「凡人」考。

 多摩大。

・書類整理。

・力丸さんと岩沢さん:ミュージアム構想。知研会員名簿。、、

ーーーーーーーーーーー

ジム:ストレッチ、ウオーキング30分、筋トレ、ストレッチ、バス。「鍬のポーズ」で足の先が床に届くようになってる!

-----------

深夜、翌早朝に佐野眞一『凡宰伝』(文春文庫)を読了。。

ーーーーーーーーー

「名言との対話」5月14日。小渕恵三「凡人が何かをしようとするときは、一つのことに徹しなくてはならない」

小渕 恵三(おぶち けいぞう、1937年昭和12年)6月25日 - 2000年平成12年)5月14日)は、日本政治家

群馬県出身。早稲田大学文学部英文学科卒業、早稲田大学大学院政治学研究科修了。大学院在籍中に衆議院議員選挙で初当選。以後政治家として活躍し、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、内閣官房長官自由民主党幹事長、外務大臣内閣総理大臣などを歴任した。

1989年1月7日、天皇崩御。1月17日に竹下登内閣の小渕官房長官は「平成」の二文字を発表した。「新しい年号は、平成であります」。この記者発表は若い小渕の顔と名前を一躍有名にした。1979年(昭和54年)の大平内閣時代に元号法が成立していた。平成とは、「地平らかにして天なる 内平らかにして外なる」からとった言葉である。書経には「万世のために太平を開かんと欲す」という言葉があり、その上に「地平天成」という言葉がある。「令和」で菅官房長官が果たした役割は、「平成」の小渕と同じである。

早大大学院在学中255日間かけて世界一周38ヵ国を回っている。その間、370通のラブレターを毎日書いて妻にしている。帰国直後の1963年11月、第30回衆議院議員総選挙旧群馬3区中選挙区制)から自民党公認で出馬し初当選。26歳という若さであった。同期には橋本龍太郎中川一郎田中六助伊東正義渡辺美智雄などがいる。 竹下登の側近として地歩を築き、敵を作らない性格から「人柄の小渕」として竹下派七奉行」の一人になる。「民主主義は蛇行するもんだ」という哲学を持っていた小渕は、竹下派の後継をプリンシプルをストレートに表現する小沢一郎と争い勝利する。

福田、中曽根の上州戦争で有名な選挙区で、小渕は自身を「ビルの谷間のしがないラーメン屋」「米ソ両帝国の谷間に咲くユリの花」と自嘲している。選挙事務所での食事も福田料亭、中曽根レストラン、小渕飯場。と噂された。

1998年の自民党総裁選で、田中真紀子小渕恵三梶山静六小泉純一郎の3人を評した「凡人、軍人、変人」との名言を吐いて有名になった。総理になった時、海外のメディアも、小渕氏を「冷めたピザ」と評して期待を持たなかった。目立たない政治家だったが、総理になってだんだん支持率があがるという不思議な人だった。23%しかなかった支持率は1年半後には43%に増えている珍しい総理だった。 

公明党を与党に加え「自公連立」、そして野党から分裂してできた自由党をも与党に加え、「自自公」政権をつくる。金融再生法。労働者派遣法、国家国旗法周辺事態法日米ガイドライン)、憲法調査会設置、国旗・国歌法通信傍受法住民票コード付加法国民総背番号制)などの重要法案を次々に成立させた。中曽根康弘元総理はこの勢いを「真空総理」と評した。自身は「空」であるから何でも飲み込んでいくという意味である。中国やsアジアの国々とも硬軟織り交ぜながらも外交でも多くの成果をあげた。

佐野眞一『凡宰伝』では、小渕という人間が姿を見せている。「人間は何でもやってみることが必要」だとして、口下手を克服しようと雄弁会に入る。ハワイアンバンドでウクレレ、ベンチプレス、詩吟、書道などにも手を出している。合気道は4段だ。楽天的。負け上手。裏切らない。自身も「誠実」と「一貫」を標榜している。また観光学会、早稲田群馬会などさまざまな会合に関わった。それが豊富な人脈になった。この「鈍牛」は、50年以上、毎日日記をつけている粘着質でもあった。そして人を驚かす電話攻撃の「ブッチホン」などで庶民の心をつかんでいる。

小渕と雄弁会で同期だった金石清禅という人物がこの本に出てくる。「負け上手で、恨まれない、腰が強く、しぶとい、先輩に恵まれた、裏切らない」、そして大変なキャラクターという。この人はJALの燃料部長だった人である。選挙に立って落選したが、後に当選者の繰り上げで議員になった。年齢が違い、私は顔を知っている程度だったが、社内では政治関係に強い人として知られていた。

小渕は自由党から連立離脱を通告された翌日に脳梗塞で倒れ、そのまま亡くなり、森喜朗が後を継ぐ。たまたま、BSを見ていたら、小渕の同志でライバルだった小沢一郎が野党による「オリーブの木」構想をやれば参院選は勝利すると語っていた。この政治家の現役生活も長い。

小渕恵三は「凡人」ではあったが、凡人ではなかった。評伝を書くために多くの関係者と本人にも取材をした佐野眞一は小渕を「超凡人」と結論づけている。政治家になろうとした大学時代から、運を味方につけながらあらゆることに手を出して人格改造を行ったのだ。小渕恵三の62年の人生は、凡人を自覚した凡人が、凡人を装いながらふてぶてしく凡人を越えていく物語である。 

凡宰伝 (文春文庫)

凡宰伝 (文春文庫)