塩竈神社---陸奥国一之宮

地名の由来を調べるとなかなか面白い。

建国記念日の11日は午前中多賀城に用があり、塩竈まで足を延ばした。昔から疑問であった「しおがま」(塩竈・塩釜、、)の漢字の長年の謎が解けた。


まず、「塩」の文字。この文字は新字で旧字がある。

旧字では、下にはお皿を示す形がある。左側の「へん」は臣という文字。右側の上は旗を意味する形、中は塩の結晶を表す形。製塩が盛んだったまちをそのまま表すような象形文字だ。

つまり「下にお皿を置いて、右に塩の結晶と塩ができたことを知らせる旗、左にはそれを臣下が守っている」と書く。「塩」は古来大切な貴重品だったことを示す、意味の深い文字である。

臣下とは、奥州平泉の藤原氏、江戸時代は伊達家の臣下のこと。


次に「竈の文字。この文字は「かまど」を意味し、鍋やかまをのせて煮炊きする設備を指す。「釜」は電気釜などの「かま」で丸い調理器具を表す。製塩は「かまど」でおこなうので、「竈」が本来の文字である。


だから正式には1941年以来「塩竈」が正しい表記として統一しているが、難しいので強制してはいない。だから目につくところには、「釜」の文字を当てることが多い。それで塩釜という文字もよくみかけることになるというわけだ。


塩竈神社は、東北鎮護・陸奥国一之宮である。一之宮とは国司が最初に訪れるかという格式の一番高い神社のことだ。以下、二ノ宮、三ノ宮と続く。ここは交通安全と家内安全などのご利益がある。境内を歩いていると、自家用車の安全祈願を行う駐車場があったのには驚いた。神様も頭を使っている。なるほど交通事故もこの神様の仕事の範囲というわけか、、、、。


塩竈マリンゲートで海を見ながら昼食。



夜は、富谷のシネコンで2度目の「ハウルの動く城」を堪能する。