宮柊二記念館(新潟県魚沼市)ーー空ひびき土ひびきして吹雪する 寂しき国ぞわが生まれぐに

新潟県魚沼市宮柊二記念館を訪問。宮柊二は昭和を代表する歌人である。手が不自由になり、髭を剃ることができなくなってのばし始めた。

1912年生まれ。生涯で1万首の歌をつくった。1937年23歳で北原白秋の門をたたき、秘書として白秋を助けた。1939年、27歳で限界を感じ大手の富士製鋼に入社する。1950年38歳で東京本社へ転勤。1953年、41歳で歌誌「コスモス」を創刊。43歳、朝日歌壇選者、44歳、毎日出版文化賞、48歳、富士製鋼を退職し歌一本に絞る。49歳、読売文学賞。55歳、歌会始選者、以後7年つとめる。63歳、ちょう空賞。65歳、芸術院賞。67歳、沼田市名誉市民。69歳、紫綬褒章。71歳、芸術院会員。74歳、死去。1992年に宮柊二記念館開館。

第一の師は北原白秋。第二の師は釈ちょう空。第三の師は山本健吉

宮柊二は歌を「生の証明」と考え、そのときそのときを詠み続け、その集大成として歌集を刊行した。厳しい風土の魚沼人のひたむきさ、粘り強さが、作品にも反映されている。

「コスモス」という名前の歌誌を創刊し、会員3000人を超える大結社へと育て上げた。コスモス短歌会は「アララギ」と並ぶ結社となった。この結社から世に出た歌人小島ゆかりなど多い。

今でも毎年開かれる宮柊二記念館全国大会では1万2千首以上の歌が集まる。2019年の第24回大会では、一般910首、小中高校生のジュニア部門は11339首の応募があった。ジュニア短歌教室なども開いており、この記念館は生きている。

妻の歌人・宮英子は鉛筆をとがるまで削っていた。

空ひびき土ひびきして吹雪する 寂しき国ぞわが生まれぐに

夜もすがら空より聞こえ魚野川 瀬ごと瀬ごとの水激ち鳴る

うたひつつをどろをどりてみな等の列は環をなすやぐらかこみて

つかれとも幻視ともおもほゆるみちみちて海を移動するひかり

ここに若く睦びしわが友ら行き行きて戦火の中より戻らず

腹に引く朱のなめらかに太りたるふるさとの鮎食ひつつかなし

谷の湯の夜は更けにつつ混浴の女らすべて目を瞑りをり

ぬるき湯に長く浸りて朝朝をかく深く眠る古き湯治宿

わが訛り咎むるは無きふるさとの友と語りて今日は酔ひたり

白銀の鉄棒のごと朝朝を氷柱のめぐるうぶすなの家

夢に立つ山紫水明雪しろき八海山と清き魚野川

わが歌は田舎の出なる田舎歌素直懸命に詠ひ来しのみ

神のごと魚沼三山ならびたまふ関越自動車道をひた駈けくれば

父の齢に至らざれども良寛の示寂に近し病みつつ我は 

 

宮柊二の歌は、くりかえしが特徴だ。

宮柊二のふるさと―宮柊二ふるさとの歌写真集

宮柊二のふるさと―宮柊二ふるさとの歌写真集

 

 --------------

自分史活用推進協議会の河野初江理事長を出版社に紹介

ーーーーーーーーーーーーーー

 「名言との対話」9月6日。寺内大吉「体験を肥やしにするためには、何事をするときでも、つねにしっかり踏み込まなければだめだ」

 寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2008年9月6日)は、作家スポーツライター浄土宗僧侶

生家は浄土宗の大吉寺。大正大学宗教学部時代から文学に目覚める。卒業後、実家の住職となる。 「大吉寺内 成田有恒様」と自分宛てに届いた手紙をみて、ひっくり返して寺内大吉とした。

1957年司馬遼太郎らと同人誌「近代説話」を創刊、1960年に同誌に掲載した「はぐれ念仏」で直木賞を受賞。一方で野球ボクシング競輪など多岐に亘る評論活動を行う。ものぐさ坊主、競輪和尚と呼ばれた。競輪界では寺内大吉記念杯がある。ギャンブラー、作家として暮らしていたが、寺の住職が主な仕事となってきた45歳が転機となる。作家坊主としての意識が強くなり、仏教を題材にしたものに絞ることにした。道が決まった。肚をくくった。エネルギーを一点に集中するから道はひらけてくる。45まではためる人生、45からは捨てる人生。1983年 には『念佛ひじり三国志』で 第37回毎日出版文化賞を受賞。

1991年から2001年までは浄土宗宗務総長を務め、同時に学校法人浄土宗教育資団(現・学校法人佛教教育学園佛教大学などを運営)の理事長も務める。2001年からは増上寺第87代法主となった。

若い頃からの友人の司馬遼太郎の死に際を奥さんから聞いている。朝顔を洗いに起きてきて吐血、病院に運ばれ、腹部動脈瘤破裂。一度も病院で検査を受けなかった。また、司馬は「オレにはもう書くものがなくなった」と言ったとき、寺内のアドバイスは、歴史小説のなかに新聞記者の目と取材の方法を持ちこめということだった。司馬ら作家仲間の人生を眺め、「オレだけは仕事に追われるのはやめよう、オレは仕事を追っかけてやる」との考えを持つようになる。「仕事を追えば、仕事も楽しくなる」のだ。

「才能の有無は関係ない。しがみついた人間が花開いている」「ある道で成功した人間は、みな自分の目標をいつも持ち続け、それを追い求めた人間ばかりだ」。

エッセイ『男の道楽』では、ちょっとしたエピソードも面白い。顕微鏡を発明したレーウェンフックは倉庫番だった。サンドイッチ伯爵は食事時間を惜しんだ。生きているうちに香典をちょうだい(木村義雄名人)。麻雀は対面だけに負けないようにすれば勝てる(大山康晴名人)。、、、

日常の心掛けも参考になる。ビールはロック。大福はモチにくっついているアンコだけ。コーヒーには砂糖は入れるがまぜない。女の涙はまずウソだと思って間違いない。

ギャンブル、酒、女、仕事、そして、寺内大吉は病気にも踏み込んでいく。何ごとも踏み込みが浅ければ、果実は少ない。縁のあったものに踏み込んでいく勇気を持つ。この考えには全面的に賛成だ。

男の道場

男の道場