「副学長日誌・志塾の風」170922
本日より、秋学期の授業開始。
「立志人物伝」。多いなあ、、、。
昼休み、同じく本日より「SNS論」の授業を開始した久米信行客員教授と研究室で懇談。
午後、事務局との定例ミーティング:宮地局長・水嶋課長。杉田学部長。
夜は、品川の大学院で「立志人物論」の初授業。12名。
「中年の危機」を克服するためのに「知の再武装」を!
以下、受講生の感想。
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For those who do not know 久恒先生's style,
reflective learning awareness, comments, suggestions or questions after his lecture is minimum required to post on this group page by Saturday 5:00 a.m. By writing every time, it is considered "class attendance" and the content leads to your evaluation each.
第1-2講ありがとうございました。歴史上の偉人とは, よい影響(思想や活動)が広範囲に, 深く理解され, 世代を超えて語り継がれる人物だと思います。学校の試験問題のように意識せず学び知る偉人はあまり記憶に残りませんが, クラスで映像資料等を見ながら 互いの感想や考えを共有することで, 自身がインスパイアされる人物は, 脳の「小さな偉人辞典」に新規エントリーさせます。戦後の日本社会や世論を形成, 牽引してきた方々の生き方や立志を垣間見ること, 人生の勉強になり 楽しいですね。1960年代に英語で対応していた三島由紀夫氏, 彼への見方が幾分変わりました。「勃興に多く偉人が誕生した」と仰せの先生, さすれば成熟した現代の日本社会で今後新たに誕生する可能性は低いでしょうか。私は江戸時代が好きです, タイムマシンが欲しい...
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本物の条件における7つの分類の仕方は非常に参考になりました。このようにぎゅっと情報を圧縮して説明する技術も身につけたいです。そして、私も自分のテーマを見つけ、研究という冒険の旅に出たいと思います。
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偉人の動画には驚きました。鈴木大拙の生の声が聴けるとは思ってもいませんでした。どこの誰が上げた物かは分かりませんが、削除されない事を祈ります。動画が残っている偉人となると、昭和がメインになるのでしょうか?となると、取り上げる偉人達の生まれは、江戸末期頃から明治大正。明治維新から日清日露、そして二度の大戦と激動の時代を潜り抜けてきた偉人達の思考は私の思考にも突き刺さる事と思います。これからの講義が楽しみです。
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私は以前から歴史上の人物などに弱く、古典も含めてあまり関心がないタイプでした。しかし、三年前に師と仰ぐメンターが亡くなり、気付いたらぬるま湯の環境に浸かっていた私は、このままでは行けないと思い、新たな道を拓くためにも、過去の偉人であったり、影響力を与える人たちの背景を知りたいと思う気持ちが最近強くなってきています。後は、地元の高知県でまちづくりや地域振興のようなものに興味を持っています。本日、先生がおっしゃられた、「地方創生をするには、地元の偉人のことを調べるがいい。」という言葉を聞いて、まずは高知県出身の偉人について調べてみたいと思います。坂本龍馬は有名ですが、本日の講義に出た名前だけでも、牧野富太郎、板垣退助など沢山います。本日のグループワークで取り上げた白州次郎に関しては、単純に粋だなと思います。現代に生きる私も真似をしたいと憧れる思いです。興味を持って取り組んでいきたいと思います。
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今回の講義を受けて「人生の師をもつ」「人生のテーマをもつ」という言葉が印象に残りました。特に師、お手本となる人を見つけることはできても人生のテーマは何かと問われた時に今の私にはこれだ!というものがありません。しかし偉人といわれる人達は必ずそのテーマが心の何処かにあったのだろうと思いました。本日の例で言えば司馬遼太郎。上官から自国の民を轢き殺してでも…と命令されたことなどによって芽生えた日本国への不信感。なぜ日本は戦に敗れたかというテーマを持ち続けながら幕末から明治という時代を描いたということは初めて知りました。そういう根底にある思いやテーマがあったからこそ人々の心をつかむ作品が書けたのではと思いました。私もこの半年で人生の師とテーマを見つけたいと思います。
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今日の講義では初めて聞いた日本の偉人たちが多くて大変勉強になりました。先生の著書のテーマも発想が良くて、若者にも惹きつけられそうです。討論の時Nさんの話を聞いて、まさに久恒先生のおっしゃったようにある偉人のことを知ることでその時代のこともわかるようになります。
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本日の授業は、非常に気づきがありました。最後の美術館で村内美術館を選びました。私の学生時代に館長の御子息の家庭教師をしていて、教えていた息子が社長になっており懐かしく思い出しました。ありがとうございました。追伸。三島(由紀夫)さんの動画。昔忘れていた事件を思い出しショックでした。三島の首をはねた森田は今も私が年数回講義に行っている母校高校の後輩で、彼もその場で首をはねられ若くして死にました。非常に残念でした。歴史は消せないですね。
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初めて、日本の人物についての授業を受けて、いい勉強になりました。敵との切磋、友との拓磨という本物の条件が非常に気づきます。中国で、敵が自分に強くなさせて、友がもっと強くなさせるという言葉もあります。敵に勝つために、自分が精一杯に頑張らなければいけないです。しかし、相手が友達だったら、互いに協力して、双方は共同進捗をとげられると考えます。そこで、グループパワーに対して、さらに深く理解できます。現代社会とは、チャンスを共有して、协力共栄する社会で、自分自身が周囲の全てのものと緊密に繋がれば、よく発展できると思います。
ところで、私にとって、本授業を通じて、自分のモデルを見つけることが大切です。
「名言との対話」9月22日。明治天皇「卿等は辞表を出せば済むも、朕は辞表を出されず」
明治天皇(めいじてんのう、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)- 1912年(明治45年)7月30日)は日本の第122代天皇。諱は睦仁(むつひと)。 倒幕・攘夷派の象徴として近代日本の指導者と仰がれる。功績・人物像から明治大と呼ばれる。
明治天皇を祀る明治神宮は1920年に鎮座祭を行った。神宮の森は、150年後の完成に向けてスタートした。自然による遷移を繰り返し、2070年頃に完成を迎える、という壮大なプロジェクトである。神宮林は明治天皇への郷愁であり、感謝である。己の為すべきことを全うした人を神にお戻ししようという営為である。このプロジェクトの主役は、東京帝国大学農科大学の本多静六博士、本郷高徳講師、上原敬二技手の3人だ。30代半ばの本郷は明治19年生まれとあるから、私の母方の祖父と同じだ。祖父は東京高等師範学校を出て、内地や中国青島の中学校の校長を歴任した人だが、そう考えると親しみが湧く。
明治天皇は京都に似ているということで多摩丘陵にたびたび行幸された。1881年以降、連光寺村で鮎漁を楽しまれ、この地は皇室の御猟場に指定された。多摩中央公園の中にある「旧富沢家住宅」は、明治天皇や皇族が連光寺にあったこの住宅で休憩したという由緒ある住宅である。兎狩りをした行幸・行啓の祭に「御小休所」として利用された。明治天皇は御殿峠で狩をして楽しかったため滞在を一日延ばして連光寺で兎狩りをした。
春の半頃山ふかく狩しける折に鶯の鳴くをききて
春ふかし山の村にきこゆなりけふをまとらはむ鶯の声
明治の元勲たちが、何か事件や事変があると辞表を出して切り抜けようとした。「卿等は辞表を出せば済むも、朕は辞表を出されず」と明治天皇が言ったという。かつてない変革期を迎えた日本に生まれ、近代国歌の君主になる運命を受け入れ、許容すべきものと、守るべきものの裁断を常に求められ、やがて大帝としての振る舞いや思慮を身につけた。日露戦争の頃から一切の遊びごとに関心を示さす、献身的に国事に傾注した。この国を一つにまとめ上げるための精神的支柱としての役割に徹し、自我を没し、君主としての生を貫いたのである。
明治天皇は君主として生きた。昭和天皇は君主と象徴の人生を生きた。現在の天皇は象徴の役割を果たしてきた。天皇の生前退位の問題がクローズアップされているが、「天皇とは誰か」「象徴とは何か」は日本人が誰もが考えなくてはならないテーマだ。