ウォーキングの日:1.4万歩。新宿で橘川さんとミーティング。

「ウォーキングの日」。

  • ヨガ:朝は1時間ほど体を整える。もう10年通っている。
  • ウォーキング:テレビ体操後の朝食前の散歩。新宿でブラブラ。帰りの駅から自宅までの歩き(吉川英治『新・平家物語』第1巻の耳オーディブルでの読終了)。夕方の散歩。計1.4万歩。
  • ラジオ:旧知の村田裕之(東北大学特任教授)さんのインタビュー:ウォ―キングは「高齢者は6千歩。成人は8千歩」を推奨(2026年の本日までで8003歩。2025年は7123歩)
  • 『文藝春秋』6月号(新宿紀伊国屋で購入)の特集「歩くが人生を変える」ーー「棺桶まで歩こう」「認知症、欠陥疾患を防ぐ」「散歩は哲学を生む」を読みながら電車で帰宅ーー背筋をピンと伸ばす。歩幅を広げ大股で歩く。タンパク質。プロテイン。中強度20分を含む8000歩。スーパーシニアの脳。靴の履き方はかかと中心。島田雅彦(多摩)。柄谷行人。古井由吉。久恒辰博(東大准教授)。

ーーーーー

昼食:橘川さんと新宿紀伊国屋地下の「節丸」(ぶしまる)の「日本一贅沢な卵かけごはん」を堪能。卵の黄身と白身を自分で分けるなど食べ方も参加型。

新宿:歌舞伎町「ルノアール」で橘川さんと打ち合わせ。ーー「イコール」の今後。出版計画。和歌山県田辺市の熱中小学校。ZINE。

ーーーーーーー

5月16日

北の湖「強くならなくても人間は頑張るのが当たり前、人間誰でも頑張るのが一番」

溝口健二「監督がなぜ監督かというと、シナリオも含めてすべてを監督しているからなんです」

池宮彰一郎「人の手で作り出された困難は、人の力で打開できぬことはない」

原田武一 「ノーフォーム、ノーグリップ」

永谷嘉男「小規模な企業が生き残るには、局地戦に勝て」 


「新・代表的日本人」5月16日。北の湖「強くならなくても人間は頑張るのが当たり前、人間誰でも頑張るのが一番」

北の湖 敏満 (きたのうみ としみつ、1953年5月16日 - 2015年11月20日)は、北海道有珠郡壮瞥町出身の大相撲力士である。第55代横綱。日本相撲協会理事長を2度務めた。享年62。

湖という字は「うみ」とも読む。「北の湖」という素敵な四股名は、故郷・北海道の洞爺湖に因んでいる。

中学1年生で美保ヶ関部屋に入門し、「怪童」と呼ばれた。新入幕、横綱など数々の最年少記録を打ち立てた。関取で8勝、大関で10勝、横綱で12勝が責任と考えていた。今でも大関・貴景勝が10番がノルマと言っていたから相撲界の常識となっているのだろう。

強すぎて憎らしいともいわれた。そして負けた相手に手を貸さない姿もそれに拍車をかけた。引退後の北の湖は「負けてみじめな思いをしているのに、手まで貸したらもっと嫌な思いをするでしょう」と心境を語っている。勝った力士が中途半端に手を貸そうか迷っている姿をよく見るが、北の湖の考え方の方が腑に落ちる。

子どもが好きなものとして「巨人・大鵬・たまご焼き」という言葉はよく知られているが、嫌いなものとして「江川・ピーマン・北の湖」というのもある。

横綱輪島と築いた「輪湖時代」はよくテレビで千秋楽の熱戦を楽しんだものだ。ライバル決戦は、トータルでは北の湖の23勝21敗である。北の湖は輪島を「壁のような存在」「あの人がいたから私は頑張れた」と言い、輪島は「永遠のライバル」と返している。横綱時代は、関脇のつもりで周りに接し、大関にあがるころのように稽古に励んだ。

この点は稽古嫌いの輪島と対照的だ。偉大な横綱ではなく立派な横綱になろうとした北の湖の横綱在位63場所は白鵬に破られるまで歴代一位だった。24回の優勝を飾り、日本相撲協会から、20回以上の優勝を重ねた大横綱に贈られる一代年寄となり、「北の湖部屋」を興した。

日本相撲協会では引退の2年後に審判委員に抜擢され、1988年には監事として審判部副部長、1996年には理事に昇格した。1998年には事業部長、2002年に第9代理事長へ就任した。田中角栄首相と同じく「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれたほど頭脳明晰で、現役時代の自身の取組の内容は全て完全に記憶していたというから、相撲界では貴重な存在であった。

辞任後、後任の武蔵川理事長、放駒理事長を一理事として支え、2012年には史上初の理事長再登板を果たす。「残りの相撲人生をかける覚悟です」と語った。そしてそのとおりに理事長現役のまま62歳で死去している。後任は八角理事長である。北の湖理事長は、土俵の充実を掲げ、稽古、鍛錬を力士に要求した。また日本相撲協会の公益財団法人への移行を主導したという功績もある。墓所の川崎大師には境内に銅像がある。

「勝つためには、とにかく前に一歩でも出る」「強くならなくても人間は頑張るのが当たり前、人間誰でも頑張るのが一番」が信条だった。「終わったら、いつまでもクヨクヨしていても始まらない」。負けた勝負のことはクヨクヨ考えずにすぐに忘れて、次に向かって前に進んでいく。それが北の湖の強みであった。

現役時代は横綱、引退後は日本相撲協会の理事長を2度つとめた。栃錦や若乃花と同様に、二つの頂点を文句なしの成績で担った功労者である。実力と人望をともに備えた人であった。信条を持つことの大事さと、それを貫くことのみごとさを教えてくれる「ガンバリズム」の人である。