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インターネット放送局T-Studioの「名言との対話」第22回は、ミケランジェロ。「最大の危険は、目標が高すぎて達成出来ないことではない。目標が低すぎて、その低い目標を達成してしまうことだ」

…100年がテーマで、日野原重明と土屋文明を。 ・松本先生:未来フェス2017京都の様子を説明 「名言との対話」9月1日。国吉康雄「「教育を受ける機会を与えてくれた国アメリカで、アメリカオリジナルの絵を生み出して描いてやろうと決める」 国吉 康雄(くによし やすお、1889年9月1日 - 1953年5月14日)は、日本の洋画家。 20世紀前半にアメリカ合衆国を拠点に活動した。 日露戦争による国家財政の窮乏(国家予算の60倍の借金)から政府は口べらしのための移民政策を推進する。そ…

日野原重明『思うままに生きる--100歳の言葉』(PHP)

…悲しみは半分にな。(日野原重明。105歳) ・長生きをするためには、まず第一に退屈しないことだと思うの。僕なんか毎日が忙しくて大変ですよ。本当に死んでるヒマなんかありませんよ。(物集高量。作歌。106歳) --------- 文藝春秋9月号に、柳田邦男が、「追悼 日野原先生から学んだ「生と死」を書いている。そこから日野原語録を拾ってみる。 ・すばらしい言葉に出会ったら、必ず原典に当たり、その人物と文脈を理解するようにすると、好きな文句は必要な時にすっと出てくるものです ・いく…

土屋文明文学館。草津ベルツ記念館。

…せいぜい天と地の差だ。だが女というものは、一番良い女と一番悪い女の差は天国と地獄ほどの違いがある。 ・希望がが人間をつくる。大いなる希望を持て。 ・あまりに多様な世界、あまりに多い成すべきこと、あまりに少ない成し遂げたこと。 「 私はこれまで会ったすべての人の一部分だ。」。これは先日105歳で天寿を全うされた日野原重明先生が好きだった言葉である。 自分への尊敬と知識と抑制。つまり自分をよく知り、自分を大事にせよということだろう。それが人生を航海するための分かりやすい羅針盤だ。

佐藤愛子「九十歳。何がめでたい」:異次元の高齢社会のミクロの姿とマクロの姿。

…105歳で亡くなった日野原重明先生や佐藤愛子のような超高齢者がスターになる時代を迎えることになるだろう。佐藤愛子が2015年に「女性セブン」に連載したエッセイの集合体がこの本である。当時は92歳。大正12年生まれだから今年中に94歳になるはずだ。 さて、佐藤愛子は昔は「身の上相談」と言っていた新聞の「人生相談」の愛読者である。時代とそこで生きる人の人生が垣間見えて、回答者の価値観、人生の軌跡がうかがわれて興味深いからという。この本の話題は、高齢者となった自身の経験と新聞の「人…

コリン・パウエル「リーダーを目指す人の心得」(飛鳥新社)。日野原重明先生、105才で逝去。

…---- 本日早朝、日野原重明先生が亡くなった。105才。ご冥福を祈る。 「本当に学ぶべきなのは、問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということである」 ・日野原重明先生が、90歳以降の最晩年の鈴木大拙を診ている。当時日野原先生は48歳だった。(11109) ・今朝の新聞は、日野原重明先生の記事と広告が多いのが目立った。今日は日野原先生(1911年10月4日生まれ)の満100歳の誕生日だからだろう。やるべき崇高な仕事があり、多くの人に夢を与える、知的な老人の生き方…

「宇治拾遺物語」(「日本文学全集第8巻)--エロ・グロ・ナンセンス

…1854:三井の近代化は政府高官らとの癒着を断ち切ることから始めなければならない 日野原重明1911:本当に学ぶべきなのは、問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということである。 福井謙一1918:メモしないでも覚えているような思いつきは大したものではない。メモしないと忘れてしまうような着想こそが貴重なのです。 アルビン・トフラー1928:将来の文盲とは、読み書きのできない人ではなく、学ぶことも、学んだことを捨てることも、また学び直すこともできない人のことである。

内田百けん

…物である(テニスン:日野原重明) 幸も不幸もない。要は心の持ち方一つなのだ。(シェークスピア:斎藤茂太) 勤勉努力は凡を非凡にする(平沢興) 生きるんだ、お前は親ではないか(藤原てい:北朝鮮兵士から) 思いたつ日が吉日(木村尚三郎) 見えるものを見ず、見えぬものを見よ(美輪明宏) 芸に遊ぶ(孔子:白川静) - 神保町の古本屋で買った「内田百けん全集第19巻」を読んだ。 1889年(明治22年)5月29日 - 1971年(昭和46年)4月20日)。夏目漱石門下の日本の小説家、随…

「生涯現役の知的生活術」(育鵬社)--彼らの日常と心構え

…残した博士論文を書く。今から少人数学級肯定論に反駁する。それは迷信だ。 村上和夫(76歳)。関心事は研究。講演活動も生甲斐。日野原重明先生が目標。死んだ後にも業績は残る。 岡崎久彦(82歳)。65歳で気功を始めた。白内障を治した。道場に通うしかない。 曽野綾子(81歳)。割引は使わない。対価を払うのが社会にいる「壮年」の務めだ。料理をしなくなったとたん人間は現役から脱落。 - 相模湖カントリーで杉田先生、学長室の菊池さんとラウンド。絶景の紅葉の中、楽しくプレイ。ストレス解消。

鈴木大拙館(金沢)--大拙誕生日の10月18日にオープン

…先日100歳を迎えた日野原重明先生が、90歳以降の最晩年の鈴木大拙を診ている。当時日野原先生は48歳だった。 大拙は90歳頃から親鸞の「教行信証」の英訳にあたる。「年をとらないと分からないことがたくさんある」と語っていたそうである。宗教学者の山折哲雄も晩年の大拙に何度か会っている。 桑原武夫が、津田左右吉が俳人・一茶を日本文学史上の最高の文学者とし、鈴木大拙が妙好人(みょうこうにん)を高く評価したことを不思議だと書き、そして山折自身も精神医学の土居健郎がもっとも惹かれる人物が…

第20回野田一夫ファンクラブin仙台

…のモデル・野田先生を見習おう! 日野原先生は100歳。野田先生はそれ以上になるだろう。16年後を想像せよ。会員はみな年をとって誰もいなくなり、本人だけが残る可能性も。このファンクラブは今後もずっと続けていきましょう。 終了後、ホテルの最上階でファンクラブの幹事級の人たちで野田先生を囲んで二次会。大滝先生、川又さん、富田さん、横野さん、佐藤わか子さん、粟野さん、、。その後、メトロポリンホテルのバーで裏方を担当した横野さんと息子の壮俊さん、岩澤さん、粟野さん、喜多さんらと三次会。

祝!日野原重明先生100歳の誕生日。今日も生涯の一日なり。

今朝の新聞は、日野原重明先生の記事と広告が多いのが目立った。今日は日野原先生(1911年10月4日生まれ)の満100歳の誕生日だからだろう。 やるべき崇高な仕事があり、多くの人に夢を与える、知的な老人の生き方に感銘を受ける。10年前の90歳の時、「生き方上手」は120万部のベストセラーになり、日本最高齢のミリオンセラー作家となった。 昨年だったか、新横浜の新幹線の待合室で偶然に隣に座って言葉と名刺を交わしたことを想い出す。その時、「こんなことをやっています」ともらった名刺は、…

大阪。小林一三(逸翁)、藤田伝三郎

…と見ると、なんとあの日野原重明先生だった。90代でベストセラーを書いた方で、今は90代の半ばだろう。名刺を差し上げて自己紹介する。先生からは「こんなことやっています」と名刺をいただいたが、それには「新老人の会」会長という肩書きがあった。新幹線の中では、原稿のゲラチェック。新大阪から阪急で池田市の逸翁美術館に向かう。逸翁は阪急の創立者である小林一三の号である。茶人として有名な逸翁は古美術の蒐集家でもあった。 その近くに今年オープンした小林一三記念館を訪問。逸翁の住んだ雅俗山荘が…

日誌と日記は違う−−Twitterとブログ

…議員には岸田純之介、日野原重明という名前もみえる) 赤坂から九段へ。今度は学内の会議。 約14時間前 TwitBird iPhoneから (15時半から九段サテライトでの全学の委員会に出席。終了後は車の中で事務局の二人といろいろと話をする。就職率は94%まできた。) 新宿の京王プラザホテルで、大学全体の教職員懇親会。終了後、同僚たちとコーヒーを飲みながら歓談し、いま電車に乗った。うまく座れた。 約9時間前 TwitBird iPhoneから (18時半から京王プラザホテルで年…

仙台日帰りの風景

…和代手帳、蔭山手帳、日野原手帳などが紹介されている。こういった有名人手帳を使う意義を述べるというのが、ンタビューを受けた私の役割だった。 - 手帳の活用に詳しい久恒啓一・多摩大学経営情報学部教授はこう指摘する。 「著名人の考案した手帳は、それぞれの道を突き詰めた人の知識、経験が盛り込まれています。ですから達成したい目標が明確な人であれば、成功者がプロデューズした手帳から学ぶことは多いでしょう」 - 「AERA」ではひと昔前なら「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれていたか…

「文藝春秋10月号」−−健康と医療に関する4つの10箇条

…健康心得」10か条(日野原重明)、新・がん50人の勇気(柳田邦男)などが並んでおり、「文春」読者の高齢化の実態が透けて見えるようだ。読者の平均年齢は60代から70代になっているのではないかと感じた。さらば「日刊ゲンダイ」、というタイトルで書いている二木啓孝(1949年生まれ)が退社の理由を語っている。忙しさにかまけて「夕刊紙記者時代に見過ごしてきたテーマ」にじっくりと取り組んでみたいという宣言である。中年の危機からの脱出である。57歳で原因不明の激痛に襲われた作家・立花隆は、…

「警察は最も図を必要とする」----警視庁部内誌「地域活動」特別号

…小川和久、香山リカ、日野原重明、萩本欽一、三谷幸喜、松平健、堀江謙一、杉良太郎、川口能活、藤原正彦、岡崎朋美、谷川浩司、林真理子、桜井よし子、渡部昇一、中西輝政、、。それぞれの立場や視点から警察に対する感想や提言があり、読むとなかなか興味深い。私のインタビューは、4ページで、内容は以下のとおり。「図で考える」「納得させる」「地域密着型」「仕事は問題解決」「数階級上で考える」「警察は最も図を必要とする」「キャリアを磨く」「生涯学習」私のゼミ生も一人、警視庁に就職しているが、この…

「団塊世代活働機構」準備会で講演---団塊世代のライフデザインを構想する

…団塊世代のキャリアデザインを構想する」。・人生80年時代の生き方--新・孔子の人生訓・幸せの定義--カネ・ヒマ・カラダ・ココロ・キャリアデザインとライフデザインの関係・人生鳥瞰図の考え方・「人物記念館の旅」のすすめ・団塊世代のライフモデル--蘇峰・一斎・大観・実篤・日野原・三浦・横松・野田・HP・メルマガ・ブログ・RSSというメディアとの付き合い方終了後、私は帰ったが、団塊世代活働機構の組織化に向けての討議があったようだ。私の話も参考になっただろうか。今後が楽しみな会である。

「小説 佐藤一斎」(童門冬ニ)

…ストセラーを連発した日野原重明先生も励みにしながら小説の執筆を続けているそうだ。門弟三千人といわれ、幕末・維新の英傑たちを育てた人間通である佐藤一斎は、西郷隆盛(西郷は弟子ではないが一斎の書物を繰り返し読んでいた)、渡辺崋山、川路聖あきら、佐久間象山、山田方谷、横井小楠などに大きな影響を与えた儒学者である。朱子学と陽明学の大家だ。一斎の主著である「言志四録」は、「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志てつ録」の四書である。この中にある言葉には励まされる言葉が多い。この本でもい…

「この国のけじめ」(藤原正彦)から

…動は、養老孟司先生や日野原重明先生ら超ベストセラー作家たちの動きとは少し違うところがある。先の2人は、その後ありとあらゆるメディアに出ずっぱりになり、毎日彼らの言葉や写真、映像を私たちは見ていた。ところが藤原氏はそれほど表に出てこない。自身の行動を制御している感じがする。それはやはり父親の凄まじい生活を身近に見ていたからではないだろうか。二代目の智恵である。肉体的健康と精神的健康のために、「自制」しているのだと思う。いい作品を書くが寡作であるという線だろう。こういう人の作家寿…

2010年問題

…ら本物の絵描きになれるのに」と死の直前まで画風を変革しながら絵を描き続けた。日本地図づくりに挑んだ伊能忠敬は、隠居して江戸に出て天文学の修行をしようとしたが、反対する家族に「いや、わしは五十一歳になったばかりだ」と若さを強調していた。冒険野郎・三浦雄一郎の父で今年101歳で亡くなった三浦敬三さんは死の直前まで現役のスキーインストラクターとして活躍中だった。聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは90歳を超えてからベストセラーを連発したが、3年先まで埋まっている手帳を持っている。