対話「ロッキング・オン」から「イコール」へーー体験と実感。雪だるまの芯。

西荻窪の「ことビル」でイベントーーロッキング・オン」から「イコール」へ。

雑誌とともに生きてきた編集者が語るAI時代の雑誌とは?

田原さんが橘川さんにインタビューするスタイルで和やかな雰囲気。20名。

  • 同人誌ーコミック(漫画)ーミニコミーパンク。70年代はロック(個人)とコミック(場)。仲間。時代の中の自分。時代を包摂。ガロとコム。漫画批評。起(60年代)承(70年代。新商品)転(80年代のバブル)結(90年代)。違う80年代を。転転。「ロッキング・オン」。全面投稿雑誌「ポンプ」。体験と実感。インターネット時代。今のテーマは自分を情報化していくこと。
  • 紙の雑誌『イコール』。一人で読むより一緒に作る。モノをつくる。「地域」ZINE。関係人口。関係性を深める。インタビュアーが聞き生成AIが編集。雪だるまの芯は人間がつくる。ゆるやかな統一感。ムーブメント。運動。立ち読み感覚の復活。どこでも書店。100冊出版。

同年生まれの橘川さんと私の対比。

  • 東京と地方。ロックと探検。サブカルと大企業。雑誌づくりと勉強会。漫画コミュニケーションと図解コミュニケーション。雑誌づくりのプロとプロジェクト主義。雑誌づくりと本の刊行。編集者と著者。地域と特集。

終了後、盟友の都築功さんと飲みながら、今後の「知研」と「アクティブ・シニア革命」についての方向感のすり合わせ。「方針」「知的生産」「特集主義」、、。

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本日は9400歩。

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「新・代表的日本人」1月18日。牧野昇。遠藤幸雄。南部陽一郎。伊藤昌寿。

  • 遠藤幸雄1937年「私はその感動で泣いたのです。私の涙は金メダルの涙ではない。自分に勝てた感動で涙をこぼしたのです」
  • 南部陽一郎1921年「四六時中考えているからね。一番いいのは寝てるときです」
  • 牧野昇1921年「世の中が困ったら”しめた”と思え。困った事態こそ、成長の機会だ」
  • 鈴木貫太郎1868年「永遠の平和、永遠の平和」
  • 森田正馬1874年「気分などはどうでもよい。気分とは無関係に、ともかくも筆をとって、原稿用紙に向かいなさい」
  • 石原莞爾1899年「私は若干の意見をもっていた。意見のない者と、意見の対立はない 」
  • 磯田光一1931年「自主責任に耐えうる「個人」が確立されたとき、われわれは「戦後」という制約を破った新しい世界に出会うであろう」
  • 福沢一郎1898年「俺あシュールレアリストなんかじゃねえよ」
  • 衣笠祥雄1947年「私は年齢による弱音は一切はかないことにした」
  • 伊藤昌寿1925年「目先の業績を上げるだけならわけはない。次の次の世代のために種を仕込むのが社長の仕事だから苦労する」

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「新・代表的日本人」1月18日。牧野昇「世の中が困ったら“しめた”と思え。困った事態こそ、成長の機会だ」
牧野 昇(まきの のぼる、1921年1月18日―2007年3月2日)は、日本の技術評論家である。享年86。1970年、三菱総合研究所の設立に参画し、1984年には会長に就任。技術予測、産業政策に関する論評で広く知られた。
1979年に刊行された書籍の文庫版、『知的生産の方法――実戦的ビジネス企画発想術』(新潮文庫)を、久しぶりに再読した。
知的生産に精通することから出世が始まる――。シンクタンクという知的活動を「メシのタネ」にしてきた牧野昇が、そのノウハウを余すところなく明らかにした一冊である。「生きがい」とは、人間にしかない前頭葉を、常にいきいきと活動させることだ。前頭葉が働き、考え、創造することで生まれる「自己完遂感」。牧野はそれを生きがいと呼んだ。
本書の中で牧野は、シンクタンクを立ち上げ、成功させた経験をもとに、具体的なノウハウを惜しみなく披露している。情報収集と整理のコツ、企画書作成から商品のセールスに至るまでのプロセス、効果的な組織づくりとマネジメントのあり方など、実務に直結する内容が続く。
例えばプレゼンテーションについては、大きな声ではっきり話せ、相手の目を見て話せ、豊富な事例を盛り込め、個性的な点を強調せよ、と説く。ユーモアを忘れず、相手を立てよ、とも言う。
一方で、同時代の知的生産者たちの言葉のエッセンスも紹介してくれる。
「一日に何か一つ新しいことを考えることが、脳にはいい」(糸川英夫
「現地に立った経験と、本から得た知識が結合して、自分の考えという子供が生まれる」(小田実
いずれも、実感のこもった言葉だ。
日本が経済的にのし上がっていった時代、シンクタンクはもてはやされた。その双璧が、野村総合研究所と、牧野が育てた三菱総合研究所である。経済の高揚期に、ビジネスマンが仕事を「知的生産」として捉え始めた時代、牧野昇はその師匠役として講演を行い、多くの著書を世に送り出した。
代表的なものだけでも、「逆常識の経営 勝利を勝ち取る逆説思考と現場思考」「二十一世紀日本はこう変わっていく」「製造業は不滅です 日本再生に秘策あり」「創造のちから 「不思議な企業」林原の発想」「アウトソーシング 巨大化した外注・委託産業」「「悲観主義」が国を亡ぼす 独創にまさる日本の「協創力」」「日本経済虚々実々 正しい認識こそが企業を生かす」「牧野昇の「五転び」人生論」「新企業繁栄論」「牧野昇の苦言・直言 経済・産業・技術の針路を読み誤るな」「牧野昇は語る 二〇年先を読みとる先見性を持て」「60年代経営者の条件」「衰亡と繁栄 企業は“革新”をいかに進めるか」「牧野昇の新エリート学 エクセレント・ビジネスマンの条件」「五大技術革命が日本を変える これが衝撃のイノベーションだ!」「知的生産の方法 私の紙とエンピツでの商品づくり」「プランニング 予測と計画の科学」「超技術産業への挑戦」「企業をいかす技術開発」「経営を支える技術戦略」「世界一に挑む日本の工業技術」などがある。
書名を眺めるだけでも、牧野昇が日本の技術と経済の旗振り役であったことが分かる。私が所属していたビジネスマン勉強会でも、牧野昇の「カバン持ち」をしていた仲間から話を聞くことが多かった。その人物もまた、知的生産の達人であり、後に大学教授として活躍している。
仕事をしていれば、トラブルは避けられない。困ったことが起こり、問題が発生し、ピンチが連続する。それが日常である。そのピンチを、牧野は歓迎せよと言う。問題は解決するためにある。組織は不断に脱皮し続けなければならない。困難な状況こそが、個人が成長し、組織が飛躍する好機なのだ。
この実戦的な叡智は、当時の産業界と産業人を力強く励ました。その延長線上に、今日の日本がある。今を生きる私たちは、目の前の問題を、自らの力で解決していかなければならない。