午前は中山修一記念館(長岡京市)。午後は橘川幸夫トークライブ。

長岡京市の中山修一記念館を訪問。

「幻の都」とされた長岡京は、平城京奈良時代平安京平安時代に挟まれた、わずか10年の都である。「続日本紀」などで存在したことは明らかだが、どこにあったかはながくわからなかった。それをは発見し、発掘したのが中山修一だ。

生涯にわたって、小学校の教諭から出発し、中学校、高校、短大、大学とすべての學校で教鞭をとったという珍しい経歴だ。長岡京の発掘のために、定時制高校の教諭となり、昼間の時間を自由に使うなど、エピソードが多い。説明してくれたかた年配の男性も尊敬に満ちた笑顔と語り口で共感しながら聴くことができた。

中山修一は大正4年にこの地で生まれ、この地で発掘し、そしてこの家の書斎で研究し、本を書いた。7000冊の蔵書のある書庫も見せてもらった。今は長岡京市に寄付されている。長岡京市命名も中山の提唱である。「長岡京発掘の父」。戒名は「無学院精空修徳居士」。

佐原真は「ひとりの人間の情熱と行動とかがこれほど大きな成果を生み出すことがある、という事実は人に勇気を与えます」と書いている。トロイの遺跡を発掘したシュリーマンにも匹敵する人物だ。

『中山修一ものがたり』と『長岡京市の史跡を訪ねて』を購入したので、読んでから、改めてこの人のことを書きたい。


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京都に戻って、平安神宮の近くにある京セラ美術館を訪問するが、中には入らなかった。このあたりは桜の名所でもあるようで、人出が多い。

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13時からは四条の「学びのとびら」で、「橘川幸夫ライブトーク」に参加。4-5時間のイベントで、異色の面白い人たちが発言していた。AIノベリスト開発のStaくん、テレポートを開発中の平野さん、AIデジタルをわかる宇宙人材を要請しようとする天文学者、先端を歩む女性建築家、ソーシャルイノベーター、コミュニティ塾の運営者、など最先端と最前線にいる若い人たちだった。橘川さんのメッセージと、彼らとの一問一答も示唆に富む内容だった。昨日から一緒の深呼吸学部のメンバーも一緒に聴いた。

kitkoin、関係性がテーマの雑誌、トランスフォーマー、アウトサダーアート、インド株、GPU、ゼロ金利、ドルの覇権、文明と文化、核、自分の社会化、身体性、家出、参加型、時間と戯れる、知らない人と遊ぶ、、、、。

 


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終了後はヴェッセルホテルのサウナで松永さん、北野さんと汗を流す。

19時からの懇親会に少参加して、新幹線。自宅到着は23時半。

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2泊3日の京都:後藤象二郎荒俣宏。北村謹次郎、出口王仁三郎。中山修一。記念館は5つ。

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「名言との対話」4月3日。物集高量「長生きをするためには、まず第一に退屈しないことだと思うの。僕なんか毎日が忙しくて大変ですよ。本当に死んでるヒマなんかありませんよ」

物集 高量(もずめ たかかず、1879年4月3日 - 1985年10月25日)は、国文学者作家

東京都千代宇陀区生まれ。5歳ではしかにかかり骨膜炎で左足が不自由になる。土井晩翠石原純二葉亭四迷。稚児趣味。三高。東京帝大文学部。小泉八雲小山内薫。卒業後に心中事件。吉野作造。1907年、大阪朝日新聞漱石を担当。博打、女遊び。稚児遊び。1912年、博文館に入社。1915年、父の病気で事業「広文庫」「群書索引」の編纂に協力。1974年、名著普及会が復刊。1979年、100歳。「百歳は折り返し点」を刊行。以上の略歴の中に登場する人物は先生や友人たち。

物集高量は106歳まで生きたことから、長生きに関する本にはよく登場する人だ。

前坂俊之「百寿百語 生き方上手の生活法」には「神経は細やかすぎず粗すぎず、中間の神経でいけ」「恋ってのは長生きするにはいちばんいいものですよ」という言葉が採られている。

「長生きをするためには、まず第一に退屈しないことだと思うの。僕なんか毎日が忙しくて大変ですよ。本当に死んでるヒマなんかありませんよ」(日野原重明『思うままに生きる――100歳の言葉』)(PHP)。

いったい何が忙しいのか。物集は稚児遊び、博打、クイズ狂などあらゆる道楽を経験してる奇人あるが、「長生きするには恋をするのがいい。私は33人目の恋人と恋愛中」は106歳でのテレビ出演中の言葉であり皆を驚かせてる。いつまでも色気を失わなことが長寿の秘訣という。

対象はいろいろあるだろうが、「死んでるヒマなんかありませんよ」は人生100年時代に輝く名言だ。