紀田順一郎『蔵書一代』--なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

紀田順一郎『蔵書一代』(松籟社)を読了。

 副題は「なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」。12畳の書斎と3万冊の書物を収納した10畳半の書庫という52年間親しんだ理想的な環境から、新居に移るに当たって一気に本当に手元に置きたい最後の蔵書600冊に減らすという切ない体験から始まる愛書家の蔵書論。

蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

 紀田順一郎先生の書斎と書庫は、1980年代の始めに『私の書斎活用術』(講談社)という本を上梓するときに、「知的生産の技術」研究会の取材で伺ったことある。当時の若い私にとってまさに理想の環境だった。その書斎と書庫と惜別する物語である。蔵書は所蔵者の生涯と営為の結晶であり、ある意味で創作であるから、その解体は自らの死に相当するかも知れない。

著者の紀田順一郎先生は1935年生まれ。慶応義塾大学を出て、総合商社(日商岩井)に勤務。30歳で退社し著述業に専念。以降、書誌学、メディア論を中心に精力的に執筆活動を行う。2017年現在、82歳。

読書家と言えるのは1万冊が目安だと思ってきたが、スチール製書棚(185C・間口80C)で40本が必要であり、六畳間で四部屋が必要という試算になっっている。1万冊以上の蔵書の維持には、不動産価格が高いための金力と本の移動や処分のための体力が必要だ。私も1万冊という目標を持っていたが、これはやめた方がいいかもしれない。

この本に記されている著名人の蔵書数が興味を惹いた。

井上ひさし14万冊(山形の遅筆堂文庫)。谷沢永一13万冊(関西大学谷沢永一文庫)。草森紳一6.5万冊(帯広大谷短大草森紳一記念資料室)。布川角左衛門2.5万点(国会図書館に布川文庫)。大西巨人0.7万冊。渡部昇一15万冊。立花隆3.5万冊。山下武2万冊。江戸川乱歩2.5万冊。(徳富蘇峰10万冊)

個人の蔵書として出発したものが、個人的な目的から発展し、同学の士の参照に資することを意図し、それが「文庫」となる。

新しい動きとして以下の紹介がある。

 -シェア・ライブラリー:東京渋谷co-ba library。赤坂。

-集合書棚:成毛真(HONZ代表)提案。神田神保町。オフィスや店舗の空きスペースに共同の書棚。

新百合ヶ丘の住宅地に建つ一戸建ての2階を全部使った、知的生産者垂涎の理想の書斎と書庫を擁した紀田順一郎先生の「蔵書」は一一代で終わったという著者の哀しみと嘆きが伝わってくる本である。参考になった。

 

「名言との対話」9月26日。ハイデッガー「人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣えない。死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる 」

マルティン・ハイデッガーMartin Heidegger1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、ドイツ哲学者

1923年にマールブルク大学教授となり、1927年に主著『存在と時間』を公刊、1928年には定年で退いた「現象学」のフッサールの後を継いでフライブルク大学に戻った。1933年には38歳でライブルク大学総長となる。ナチスに入党したハイデッガー全体主義的色彩の濃い就任演説を行うが、1年足らずでナチスと衝突して総長を辞任、以後研究生活に没頭。戦後はナチス協力の理由で教職から追放されたが、1951年復職。 旺盛な思索活動を続け、戦前や戦中の成果をも含めた著作を次々に発表し、戦後のドイツ思想界を牽引した。日本では大正-昭和時代前期の哲学者・三木清が師事している。

「人間は、時間的な存在である」

「哲学するとは、畢竟、初心者のほかの何者でもないことの謂いなのです」

「私が死んだら、原稿は100年間封印してほしい。時代はまだ私を理解する構えにはない」と遺言で述べていたが、計算すると100年後は2076年だ。人間は死を意識すると生き方が変わる。時間との競争の中で、今何をすべきかを考えるようになる。死を意識すると有限の持ち時間の中で、自己の可能性をどう実現するかを真摯に考えるようになるのだ。