びとも悟るだろう。…、人生の目的なるものが、いかにばかばかしいものであったかを」「自分の死は地球より重い。他人の死はイヌの死より軽い」「どんな臨終でも、生きながらがらそれは、多少ともすでに新曲地獄編の相を帯びている」「いかなる人間も臨終前に臨終の心象を知ることができない。いかなる人間も臨終後に臨終の心象を語ることができない。何と言う絶対的な聖域」「生は有限の道づれ旅。死は無限のひとり旅」「幸福の姿は一つだが、不幸の形はさまざまだ、とトルストイはいった。同じように、人は、生まれてくる姿はひとつだが、死んでいく形はさまざまである」「人間は、他人の私には不感症だ、と言いながら、なぜ「人間臨終図鑑」など書くのかね」「…、いや、私は解剖学者が屍体を見るように、さまざまの人間のさまざまな死を見ているだけだ」」「自分が消滅した後、空も地上も全く同じ世界とは、実に何たる怪事」「老いても、生きるには金がかかる。…、人間の喜劇。老いても、死ぬには苦しみがある。…、人間の悲劇。地上最大の当然事、、、他人の死。地上最大の意外事、、、、自分の死」「人間は青年で完成し、老いるに従って未完成になってゆき、死に至ってとって無となるのだ」「人間「うまいものは、一番あとにとっておこう」。癌「食物の話なら、それもよかろうが。、、、ワハハ」「人間たちの死は「臨終図鑑」のページを順次に閉じて、永遠に封印してゆくのに似ている」「これこそまさに昼と夜の戦いだ、と死床のユゴーはいった。しかし夜の次にもう昼は来ない」「長命者は大空に残った薄雲に似ている。いつまでも消えないな、と眼を離すと、いつのまにか消えている」「人間には早すぎる死か、遅すぎる死しかない」「…、意味があって、長生きするのではない」「災いになるかな老いて痴呆と病苦に陥らざるもの、彼は死の憧憬を持つ能わざればなり」「残り少ない余命の死が、残り多い余命の苦痛において同量だとは」「人間の死ぬ記録を寝ころんで読む人間」「別れの日。行く人「やれやれ」 送る人「やれやれ」」「人は、忘れられて死んだ方が幸福である。なぜなら、彼はもう音もなく死んでいるのだから」

この2つの本は、大いに参考になった。

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テレビ

  • 全日本柔道選手権(令和3年)の準々決勝から決勝までをみた。準決勝、決勝は「旭化成」の選手のみで驚いた。全日本王者は太田彪雅(24歳)が連覇を目指した羽賀龍之介を破った。紙一重の実力差の猛者たちが繰り広げる試合だが、それでも決勝は昨年と同じ2人の対決だった。太田は昨年負けた原因を研究し尽くして王者になった。
  • フィギュア全日本選手権羽生結弦(27歳)が圧巻の優勝。異次元の境地にいる感じがした大谷翔平も27歳、29歳の松山もいる。スポーツの世界での若い世代の活躍は素晴らしい。
24歳の太田彪雅フィギュア全日本選手権羽生結弦(27歳)が圧巻の優勝。
  • NHK大河ドラマ「青天を衝け」最終回。渋沢栄一については記念館も訪問し、自伝も読み、各所にのこる事績もみてきたが、このドラマでさらに知識が深まった。

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今日のヒント

ジェームス・オッペンハイム「愚かなる者ははるかに遠いところに幸福を探し求め、賢い者は足元で幸福を育てる」。

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年末年始にやるべきことを書きだす。1日1万歩を目標とするか。今日は9200歩。

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「名言との対話」12月26日。山田政雄「娘を元気に育てたい」

山田 政雄 (やまだまさお 1927年12月26日〜2015年1月21日)は、日本の経営者。 山田養蜂場 創業者。

徳島県出身。1960年、娘が先天性の心臓疾患をもって誕生し、山田は「何とか元気に育てて、心臓の手術をさせたい」と決意する。ローマ教皇ピウス12世が危篤状態から奇跡的に回復したのにあずかったのがローヤルゼリーということを知って、ミツバチを飼い、独自にローヤルゼリーを大量生産する技術を習得する。娘は大切な命を落としはしたが、多くの人の健康を守るためにもっと研究し、ローヤルゼリーをたくさんの方に届けなければならないという使命に目覚める。

その後、家族経営で生産した蜂蜜やローヤルゼリーを卸や催事で販売していた時代を経て、通信販売による健康食品や化粧品の事業へと拡大・発展していく。

山田養蜂場のホームページによれば、元々は同じミツバチの幼虫であるが、女王蜂となる幼虫のみがローヤルゼリーを与えられて育ち、体の大きさは働き蜂の約2~3倍となり、寿命は働き蜂の1ヶ月に対して3~4年となる。そして毎日約1500~2000個もの卵を産み続けるという驚異的な生命力を支えているのがローヤルゼリーだと紹介している。

2019年に河口湖庭園に建つ「ふじさんデッキ」訪問したことがある。高さ13メートルの展望台で富士山のきれいな全貌を目におさめることができる新しい名所だ。この庭園は春には桜やツツジ、初夏にはラベンダー、秋には紅葉、冬には大温室で育成中のハーブと花を楽しむことができる。

この庭園の園主は志村忠良という人だった。3歳の孫がアトピー性皮膚炎になる。ローズゼラニウムというハーブの乾燥葉をすすめられて風呂に入れて試すと痒がらなくなる。サトウキビのアルコールで抽出液をつくり孫に持たせる。同じ悩みの人たちに分けてあげると大きな反響があった。化粧品として認められたが、原料の供給が間に合わなくなる。考え抜いた末に「大きい会社でなくていい、信頼される会社にしていこう」「主原料は自分たちの手で栽培していこう」と決心する。ナチュラル倶楽部のマークは、「おじいちゃんの愛情」の姿だ。

この物語には感銘を受けた。この園では、ふじさんデッキの女性スタッフ、温室の青年、ナチュラル化粧品の販売所でハーブティを出してくれた女性店員など、誰もが親切に声をかけてくれる。「いい仕事をしている」という意識を感じる人たちだった。園主の理念が隅々まで浸透していると感じた。

私が通っているオステオパシーという体の施術をする院長からは、自分の体の不調をなおすために試行錯誤を重ねて、資格をとり、多くの人を救う仕事をることになったと聞いている。

どれも自身だけでなく、娘、孫という肉親の治癒のために、必死で独自に研究を重ねていく中で、自然な形で事業にいき着くというケースである。こういう創業の物語をもつ企業は良心的な商品やサービスを継続的に提供しているケースが多いように思う。

                         (参考:山田養蜂場のHP)