『アクティブ・シニア革命』:雑誌『イコール』の合同クラファンに参加。

雑誌『イコール』の特別号『アクティブ・シニア革命』(久恒啓一責任編集)を準備中です。3人の編集長の編集号をまとめてクラウドファンディング(印刷費)を始めました。

クラファンへの参加は、下記から。

 『イコール』2024年後期支援募集 | MIRAI FES! (greenfunding.jp) 

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『イコール』は、クラウドファンディングの仕組みを作り、『イコール』の発行を希望し、支援していだたける方を募集します。橘川幸夫責任編集号、田原真人責任編集号、久恒啓一責任編集号は、共同で募集します。ご支援いただいた金額ほ参考にして印刷仕様や部数を決めていきます。『イコール』のムーブメントにご支援をお願いします。

  • 2000円:橘川幸夫責任編集号(3号)、田原真人責任編集号(1号)、久恒啓一責任編集号(1号)のいずれか1冊。
  • 5000円:橘川幸夫責任編集号(3号)+田原真人責任編集号(1号)+久恒啓一責任編集号(1号)の以上3冊。
  • 10000円:『イコール』運動への純支援。『イコール』の運動をご支援いただける方を募集します。支援いただいた方は、現在3人の編集長が発行している『イコール』三誌にご支援者名簿として掲載させていだたきます。お祭りの寄進者を掲示する「奉納板」です。
  • 50000円:1ページ広告。ご希望のイコールに1ページ広告ページを用意します。掲載雑誌、号数などはご相談させていただきます。
  • 100000円:2ページ広告。ご希望のイコールに2ページ見開き広告ページを用意します。掲載雑誌、号数などはご相談させていただきます。

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「名言との対話」10月1日。 米澤嘉博「森ではなく木を見なければなりません。そして、木が枯れれば、森は衰えてゆくのです」

 米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は日本漫画評論家、大衆文化評論家、編集者コミックマーケット準備会コミケ)代表。

熊本県出身。2、3歳頃から漫画を読み始め、小学生になる前から近所の貸本屋に通い詰める。中学時代から同人活動。自分でも漫画を多数発表している。熊本高校時代は学生運動にも参加。明治大学工学部時代からマンガ誌の編集やライターをする傍ら、漫画評論活動を行い、そのままこの業界で過ごし、日本初のマンガ同人誌即売会即売会であるコミックマーケットコミケ)を開催する。1979年に準備会を立ち上げ、肺がんで亡くなる直前の2006年9月まで代表をつとめている。米澤は数十万人が訪れる巨大イベントに育て上げた。世界最大の同人誌即売会となっている。コミケは、世界第2位のビッグイベントになっている。1位は数百万人規模のイスラム教の聖地巡礼ハッジだ。

明治大学には、2009年に設立されたマンガとサブカルチャー米沢嘉博記念図書館がある。このマンガ図書館は、総所蔵数は14万冊。半分の7万冊が閲覧できる。開架は6000冊。閉架64000冊。明治大学東京国際マンガミュージアムへの発展を視野においている。2012年に訪れたとき、米沢嘉博という名前は知らなかったが、まんが業界では有名人だった。ヨネヤンと愛称で呼ばれていた人格者でもあった。

1980年から『戦後少女マンガ史』『戦後SFマンガ史』『戦後ギャクマンガ史』、いわゆる「戦後マンガ史三部作」を刊行し、漫画評論が注目された。「ひみつ道具」を主軸にして作られる『ドラえもん』の作劇を「マンガにおける一つの発明」と評価している。1999年「別冊太陽・発禁本」で日本出版学会賞、「藤子不二雄論 FとAの方程式」で日本児童文学学会賞を受賞。2001年からは立ち上げた日本マンガ学会理事。1997年から2002年まで、朝日新聞主催「手塚治虫文化賞」の選考委員をつとめた。

没後、2007年には星雲賞特別賞、2010年には「マンガ研究の基礎資料の収集と評論活動などの幅広い業績に対して」という理由でこの賞の特別賞を受賞している。

以下、友人の人物評。「一つの時代一つのジャンルだけでなく漫画の全体を把握していた「百科事典みたいな人」であった」「米澤は漫画の百科事典だった。漫画のことでわからないことがあると、彼に聞けばすぐ答えが返ってきた」

この人は、幼年からの志をそのまま育てた人だ。53才と言う若さで亡くなり、その間大きなそして多くの仕事をしたが、もっと時間があったら物凄いことになったと思う。米沢の志がこの図書館として実り、さらに国際マンガミュージアムとして発展していくのだろうが、どんな偏屈なマニアでも頼まれれば応じたという米沢の人柄、大きな包容力が大いに関係しているのだろう。

米澤嘉博には「森ではなく木を見なければなりません。そして、木が枯れれば、森は衰えてゆくのです」と考えていた。森はマンガ界を指し、木は個々のマンガを指している。普通は「木をみて森を見ず」と視野の狭さを揶揄するが、一本一本の木々がそこやかに育たなければ、豊かな森にはなっていかないという主張には納得させられる。米澤は個々の木に水や養分を与えながら、大きな森になっていく姿を夢見ていたのだ。だからマンガの歴史を書き残したのだ。その森は今では日本だけでなく、世界的な存在になっている。