『川柳まつど』486号が届く。「吐鳳」という柳号で毎月投稿している。
今月は、「佳」一句、「入選」4句だった。

才能
才能を 疑う人は 脈がある(入選)
鈍秀も ピンチとチャンス 入れ替わり
楽天と ラクチンとは 違います
最高
最高と 最低知れば そば通に
級と段 その先にある 名人位(入選)
とにかくも 無事であるなら まあいっか
さっぱり
笑顔あり こだわりのなさ ありがとう(入選)
バブル後は 景気さっぱり 30年
さっぱりと 謝る人に 次がある
発車した バスには乗車 できません(入選)
探す
探検と 冒険違う 検と険
見つからぬ 自分探しで 途中下車(佳)
泥酔と ほろ酔い夫婦 要支援
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ウォーキング:1.1万歩。
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5月7日:寺田小太郎。小泉靖子
新井満「美しいものを発見して伝えることをライフワークとして生きていきたい」
寺田小太郎「コレクションは造園と同じで、既存のものを集めたり組み合わせていくことで新しい世界を創り出していく。コレクションすると言うことも創造的な営みではないかと思います」
小泉清子「凍りつく 道歩みつつ 創意湧く」
美濃部達吉「学ぶ者は山に登るがごとし」
柄沢とし子「帝国主義戦争の犠牲者になった引揚者救済予算の貧困
並河万里「後世にどう伝えるべきか」
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「新・代表的日本人」5月7日。寺田小太郎「コレクションは造園と同じで、既存のものを集めたり組み合わせていくことで新しい世界を創り出していく。コレクションするということも創造的な営みではないかと思います」
寺田小太郎(1927年5月7日-2018年11月18日)は、絵画蒐集家(絵画コレクター)である。享年91。
2021年に多摩美大美術館「寺田小太郎 いのちの記録 コレクションよ、永遠に」展を訪問した。
寺田小太郎、どこかで聞いた名前だと思ったら、東京初台の東京オペラシティアートギャラリーで「寺田コレクション」の存在で知った名前だった。
寺田小太郎は、滋賀近江を出自とし、東京初台に500年続く家督を継いだ。新国立劇場建設に伴って行政が構想した文化施設の併設プランに賛同し、この都市開発プロジェクトに参画する。
寺田は私有地を売却した資金を含む私財を投じて本格的な作品収集を開始する。そして開発プロジェクトの委員会に、唯一個人として参加する。そこでは収益中心のオフィスビルではなく、ビルに芸術性を持たせることを地権者として主張した。そして1999年の東京オペラシティアートギャラリーの開館に貢献する。
多摩美大美術館は、「収集」の域を超えて芸術との関わりをみ、自らの志を波動として周囲に影響与えるような「コレクター」に着目している。コレクターのまなざしや個人のライフヒストリーを辿りながら「収集」という行為と、「社会におけるコレクター」の役割を再考するシリーズを始めた。今回はその2回目だ。とすると、第1回目は私も訪れた須藤一郎というコレクターの企画展だ。収集作品の中で菅創吉の名前があった。この人は須藤一郎さんを目覚めさせた画家である。
寺田コレクションは総数約4500点に上る。戦後日本美術から日本現代アートに至るまで幅広い年代とジャンルにわたっている。
寺田小太郎は東京農業大学に学び、造園の仕事に就いている。造園という仕事は、景観の骨組みになる部分は最初にしっかり作っておいて、多様な花木類を、苗に近い幼樹を差し挟み、それらが時間の経過の中でどのような展開を示していくかをみながら、徐々に完成させていくという考え方だ。集めて再編成することで一種の「世界(コスモロジー)」を創造する行為だ。ゆっくりと時間をかけて育んでいくのが造園である。
庭づくりと絵画収集に挑んだ足立全康の島根の足立美術館、俳優の大河内伝次郎の京都の大河内山荘を私もみてきたが、寺田も含めて、庭づくりは命をかけた創造の場であったのだ。
そして庭づくりの基本は、木でも石でも持ち込むのをまず置いてみる。木や石の声を聞けば、行きたいところへ行ってくれる。まさに自然に置かれるように据えるということである。
そういう意味では、最高の趣味であるといわれる庭づくりも、芸術のコレクションも同じ、時間をかけた創造行為なのである。
寺田はキュレーター的な視点を備えたコレクターだった。「見る人にも考えてもらいたい」と語っていた。自分の考えに沿って、納得した上で購入するという収集の仕方だった。
寺田は自分の頭でよく考える人だったようだ。自分自身で読み、話を聞き、考え、判断し自分の考えとする。そういう独学を91歳の最後まで続けた人だった。柳田邦夫の「民俗学」の世界、渡辺京二の「近代」、レイチェルカーソンの「センスオブワンダー」、今西錦司の「私の進化論」などを愛読していた。
自伝『わが山河』で、学んだこと。
「近江泥棒と伊勢乞食」。近江商人は商才にたけ、伊勢の人は勤倹に努めて、ともに商人として成功した者が多かったところから、「宵越しの金は持たない」と自負する江戸っ子が負け惜しみに言った言葉だ。
縄文中期は26万人弱、平安鎌倉期はほぼ600万人前後、江戸期に入って約3000万人で静止。終戦直後は8000万人、現在は1億2000万人である。
寺田は環境問題、食糧自給率問題などに問題意識があった。「私に最も近しい存在であり、万葉に多摩の横山とうたわれた多摩丘陵も削られてやがて山容が改まるまでになった。この丘陵を己の血肉のように感じていた私は、我が身がさいなまれるように感じ、この国はもうダメかもしれないと思った」。
寺田はキュレーター的な視点を備えたコレクターだった。「見る人にも考えてもらいたい」と語っていた。自分の考えに沿って、納得した上で購入するという収集の仕方だった。
寺田は自分の頭でよく考える人だったようだ。自分自身で読み、話を聞き、考え、判断し自分の考えとする。そういう独学を91歳の最後まで続けた人だった。柳田邦夫の「民俗学」の世界、渡辺京二の「近代」、レイチェルカーソンの「センスオブワンダー」、今西錦司の「私の進化論」などを愛読していた。
2023年には東京初台の東京オペラシティアートギャラリーで高田賢三展をみたついでに、壮大な「寺田小太郎メモリアルギャラリー」をみた。
さて、コレクションという行為についての寺田小太郎の考えを聞こう。
「財産を残してもとても虚しい感じがするのです。自分の生きた証として何を残すのか。最終的には芸術しかないと感じる」「財産として残すべきものは、芸術文化であり、コレクションである」。
「コレクションは造園と同じで、既存のものを集めたり組み合わせていくことで新しい世界を創り出していく。コレクションするということも創造的な営みではないかと思います」
「私はコレクションを通して自分を表現したいのだと思います」「他の人が描いたものを集め、その塊に自分を反映しているということになったのです」
「このコレクションは、あくまで私個人の目と頭で作ったものですから、偏りの多いクセのあるものだと思います。しかしそれが面白いのではと思っています」
絵画コレクションは、創造であり、「表現行為としての収集活動」なのである。
庭づくりと絵画収集に挑んだ足立全康の島根の足立美術館、俳優の大河内伝次郎の京都の大河内山荘を私もみてきたが、寺田も含めて、庭づくりは命をかけた創造の場であったのだ。
そして庭づくりの基本は、木でも石でも持ち込むのをまず置いてみる。木や石の声を聞けば、行きたいところへ行ってくれる。まさに自然に置かれるように据えるということである。そういう意味では、最高の趣味であるといわれる庭づくりも、芸術のコレクションも同じ、時間をかけた創造行為なのである。
「日本とは何か」、そして「人間とは何か」を改めて根底から問い直すところから寺田の戦後は始まり、関心が広がっていった。寺田のコレクションは最終的に「人間とは何か」という根源の問いを発している。
「コレクターという人生」に興味を覚えている。絵画、書物、小物、ミニカー、切手、フィギュアなどあらゆるモノがコレクションの対象となる。この視点からも人物を辿っていきたい。
参考: 寺田小太郎『わが山河』