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自宅:今日のスタートレック:2本。
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移動中にオーディブルを聴く。
- 鬼平犯科帳「艶婦の毒」
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「名言との対話」9月24日。西郷隆盛。
- 「人を相手にせず天を相手とせよ、天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざる尋ぬべし」
- 西郷 隆盛(文政10年12月7日(1828年1月23日) - 明治10年(1877年)9月24日)は、日本の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。
- 西郷は五尺五寸(179cm)、体重29貫(109キロ)。「南洲」は自分が流された南の島を意味している。元服の時につけられた諱(いみな)は隆永であったが、明治政府からの辞令には隆盛と間違って書かれていた。天皇陛下の名前で書かれた辞令を改めさせるのは不敬であるとし生涯隆盛で通した。
- 西郷隆盛は、クロムウェル的な人物であり、キリスト教にもっとも近い陽明学の徒であるとし、西郷の革命であった明治維新において、新しい日本を健全な道徳的基盤の上に再構築しようとしたと内村鑑三は「代表的日本人」で紹介している。
- 「今は日本全国が雨漏りしている時ごわんあど」「恨みは私が引き受けもんそ」「事大小となく、正道を踏み至誠を推し、一事の詐謀を用うべからず」
- 「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得るられぬ也」
- 冒頭に掲げたこの至言は大学3年生で探検部のキャプテンをつとめていた頃、人間関係で苦しんだ時に発見した言葉だ。相手のせいではない、自分の努力が足りないのだ。そういう心を持って誠実に仕事をこなそう。そうだ、天を相手にしよう。そう思ったことがある。その後、就職と転職を繰り返したが、襲ってくる問題は常に人間関係だった。そういった時に、必ずこの西郷の言葉が浮かんでくるという経験を重ねてきた気がしている。天とは何か。神とはいわないが、人間界を超えた何か大きな存在、姿勢を正さざるを得ない畏るべき存在、時代の流れの土台にあるもの、自分のやっていることを常にみている良心、、、そういった何かだ。時代と空間を超えた真なるものに向かって仕事をしていれば心が軽くなる。まっすぐに、迷いなく、眼前の問題に心を込めて立ち向かおう。
- どのよう組織でどのような仕事をしようと、人間ジャングルの中で悪戦苦闘していくのが私たちの日常である。苦手な上司、理屈の多いライバル、批判的な目で見つめる部下、、、。戦うべき相手は周りの人間である。そうした人たちの反応に一喜一憂する、邪魔する人を批難する、、。だから私たちの心にはいつもさざ波が立っている。大いなる使命を意識して、自らを反省し次の行動を起こしていくということに徹すると、澄み切った青空が見えてくる。