『空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン』展ーーー「Less is more(少ない方がより豊かである)」

『空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン』展。

20世紀後半のベルギーを代表するアーティストのひとり、ジャン=ミッシェル・フォロン(Jean-Michel Folon, 1934-2005)の大回顧展「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」が東京ステーションギャラリーで開催されている。先日、訪問した。

フォロンは、イラストレーター、画家、詩人、彫刻家。旅が好きで、旅先での新しい体験、新しい出会いを大切な創作のエネルギーにしていた。

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「世界人権宣言」の30か条の挿絵を描いた。それは500を超える言語に翻訳されている。日本では谷川俊太郎が翻訳した「人権パスポート」が発行されている。

FOLON Les sculptures photographies de Thierry Renauld フォロンの彫刻|企画展|白沙村荘 ...

  • フォロンの座右の銘「Less is more(少ない方がより豊かである)」(ミース・ファン・デレ・ローエ)
  • フランスのマルセル・プルーストの質問帖へのフォロンの答えは、「人生」である。

  何をするのが好きですか?「人生を観察すること」

  あなたの夢見る幸福は?「人生を理解すること」

  あなたの好きな美徳は?「人生を愛すること」

  あなたにとって最大の不幸は?「人生を失うこと」

  • 耳を澄ませば、世界が動いてる音が聴こえてきます。
  • もし人々がもっと世界の美しさや芸術を賞賛するために時間を過ごしていたら、戦争をする暇などなくなり、戦争を引き起こす暴力のことなど忘れてしまうだろうに。

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リアル

・『全集』第9巻「日本探検」の見本が到着。

・共著『旅は新たな発見』(日本地域社会研究所)が、「斎藤茂太賞」の実行委員会から推薦されたという連絡あり。

リモート

・朝:秘書と打合せ。

・夜:20時デメケンミーティング。21時「アクティブシニア革命」編集部ミーティング。

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「名言との対話」9月2日。安部譲二「会ったが最後、皆仲間」

安部 譲二(あべ じょうじ、1937年 5月17日 - 2019年 9月2日 [1] )は、日本の小説家、タレント。享年82。

東京出身。帰国子女。麻生中学に傷害事件を濃し、イギリスに留学。ボクシング大会で優勝。退寮処分。

安藤組時代:慶應義塾高校では拳闘部首相。喧嘩で除籍処分。安藤組組員。保善高校定時制で強盗殺人未遂等で有罪判決。ボクサーとして海外で転戦。

日本航空時代:23歳で客室乗務員として入社。上司をなぐったり乗客を投げ飛ばしたこともある。パーサーとなるが1965年に退社に追い込まれる。

実業家時代:服役後、レストラン、ライブハウス、プロモーター。不空刑務所で4年間服役。1981年にヤクザから足を洗う。前科は国内14犯、国外3犯。通算の刑務所生活8年に及ぶ。凄まじい人生行路だ。

1983年からは小説を書く。1986年に「堀の中の懲りない面々」がベストセラーになり絵映画化された。テレビタレントとしても活躍した。著書は1986年から2013年まで、80冊前後ある。

この人は人との交際の名人だ。『俺が痺れた男たちーー日本快男児列伝』で紹介している名前は、安藤昇などヤクザの大親分、石原裕次郎、梅宮辰夫などの俳優、大野伴睦などの政治家、ピストン堀口などボクサー、青田昇プロ野球選手、大映永田雅一などが並んでいる。

『心の塀は自分で越えろ』という本を読んでみた。副題は「これぞ男前の人づきあい」だ。「まえがき」では友人知人の数は生きてきた日数と同じくらいと述べていて驚いた。安部の信条は「会ったが最後、皆仲間」である。「自己犠牲」「観察」「話し方に工夫」「態度」の4つが極意だそうだ。そして好きだというサインを送る。

侠気。女の気持ちになる。女の子のヘア・ウオッチング。気配。先輩。態度は全身で。妥協はしないが協力はする。火には水。目を見て話す。情報を流す。人が人を呼ぶ。まず、ありがとう。文章のようにしゃべる。聞くと聴くとは大違い。名前を覚える。言い切る。一流のウソ。固有名詞。ボキャブラリー。ゆっくりしゃべる。自分の言葉。失敗談。喋りと語り。、、、。

なるほど、こういう意識で人と付き合うから、友人が多いのだ。私もJAL時代の上司から安部譲二のことを聞いたことがあることを思いだした。懐かしそうに、笑いながらエピソードを語ってくれた。この上司も安倍譲二を好きだったのだ。「会ったが最後、皆仲間」、この言葉に納得した。