「川柳まつど」468号8月ーー「長生きの秘訣はトシを考えず」「三角が四角となって丸となり」「一言が凍った空気なごませる」

「川柳まつど」468号8月が届いた。

師匠につかず、「一人一党」の精神で、自分を戒めることテーマにした「戒語川柳」を志しているが、発表の場があり、締め切りがあるから、作品が少しづつたまってくるのはありがたいことだ。

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今月は「天・地・人・客・佳」という入選、そして採られた作品にいくつか入った。

人「長生きの 秘訣は年を 考えず」(宿題「融通」)

佳「三角が 四角となって 丸となり」(宿題「融通」)

 「一言が 凍った空気 なごませる」(宿題「ユーモア」)

他「ユーモアの つもりが今は セクハラか」(宿題「ユーモア」)

 「うかうかとキョロキョロしつつ 年をとり」(宿題「ゆらゆら」)

 「流暢な 英語使いの 中身なし」(宿題「流暢」)

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9月は大会(出席はしない)。10月は「例会」がない。

11月の例会の宿題は「祝う」「色色」「アイデア」「生きる」。

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「名言との対話」9月1日。内橋克人「引き際の研究」

内橋 克人(うちはし かつと、1932年7月2日 - 2021年9月1日)は、日本経済評論家

兵庫県神戸市出身。神戸商科大学卒業後、神戸新聞社記者。1967年よりフリーとなる。高度成長を指せた現場の技術者たちを活写した1978年刊行の『匠の時代ー先駆的開発者たちの実像』で脚光を浴びた。その後、「続」「続々」「続々々」「続々続々」「新」「新2」と、このシリーズは1982年まで続いている。

内橋は読売テレビ制作の『ウェ―クアップ』のレギュラーコメンテーターとして辛口の評論を語っていた姿を私も見ている。当時、日本は好調に発展を続けており、先行きに自信を示す楽観的な評論家がひしめいていた。その中で、アメリカ流の経営に対し警鐘を鳴らし続け、日本的な人を重視すべきとの主張は独特であった。内橋の舌鋒は説得力があった。

今となってみれば、バブル経済とその崩壊を予言してたと思わせる慧眼の持ち主であった感じもしている。

1989年刊行の『引き際の研究』(日本経済新聞社)を読んだ。「あとがき」には日経の山田嘉郎さんには格別の手数をかけたとの記述を見つけた。山田さんは私の『図で考える人は仕事ができる』をつくってくれた名編集者だ。やはりいい仕事をしていたのだなと嬉しくなった。

「公私戴然の男・太田垣士郎・関西電力初代社長」「東京ガス・安西ファミリーの弁明」「本田三代、社長交代の流儀」「東急・五島家三代、世襲の帳尻」「日本航空・伊藤淳二の469日」「昭和の偶像・中内功の行動原理」「帝人大屋晋三、永久政権の負の遺産」「最後の保守政治家・大平正芳の現在意識」が並んでいる。

以下、内橋があげるキーワードを以下に拾ってみた。

世襲社社会。歪んだ世襲社会。停滞社会の到来。混淆と滞留社会。階層固定社会。公私戴然。禅譲放伐。新貴族社社会・新貴族社会。出処進退。教師と反面教師。何を成したか。何を遺したか。組織のしなやかさの維持。死に至る病の進行。後世に範を示すに足る、みずみずしく、潔い「引き際」が稀有。権力をもつ人の出処進退を問い直す、引き際の重要性。

この中に日本航空の伊藤淳二会長の例が出てくる。469日とは私の客室本部労務担当の御巣鷹山事故直後から広報部時代の前半の30代半ばにあたる。私は労務問題の当事者でもあった。内橋は、日航労働組合と中曽根政権に翻弄され更迭される伊藤の姿を同情的に描いている。私は本社の経営陣に近い部署で仕事をしていたから、違う印象をもっているが、そういう見方もあるだろうと思う。

この本は企業におけるトップの引き際を、いい例、悪い例をともに紹介したものだが、それは、経済・産業界だけでなく、学問と教育への浸潤にも及んでいると内橋は書く。その流れは今では政治において顕著にみられることを我々は目撃している。そして、各界のトップたちの引き際の悪さ、往生際の醜悪さは目に余るものがある。「出処進退」という最も大事な哲学、美学が廃れているのだ。

内橋克人は「混淆と対流」のエネルギーが足早に去って、雲が日本社会の天井を覆い始めているのでないかと喝破している。21世紀に入ってb顕著になった日本の凋落はここに原因があるともいえる。

高度成長時代に、人に着目し慧眼をもって危険な動きに目を凝らし、時流に迎合することなく警鐘を鳴らし続けた内橋克人の勇気に敬服する。

 

参考:『引き際の研究』(にほん経済新聞社。講談社

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Claudeに結論部分に具体例をあげて1000字のエッセイに仕上げてという依頼をした。

企業トップの引き際:日本社会への影響

日本社会において、企業のトップの引き際が大きな課題となっている。この問題は経済・産業界にとどまらず、学問、教育、そして政治の世界にまで及んでいる。各界のリーダーたちの引き際の悪さ、往生際の醜悪さは目に余るものがあり、かつて日本の伝統的価値観として重んじられてきた「出処進退」という哲学、美学が廃れつつあることを如実に示している。

具体例を挙げると、2018年に発覚した日産自動車カルロス・ゴーン前会長の事件は、企業トップの引き際の悪さを象徴する出来事であった。ゴーン氏は長年にわたり日産の経営を担当し、一時は日本の経営者のロールモデルとして称賛されていたが、最終的には金融商品取引法違反や会社法違反の疑いで逮捕されるに至った。この事件は、トップの長期在任がもたらす弊害と、適切な時期に退任することの重要性を浮き彫りにした。

一方で、引き際の良い例として、2011年に東日本大震災後の原発事故対応で辞任した当時の東京電力勝俣恒久会長の決断が挙げられる。危機的状況下で責任を取る形での辞任は、企業トップとしての適切な判断であったと評価できる。

しかし、このような適切な引き際の例は稀少であり、多くの場合、トップの座にしがみつく傾向が強い。学術界においても同様の問題が見られ、長年にわたり同じ研究者が学会や研究機関のトップを務め続ける事例が少なくない。これは新しい視点や革新的なアイデアの導入を妨げ、学問の発展を阻害する要因となっている。

教育界でも、大学学長や理事長の長期在任が問題視されることがある。例えば、2020年に発覚した東京医科大学の入試不正問題は、長年にわたり同じ執行部が大学運営を担っていたことが一因とされている。

さらに深刻なのは、この問題が政治の世界にまで及んでいることだ。日本の政治家の中には、高齢になっても議員の座を譲らず、世代交代を阻む例が少なくない。2021年に90歳で引退を表明した自民党の渡辺恒三元衆議院副議長の例は、むしろ稀有なケースと言える。

このような状況は、日本社会全体に停滞をもたらしている。新しい人材や斬新なアイデアが組織のトップに到達する機会が減少し、社会の活力が失われつつある。「混淆と対流」のエネルギーが急速に失われ、日本社会の天井を暗雲が覆い始めているのではないだろうか。

21世紀に入って顕著になった日本の凋落は、この引き際の問題に深く根ざしていると言えるだろう。組織のトップが適切なタイミングで引退し、次世代にバトンを渡すことは、単なる個人の問題ではなく、社会全体の活力と発展に関わる重要な課題である。

日本社会が再び活力を取り戻すためには、各界のリーダーたちが「出処進退」の精神を再認識し、適切な時期に引退する勇気を持つことが不可欠だ。同時に、組織や社会全体としても、新陳代謝を促進する仕組みづくりが求められる。トップの引き際の問題に真摯に向き合うことが、日本の未来を明るくする一歩となるのではないだろうか。