『図で考える人は仕事ができる 実践編』の電子書籍を刊行しました。。
「実践編」ですから、ビジネスにおける会議、商談、改善から、教育や役所の仕事まで、以下に示すように36の仕事の活用例をあげています。
文章の図読。努力目標。社是・社訓・理念。会議の進め方。会議資料。会議報告。上司への報告。プレゼンテーション。お知らせ。セールス活動。営業活動。ビジネス交渉。仕事の攻め方。スケジュール管理。職場の年度目標。アイデア。企画立案。」問題把握。問題解決。改善。プロジェクト推進。新規事業。事業計画。案内板。広告。個人ホームページ。物品販売のホームページ。会社案内。英語。教材。学習発表。役所の仕事。康太うう安全。患者のための病院。
以下、アマゾンの書評から。
- 前作「図で考える人は仕事ができる」よりも、図が多く非常にわかりやすい本になっております。前作を読まなくても、こちらの方がどちらかといえば入門書的かもしれません。タイトルに「実践編」とついたこともあり、理論よりサンプルをふんだんに使用しての説明は、納得の連続です。これをサンプルにしながらであれば、自分の仕事にも何らかの形で取り入れられると感じ、実践するとともに、読み終わった後、色々な図を見るたびに、感心したり、自分で修正したりと、少々図マニアになってしまったようです。( えせんこ)
- 図解でわかるというシリーズはよくありますが、それを自分で書いてみようという気になる本です。図解の効果をわかりやすく書いていますし、元サラリーマン、現大学教授の著者ならでは例示は大変わかりやすいですし、やる気も湧いてきます。本を読んでも今いち頭に内容が残っていないなぁと感じたり、より深い精読を必要とするサラリーマンなどは身に付けておくべき技術だと感じます。敢えていうならば、後半の自分を理解する為の図解方法がありますが、少し押し付けのような感覚を持ちました。ただそれもこの本を読んだ効果で能動的に本を読みたい気持ちが高ぶったからかもしれません。(Amazon Customer)
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寺島文庫リレー塾「2022年の展望」。以下、キーワードのみ。
- 経済、政治、労働などの分野で「虚構」が続いている。
- 2.5層教育(40代以降)が必要。知の再武装。1層は若者。2層は仕事人。3層は高齢者。
- 人間とは何か。生命科学と情報科学からの挟撃。動物との違いは「感性」。AIとの違いは「意識」。宗教、美意識。
- 近著『人間と宗教』は戦後人の白地図。寺島文庫は書籍のシナジー、動画のデータベース、そしてコンテンツの集積点に。
- アベノミクスは釣り天井の経済。日本のピークは1994-1997年。4割の円安。悪い円安へのスパイラル。川上インフレ、川下デフレ。
- 10年に2度の危機。3・11は全国民負担。コロナ禍は赤字国債。政策はバラバラ。
- 日本はMMTとベーシックインカムの先行モデルか。健全な資本主義=エトス・パトス・ロゴスのダイナミズム。自分への問いかけを。歴史の進歩。不条理の解決。進歩するか。産業基盤はどうなる。分配と公平の価値基準はどこに。
- 資本主義の核分裂。産業、金融、デジタル。
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今日のヒント。中条ふみ子『乳房喪失』
かがまりて君の靴紐結びやる 卑近なかたちよ倖せといふは
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miro研。書斎の最先端化。1万3千歩。
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「名言との対話」1月13日。古田晃「岩波書店のなした仕事というものは、ひとつの大学をぶっ建つぐらいの寄与を、日本文化にしているんじゃあないか。ひとつ、どうだい」 「それはいいじゃないか」
古田 晁(ふるた あきら、1906年1月13日 - 1973年10月30日)は、日本の出版人、筑摩書房の創業者、初代社長。
長野県東筑摩郡筑摩地村(現・塩尻市)生まれ。旧制松本中学、旧制松本高校を経て東京帝大文学部卒。渡米して父の経営するアメリカの日光商会に勤務。1938年帰国し、1940年、臼井吉見、唐木順三、中村光夫を編集顧問として、故郷の名から採った筑摩書房を創業。まず最初に『中野重治随筆集』を出版する。筑摩書房のマークである青空を羽ばたく鷹のデザインは青山二郎の作。戦後の1946年に『展望』を創刊、株式会社組織として初代社長に就任。1966年には会長となった。
「損をしてもいいから、良い本を出そう」という創業の精神で古田晃は前進していった。中島敦、太宰治、宮沢賢治、柳田国男、井伏鱒二など、文学者や学者の個人全集を多く刊行している。また、現代日本文学全集、世界文学大系、現代日本思想史大系、世界古典文学全集、明治文学全集など、スケールの大きな書籍も相次いで刊行し、「全集の筑摩」と呼ばれていた。古田晃の志の高さがうかがい知れる仕事ぶりがわかる。
そして大型の企画の連発で経営がピンチになるたびに、故郷の山林を売って、会社の赤字を補填して続けた。筑摩書房は古田晃の没後のわずか5年後の1978年に経営破綻し、会社更生法の適用を受けて、当時大きな話題になったことを私も覚えている。筑摩書房は再建に努力し、1991年にようやく 債務返済が完了している。
故郷の塩尻市立図書館に「古田晃文庫」がある。古田は筑摩書房が刊行した本を故郷に送り続けていたのである。それは死後も継続され、現在では2万冊を超える本になっている。1996年には故郷の生家に塩尻市立古田晁記念館が開館した。古田と交流の深かった文学者、学者などの書簡、掛け軸絵画、原稿などが展示されている。
さて、出版とは何か。平凡社を創業した下中弥三郎は、「出版とは教育である」と喝破している。また、講談社創業者の野間清治の理念は「面白くてためになる」であった。この真意は興味を引くような顔つきの本ではあるが、実は読み進めると知識がつくということである。学校教育を補おうとしたのであり、野間にとっては出版事業は教育事業だった。
古田晃存命中に刊行された和田芳恵『筑摩書房の三十年』(筑摩選書)には、「岩波書店のなした仕事というものは、ひとつの大学をぶっ建つぐらいの寄与を、日本文化にしているんじゃあないか。ひとつ、どうだい」 「それはいいじゃないか」との旧制松本中学の同級生の臼井吉見との会話が記されている。岩波茂雄のなした壮大な出版事業を、古田らは教育事業とみなしていたことがわかる。
当時の大学は権威があった。7つの帝国大学に加え、原敬内閣の大学令で、1920年には慶應、早稲田など10大学が誕生している。「ひとつの大学」といっても、そのスケールは現在とは比較にならないほど大きかった。古田晃は、教育事業として出版を志し、その志を完遂した人である。
参考
塩尻市立図書館のホームページ。塩尻市立古田晁記念館のホームページ。