駒場東大前の日本近代文学館の『編集者 かく戦えり』を妻と訪問するが、休館だった。
坂本一亀(坂本龍一の父)のことを知りたかったが残念。近々、リベンジをしよう。
東大教養部のキャンパスを散策。大学祭の雰囲気だが、、、。。
レストラン「ルベソンヴェール駒場」で食事。
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気を取り直して、蘆花公園の世田谷文学館の『漫画家 森薫と入江亜季』展。
若い人が多い。最近のマンガ路線は、若者を引き付けているようで混んでいる。詳細は別途。
「寺山修司」展。寺山は手紙魔だった。
寺山修司は言葉の魔術師である。もう一度、寺山の言葉を味わおう。以下2冊を購入。
亀山の「日本への回帰」はマンガへのめざめだったと書いてあった。2021年にこの文学館が「谷口ジロー展」以来、このマンガ路線が多くなったことを私も実感している。今回の企画展もその一貫だと理解した。
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朝のウオーキングと東大キャンパスの逍遥と合わせて、1.1万歩。
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「名言との対話」。11月3日。眉村卓「一日ひとつ短い話を書くことにしてん」
眉村 卓(まゆむら たく、本名:村上 卓児(むらかみ たくじ)、1934年10月20日 - 2019年11月3日)は、日本のSF作家。享年85。
大阪市出身。 大阪大学経済学部卒、サラリーマン生活の傍ら、同人誌「宇宙塵」に参加。1961年「下級アイデアマン」で第1回SFコンテスト第2席、1963年『燃える傾斜』を刊行。
1965年より作家専業となる。1979年『消滅の光輪』で泉鏡花文学賞と、優秀なSF作品に贈らえる星雲賞を受賞。1987年には『夕焼けの回転木馬』で第7回日本文芸大賞を受賞し、1996年には『引き潮のとき』で2度目となる星雲賞を受賞した。サラリーマン経験をもとに、組織と個人の葛藤を作品のテーマとしてインサイダー文学論を提言した。生涯の「ショートショート」は3000篇にのぼる。星新一の2倍である。
眉村卓の『僕と妻の1778話メモリアルセレクション52』を読了した。
1997年に妻が進行性腫瘍となる。自宅療養となり、毎日短い話を書いて読んでもらうことにした。3枚以上、エッセイではなくお話であることとした。毎日「できたん?」と妻が言い、読んでくれて、「ええんとちゃうのん」などとの会話があり、OKとなると、その原稿をポストに投函する。そういった毎日が2002年まで1778日続く。5年に近い歳月だ。その中で52話をピックアップしたのが、この本だ。
眉村は溜まっていく原稿を100篇づつ自費出版することを思いつく、タイトルは『日課・一一3枚以上』だ。「ゲラ修正」「魔除け」「絶叫ボックス」「使わなかった手帳」「椅子を占領するオバケ」神様の素」「Qさんと協会」、、などの小話が載っている。読みながら、「ああ、この人はSF作家だったな」と感じることが多くあった。エッセイではなく、お話である。この日課によるお話は18冊分の分量になっている。
眉村卓の人生を追いながら、こういうことが自分にもできるだろうか、と自分に問いかけている自分を発見している。私の場合は、毎日書いているブログが材料になる。そのブログは本日で7341日続いている。小さなテーマで、お話、エッセイ、論考などができる可能性がある。「日記」「座右の銘」「出版」「友人」「師匠」など、いくらでも冊子ができそうな気がする。