「集大成と新世界、そして継続」ーー起業。再建。再生。継続。完遂。挑戦。並走。総合。展望。

30歳から続けている「毎年の計画」の立案、総括のサイクル。2022年の「今年の計画」に着手。テーマは人生100年時代を睨んだ「集大成と新世界、そして継続」としたい。正月休みの間にぼちぼちと、具体策をかんがえていくことにします。

キーワード:起業。再建。再生。継続。完遂。挑戦。並走。総合。展望。

以下、書斎に掛けている額など。

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ホームページの大幅改定を考えることにして、実態に合わせて見直しを行うことにします。こちらも「集大成と新世界」で構想を具体化していきたい。未来へ向けて大がかりなものになりそうです。

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今日のヒント。清水雅『続・みやぎざれごと』

小さな幸せをたくさん集めましょう。大きな幸せがそうたくさんあるとは思えません。たくさんの小さな幸せを身近に拾ってご覧なさい。大きな幸せになりますよ。

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娘夫婦と孫2人、息子夫婦が全員そろって、計8人の賑やかな午後となった。

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今日の川柳

 大戦を 語れぬわれらに コロナあり

 幸せは 小さな方が 安心だ

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「名言との対話」1月2日。石山賢吉「仕事と道楽とを一致させる人がいちばん幸福だ」

石山 賢吉(いしやま けんきち、1882年〈明治15年〉1月2日 - 1964年〈昭和39年〉7月23日)は日本の実業家、ジャーナリスト、政治家。

新潟県生まれ。慶応義塾に学び、野依秀市の知遇を得る。雑誌、新聞の記者を経て、1913年(大正2年)に経済雑誌『ダイヤモンド』を創刊。ダイヤモンド社の経営に携わり、社長、会長を歴任。東宝劇場や理研電線の役員、東京市会議員、衆議院議員日本雑誌協会会長、日本読書推進協会会長、東京新潟県人会会長などを歴任した。

石山賢吉『先人に学ぶ』(ダイヤモンド社)を読んだ。1965年(昭和40年)5月の刊行だ。石山はその前年の7月に82歳で没している。没後、石山の著書数冊から抜粋したもので、人物評論の趣がある。

石山賢吉は、先人の長所を学ぶのが一番の近道だと考え、先人の言行を観察し続けた。雑誌はそのための格好の場となった。

53歳で書いた短い文章が「前記」になっている。そこには人間はたいていは、他の人の長所美点を採り、自らの短所欠点を補うという修養を心がけ、長い精進によって、偉い人になる、と記されている。以下、石山の言葉を拾う。

  • 数学、文章、簿記の3つができたことで、毛色の変わった経済記者となることができたと述懐している。
  • 43歳あたりまでは、相当に働いたが、それは自分のためであり、人のために働いたことはなく、ある人との出会いで考えを改めている。
  • 政治家と違って事業家は小さなことでもこまかく目を配り、万事が行き届いていなければ成功は難しい、細を穿ち、微を積むことが成功の条件だ。石山の観察眼は鋭い。
  • 事業においては家系が連綿と続くのは少ないが、うまくいっているケースは、必ずといってよいほど番頭に経営を任せている。所有と経営の分離ができている事業は継続できるという見立てである。。
  • 有能の士を集め、上手に働かせることが最も大切である。これは事業経営の鉄則だ。
  • 基礎は自分で築く。大成させるのは時勢である。人の成功、不成功は時勢をみる目の如何にある。半分は自力、半分は運となる。つまり運とは、時勢の助けのことだという。
  • 上の下か、中の上の成績の人が第一線で成功する。自分の才智と他人の才智を用いる雅量がある。上の上の人は智恵がまわりすぎて臆病になるから、参謀にはむいている。こういう観察は面白い。

人智無極」を座右の銘としていた石山は「偉い人」という言葉をよく使う。経済雑誌の主宰者らしく、事業家、経営者としての成功者を意味しているのだが、実は人間を観ている観がある。

上野の寛永寺にある石山賢吉翁の顕彰碑文では、「早暁床を蹴ってペンを執る習慣は晩年まで続けられた。生涯に執筆した原稿の字数は優に3000万字に達する」との顕彰されている。この分量は、計算すると単行本250冊に相当する分量だ。そのうちの一部が『決算報告の見方』『会社経営と株主報告ーー米国および欧州の実例ー』『雑誌経営五十年』など30数冊の著書に結実している。

石山賢吉は、自力で経済誌『ダイヤモンド』を創刊し、同時代の多くの優れた経済人の知遇を得ながら、『東洋経済』と並ぶ『ダイヤモンド』という一流雑誌に仕上げたことが一番の業績である。一歩一歩進んでいく小林一三、人を上手に働かせる野間清治、人の話をよく聞いてくれる藤原銀次郎、誠意と熱意の人・武藤山治、知能の勇将・鮎川義介、本と人の話で日々成長した松永安左ェ門、服従と個性の調和を論じた福沢桃介などのエピソードを語っている。中でも恩人、師匠は人に金をわたす場合には細心の注意をしてそっと渡してくれる、福沢桃介であった。

冒頭の言葉は「仕事と道楽」というタイトルの小論の中にあったものだ。この二つの関係をどのように考えるか、これは職業人の永遠のテーマであろう。今まで、目覚ましい業績を残した人々は、どのようにこの大問題を解決しようとしたのでだろうか。

夏目漱石道楽である間は面白いに決まっているが、その道楽が職業と変化するとたんに今まで自分本位であったはずが、一気に他人にゆだねることが多くなる。道楽は快楽をもたらすが、同じことをしているようにみえても職業となれば苦痛を伴うことになる」。梅棹忠夫「何かにはまる人のランク。通、好き者、道楽者、極道者」。安岡生篤「学ぶという行為には「知る、好む、楽しむ、道楽、極道」というコースがある。極道は普通は悪い意味に使うが、道を極めるという意味がある」。太田黒元雄「自分の道楽のためにやったことが表彰されるようになった」。本多静六「人生の最大の幸福はその職業の道楽化にある。職業を道楽化する方法はひとつ努力(勉強)にある」。笹崎龍雄「仕事は道楽、勉強は趣味だ」。曽野綾子「仕事が道楽になったとき、その道の第一人者に近くなれる」。

以上、職業、仕事の道楽化が肝であるということは共通している。

石山賢吉は「私の趣味は仕事である。仕事は道楽であるからやめられない」というまでになっている。仕事に入れ込むことで趣味になり、やがて道楽になった人だ。その延長線上にある極道にまで至らないことも成功の条件だろうか。

 

 

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