新入生オリエンテーション。辞令交付式。

新入生のオリエンテーションが始まる。

今年は396名が入学(定員320)。冒頭の挨拶は10分。

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  教員の辞令交付式。

採用3名:初見先生。後藤先生。加藤先生。

教授昇格2名:中澤先生とバートル先生。

以下、役職任命。

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・バートル先生:出版

・松本先生:出版会

・高野課長:出版会

 

 午後:目黒高校からの転任の松井さんを交えて、金ALセンター長と3人で最初の打ち合わせ。

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「名言との対話」4月2日。越後正一「成功は窮苦の間に芽生えており、失敗は得意満面の間に宿る」

越後 正一(えちご まさかず、1901年明治34年)4月26日 - 1991年平成3年)4月2日)は滋賀県出身の実業家伊藤忠商事社長・会長。

二代目伊藤忠兵衛宅に書生として入り、八幡商業学校、神戸高等商業学校を卒業する。入社後は「繊維相場の神様」と呼ばれるほどの業績をあげた。1927年の綿糸布部長時代の大相場で大勝利し、ライバル丸紅を綿糸経営から撤退させた。1960年に59歳で社長就任。大本営陸軍参謀兼海軍参謀・瀬島龍三の入社にあたって「個々の商売のことは分からなくてもいいから、繊維主体の商社から総合商社へ脱皮する世界戦略を立ててくれ。」と依頼する。そして越後社長は「総合化と国際化」を掲げ、鉄鋼・化学などの非繊維部門を拡充して海外進出を加速。脱繊維路線の推進によって、伊藤忠商事を旧財閥系商社とも互角以上に渡り合える総合商社へ発展させ「中興の祖」と呼ばれた。

瀬島龍三と思しき主人公壱岐正を描き、1970年後半に出版された山﨑豊子『不毛地帯』は20代のビジネスマン時代に読み商社の航空機ビジネスを対象とした戦争に似た攻防に胸を躍らせたことがある。その中で、入社に当っての越後をモデルにした社長とのやりとりはよく覚えている。

「名を成すは常に困窮のときにあり、事の破るるの多くは得意のときにあり」「逆境の時こそ、先見性と機動力を試すチャンスである」。冒頭の座右の銘もそうだが、窮苦、困窮、逆境をいかに乗り切るかの構えを述べている。

越後以後の歴代社長の語録を並べてみる。戸崎誠喜「不撓不屈」。米倉功「現状維持は、すなわち、これ脱落である」。室伏稔「Nothing is impossible」。丹羽宇一郎「清く、正しく、美しく」。小林栄三「Challenje,Create,Commit」。

以下、岡藤正広、鈴木善久と続くのだが、2016年3月決算では、伊藤忠は財閥系の三菱商事三井物産を抜いてトップに立った。2017年3月には純利益3522億円の最高益をたたき出した。越後正一の「失敗は得意満面の間に宿る」という戒めに改めて心すべき時代になったということだろう。