先日帰省した折に福沢諭吉記念館に寄ってみた。
何度も訪問しているののだが、毎回発見がある。入り口に近い陳列台に一万円札の見本があった。一号券のA000001Bというもので、日銀から中津市に記念に贈られたものである。因みに「1A」は日銀貨幣博物館に永久展示保存、「2A」は慶應義塾大学、「3A」は大阪市にある。
紙幣に偉人をあしらうのは世界の標準であるが、日本では聖徳太子や伊藤博文など政治家が載ることがおおかった。昭和59年11月1日(1984年)の新紙幣では、福沢諭吉が1万円札、新渡戸稲造が5千円札、夏目漱石が千円札というように、初めて文化人が登場した。
この一号券の解説欄には、誰を選ぶかという3つの基準が添えてあったから人選に納得した。
・品格がある
・教科書にも頻繁に登場する
・国際的知名度がある
福沢が中津から連れて行って中央で活躍した人たちのコーナーがあった。
小幡篤次郎(1842−1905)
小幡進三郎(1846−1893)
小幡英之介(1850−1909)
浜野定四郎(1845−1909)
朝吹英二(1849−1918)
甲斐織衛(1850−1932)
山口半七(1853−1932)
奥平昌ゆき(1855−1889)
島津万次郎(1856−1898)
中上川彦次郎(1854−1901)
猪飼麻次郎(1856−1901)
福沢は随分と郷里にも貢献している。
・著書は百二十冊
・著書の発行部数は、明治26年までの34年間で749万冊。その後「福翁自伝」など出版
・「猿に見せる気で書け」(尾崎行雄への言葉)
・生涯に一万通の手紙を書いた。
・乃木希輔「迫らず、激せず、綽綽として余裕がある」
・山本権兵衛「自慢話や成功談はせずにやり損ないの話ばかりする。ここが偉い」
・「日本の大工は偉い。難しい数学や建築学を勉強もせず、
曲尺(かねじゃく)一つで美しい曲線の寺の屋根など何でも造る。これは凄い」
・徳富蘇峰「時として一個の福沢諭吉は帝国議会よりも大いなる勢力を有した」
・「文部省は竹橋に在り、文部卿は三田にあり」
・小泉信三「福沢諭吉という一個の人物が出たことで明治の日本に何を加え、またもしこの一人がいなかったなら、明治の日本に何が失われたかを先ず念頭に置くべきだ」
・「君主が与える人為的な人爵より、天がくれた優れた徳である天爵の方こそ貴い」
・雑婚のすすめ
以上は今回の訪問で手に入れた「素顔の諭吉」(福田一直)の中にあるエピソードである。この本は福沢の人物像に焦点をあてたもので、なかなか面白く読める。
この著者は自身を振り返り、「あとがき」の冒頭に「人生にはライフワークと言うものがある。これがあるかないかで一生の勢いが違う」と書いている。まったく同感である。この人はさらに平成の大合併で中津市と4町で誕生した市の名前を「福沢市」にすることまで提案している。
こういう本を入手できるのも、人物記念館ならである。