『心の健康会議』シンポジウムの報告書「臨床心理士報」が届く。

第31回『心の健康会議』シンポジウム「生涯学習社会を生きる児童・生徒を考えるーーー人生における子ども時代に寄り添う臨床心理士」の報告が掲載された『臨床心理士報』が届いた。

2024年3月3日に北九州ソレイユホールで開催されたビッグイベント。私はシンポジストとして登壇した。

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私の発言「100年人生における子ども時代ーライフデザインの観点から考える」。独自のフィールドワーク2つ。人物記念館の旅と名言との対話。人生100年時代。人生観を変えよう。ライフをデザインする時代。公人、私人、個人。玄孫、来孫を目にする時代。親や先生が子供から見られている。子供の問題というより、大人の問題ではないのか。ヒントは、母親の影響力と先生の影響力。モデルはどこにいるのか。近現代の代表的日本人の中にいる。7つの共通項。偉い人。一廉の人物。人物伝。人生100年の生き方のモデルは日本にある。」「出会い。自分づくり。いじめ、非登校」

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『アクティブ・シニア革命』編集ミーティング(デザイン・DTP関係)のZoomの要約。

会議では、雑誌のデザインとレイアウトに関する進捗状況が議論され、表紙、目次、写真配置などの具体的な要素に焦点が当てられた。また、編集プロセスの課題やDTP作業の効率化、パソコン環境の改善についても話し合われた。全体を通して、チーム内のコミュニケーションの重要性が強調され、情報共有と頻繁な意見交換の必要性が確認された。
次のステップ
・近藤: 原稿を受け取り次第、PDFに変換して久恒と都築に確認してもらう。
• 近藤: デザインを進めながら、著者との最終確認を行う。
• 力丸: 扉ページと連載物のタイトルロゴを作成する。
• 力丸: 書評ページ用の図解を作成する。 白ベースで緑の枠を使った表紙デザインを作成する。
• 久恒と都築: 原稿の誤字脱字や人名のチェックを行う。
• 編集部: 原稿の文字数調整や修正を行う。
•久恒: 小笠原さんとのミーティングをセットする。

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婚約会見をする河西昌枝さん(右)と陸…:「東洋の魔女」河西昌枝さん 写真特集:時事ドットコム

「名言との対話」10月3日。河西昌枝「勝つためにみんなが 一つの目標に向かってやった 青春時代に命懸けでやったことが その後の人生の大きな宝物」

河西 昌枝(かさい まさえ、結婚後の姓は中村、1933年7月14日 - 2013年10月3日)は、女子バレーボール選手。享年80。

山梨県立巨摩高等学校 から バレーボール選手として、日紡関ヶ原 、 日紡足利 、そして伝説の日紡貝塚へ。河西は『東洋の魔女』の主将として1962年世界選手権優勝、1964年東京五輪でコーチ兼キャプテンとして金メダルの獲得に大いに貢献した。

当時の監督の大松博文は「鬼の大松」と呼ばれるほど徹底したスパルタ式のトレーニングで知られており、根性バレーで徹底的に鍛えた。選手たちは「回転レシーブ」という武器で拾って拾って拾いまくるバレースタイルを身に着けた。このときのことを、目に見えない積み重ねでいつかできるようになる、と敢闘精神にあふれた河西は後に語っている。チームメートたちは「オリンピックが終わったら、婿は世話をする」という大松監督の言葉に安心して励んだ。

174㎝の河西はオリンピック終了後の1965年1月に日紡を退社し、5月に佐藤栄作総理の取り計らいで2歳年上の自衛官(172cm)と結婚した。大松監督の仲立ちで結婚したのは6人中4人であり約束は守られたのである。そして河西はママさんバレーの指導者となった。2003年3月には日本バレーボール協会の女子強化委員長に就任し、 2004年アテネ五輪では全日本女子チームの団長を務めた。2008年はバレーボール殿堂入りを果たした。

河西のことを調べるのに、『時代を創った女たち』の中村昌枝の章を読んだ。この本はNHK「ラジオ深夜便」のインタビューをまとめたものだ。各界で抜群の功績を挙げている女性の発言もついでに堪能した。

志村ふくみ「日本人の精神の根本には色がある」。森下洋子「一日一日の積み重ねがすべて」。樋口久子座右の銘は平常心」。山田満知子「リンクの冷たい空気は、私の体の一部なんです」。今井通子「物事って、始めてしまえば思っていた以上のことができてしまうんですね」、、、。

「あの程度の相手なら必ず勝ちます」とは、ソ連戦で第一セットを落とした時に河西が監督に語った言葉だ。優勝にはチームの中心にこういう冷静なリーダーの存在が必要だった。

東京オリンピックの女子バレー優勝決定戦は、家族全員で見た記憶がある。一喜一憂し、興奮してみた。 NHK[あの人に会いたい」では、「勝つためにみんなが 一つの目標に向かってやった 青春時代に命懸けでやったことが その後の人生の大きな宝物」と語っており、さわやかな印象だった。