高尾山に登りました。昨年亡くなった八木哲郎さんの慰霊登山です。八木さんは、NPO法人知的生産の技術研究会の創始者で、私は30歳から今日までお世話になりました。八木さんは一時期、毎週のように高尾山に登っていたことを思い出し、急きょ登ることにしました。
高尾山は海抜600メートル足らずの山ですが、ミシュランの三つ星を得ている山です。中腹にある高尾山薬王院は、成田山新勝寺、川崎大師平間寺とともに、真言宗智山派の三大本山。開山は1200年以上前の天平年間で聖武天皇の勅願により行基が薬師如来をご本尊として開きました。600年以上前の永和年間に俊源大徳が中興の祖。
頂上は十三州大見晴台になっている。十三州とは、駿河・甲斐・信濃・越後・上野・下野・常陸・上越・下総・安房・相模・伊豆・武蔵だから、この見晴らしは大したものだ。富士山、南アルプス、北アルプス、上越山塊、上州三山、日光山塊、筑波山、房総半島、丹波山塊、天城山が見える一大パノラマです。
仏教、真言宗、智山派は、何を祈っているのか。「世界平和」「萬民豊楽」「身体健全」「寿命長久」。現在の日本、世界の課題である、「コロナ禍」への対応がみえなかったのは意外であり、残念だった。
御護摩は、「厄除」が赤字で目立っている。「災難消除」はコロナなら「コロナ退散」とすれば、買う人も多くなるはずだ。
厄年は数え年で男性は25歳、42歳、61歳、女性は19歳、33歳、37歳。体調を崩したり、災難を受けたりしやすいといわれる。 前年を前厄、後年を後厄といい、あわせて3年間は災難を避けるため厄を払う風習だ。男の42、女の37は、大厄である。
人生100年時代を迎えるのに、男性61歳、女性37歳で厄が終わるのは、どうかなあ。「新しい厄」を発明したら、お参りする人も増えるのではないだろうか。例えば、男性は古稀、喜寿、米寿、卒寿、、。女性も、還暦を加えるなどでもいい。65歳、75歳、80歳、90歳でもいい。ある年齢を乗り越えるときに、「厄払い」をするとか、、。
神社では、コロナ禍に合わせて「幸先詣」などの新機軸を打ち出して、神様の仕事を増やしている。大日如来の世界も、営業革新が必要ではないかなあ。
1万2千歩。
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今日のヒント。加藤諦三『自分を幸せにする生き方』(三笠書房 知的生き方文庫)
加藤諦三「この病のおかげで、命の大切さに気がつき、私は幸せだ。それが一病息災である」
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「名言との対話」1月14日。シュヴァイツアー「生命への畏敬」
アルベルト・シュヴァイツァー(Albert Schweitzer、1875年1月14日 - 1965年9月4日)は、アルザス人の医師、神学者、哲学者、オルガニスト、音楽学者、博学者。享年90。
シュヴァイツアーの偉さはよく知っていると思っていたが、少年少女のための「伝記 世界を変えた人々」シリーズの『シュヴァイツアー』をじっくり読んで、改めてその偉さに感銘を受けた。
21歳のとき、「30歳になったら人類のために一生をささげよう」と決心する。23歳、オルガンとピアノと哲学を学ぶ。神学で学位。24歳、哲学の博士号。25歳、神学の博士号。こういった順調な人生であるようにみえたが、周囲の人々の反対を押し切って、シュヴァイツアーは、語る人から実行する人になると決心する。
「医学の道は自分がやりたいことをかんぺきに、しかも最良の方法で実行に移すことを可能に」すると、30歳の1905年から7年間、医学の勉強に励む。1904年にはアフリカ行きを決意する。この間、看護婦の訓練をうけたヘレーネと結婚する。
医師となった38歳のシュヴァイツアーは、悪気候と伝染病の蔓延した暗黒大陸アフリカ中部の「ランバレナ」に到着する。後のガボン共和国だ。アフリカ人のために、アフリカの病院を建てた。シヴァイツアーは「ジャングルの神様」と呼ばれる。
1965年にシュヴァイツアーが90歳で亡くなるまでの50年にわたり、シュヴァイツアーと医者たちは、「もだえ苦しむことは、死よりもざんこくなものなのだ」として、150万人以上の黒人の治療し、2万回に近い手術を行っている。
1928年、ゲーテ賞を受賞し、その賞金で建てた家は「シュヴァイツアー博物館」になっている。1931年刊行の『わが生活と思想より』は50万部以上売れている。1947年、アメリカの雑誌「ライフ」は世界一偉大な人物としてとりあげた。
1953年、78歳の時ノーベル平和賞を受賞、その賞金でハンセン病患者のための隔離村を改築する。受賞スピーチでは「人間だけでなく、生命あるものすべてをもかわいがらえねばなりません」「核戦争がれば、、、、ただただ破滅あるのみであると」と述べている。1955年、ニューヨーク・タイムズでは「人類史上、彼に匹敵する業績をのこした人はほとんどいない」と紹介され、神学者、音楽家、学者、哲学者、そして伝道者と紹介された。
シュヴァイツアーは「最大の幸福とは、生命を維持し、それを励まし、その価値を十二分に生かすことにある」と語っている。人々を実際の医療で救うこと、そして勝者のいない核戦争反対を語る人でもあった。シュヴァイツアーは「生命への畏敬」を語り続けた人である。
崇高な生涯を送るシュヴァイツアーの様に生きようと決心した世界各国の青年たちは、アフリカだけでなく、他の貧しい国々へでかけ、人道主義を実践した。日本でもシュバイツアー・ブームが起こった。教科書にも載ったため、私を含め当時の小中学生はみなシュヴァイツアーを知っていた。150万人以上の患者を実際に治療しただけでなく、世界の人々に感銘を与えたシュヴァイツアーの影響力はまことに大きなものがあった。
「有名人であることはわずらわしい」「わたしは静かな土地で生き、はたらく、ただの人間だ」とも語っているが、やはり「世紀の偉人」であることは間違いがない。