「人物論」を書く視点ーー「先達に学ぶ」ー保阪正康はピークまで。私は生涯全体から。

保坂正康『戦後の肖像ーーその栄光と挫折』(中央文庫)は15人を取り上げている。安岡正篤頭山満田中角栄細川護熙、藤山愛一郎。武見太郎、物集高量など、私が「名言との対話」で書いた人も多い。

保坂は評伝や人物論に定評があり私はファンだ。人物論についてどう考えているか。

  • 「はじめに」:「人物論を書くというのは、実は筆者自身のものの考え方や人を見る目の位置などが確かめられるということだ」「その人物が歴史とどうふれあったか、その人物から何を学ぶべきかという視点を貫いているつもりである」
  • 「文庫本あとがき」:「先達に学ぶ」ことを次のように示している。ピーク時。起承転結の転。クライマックス。そこまでの過程をたどる。時代背景、性格、思想、気構え。対象に向かうエネエルギーの質と量。エネルギーを持続させる一途。

戦後の肖像 その栄光と挫折 (中公文庫)

私は「名言との対話」で、短い人物論を書いている。視点は、生涯全体を展望し、この人は何をしようとして、何を成したか、その過程でどういう言葉を遺したかだ。そしてその生涯の肯定的な面だけをにらんで何を学ぶかということにしている。

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夕方:立川でオステで体調を整える。

  • 5月から始めたスイミング(特にクロール)の好影響あり。
  • 座っている時の姿勢に課題。

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名言との対話 8月29日 三浦哲郎「僕はこれから、三浦は頭にきたのではないか、そう思われるような小説が書きたい」

三浦 哲郎(みうら てつお、1931年3月16日 - 2010年8月29日)は、日本小説家。享年79。

青森県八戸市に生まれ、早稲田大学政経学部を中退して帰郷ののち、文学を志して同大学文学部に再入学した。『一五歳の周囲』で新潮同人雑誌賞、『忍ぶ川』で芥川賞。以後『拳銃と十五の短篇』『少年讃歌』『白夜を旅する人々』などで主要文学賞を重ね、1984年から2003年まで芥川賞選考委員も務めた。

私が三浦に近づく入口は、随筆集『一尾の鮎』だった。夕方六時に仕事を畳み、食事と寝酒、八時就寝。馴染みのない地方の講演も引き受け、旅先の収穫は帰路の機内で手帳に拾い書きする——そんな生活の呼吸が、短い随筆の断片にそのまま宿る。随筆も一個の作品であるという自負から、三浦は「絶えず鮎のような作品を書きたい」と念じ、「書くものすべてが生きのいい鮎のようであれ」と結ぶ。毎週、日経新聞夕刊に原稿用紙三枚を落とさずに書く苦しさと愉しさが、活きのよさとなって紙面から跳ね返ってくる。

碁は長編、将棋は短編——三浦の比喩は明快だ。碁は布石を施して最後に網を引き絞る。将棋は一手一手が勝負で、短編に似ている。だからこそ彼は、モーツァルトの言葉とされる「充分に表現するためには、決して表現しすぎないこと。しかもそれでいて完全に表現すること。ごくわずかな言葉で」を短編の自戒に据えたのだろう。

コロナ禍の2021年、神奈川近代文学館の「三浦哲郎展——星をかたりて、たれをもうらまず」を見た。港の見える丘公園の緑の奥にひっそりとある会場で、私は初めて、作品の背後にある家族の断崖に直面した。

長女・縫の自死、長男・文藏の失踪、次女・けふの夭折、次男・益男の失踪、三女・貞子の自死——生き残ったのは四女・きみ子と三男・哲郎の二人だけ。六歳から続く喪の連鎖は、運命に翻弄される名もなき人々の「生」に寄り添う視線を彼に与えた。彼は故郷・八戸を抱き、家族の歴史を書くことを生きることと重ね、五十歳を過ぎても書き続けた。『白夜を旅する人々』は三人の姉兄をモデルにした長編で大佛次郎賞を得て代表作となり、唯一生き残った姉をモデルにした『暁の鐘』(仮題)は未完のまま残った。

出会いもまた決定的だった。学生時代の同人誌『非情』に載せた掌編が機縁で、二十四歳で井伏鱒二の知遇を得る。「君、今度いいものを書いたね」。井伏の示唆で改題・改稿した『一五歳の周囲』が新潮同人雑誌賞に届く。やがて生涯の伴侶・徳子との日々を描いた自伝的作品『忍ぶ川』で芥川賞を得、映画化(熊井啓監督、栗原小巻加藤剛主演)もされた。ほかにも、天正遣欧使節を描く『少年讃歌』、天明の飢饉に迫る『おろおろ草紙』、赤毛の芸者の半生記『海の道』、産婆の聞き書き『しづ女の生涯』、女性像を掘る諸作——幅は広く、しかし眼差しはいつも対象に肉薄している。

八ヶ岳の書斎で語る映像が流れていた。「やり残した仕事をやりたい」「口幅ったいが、先生(井伏)をこえる作品を書きたい」。その言葉に、色川武大へ語ったという一言が重なる。「僕はこれから、『三浦は頭にきたのではないか』——そう思われるような小説が書きたい」。

私の「名言との対話」も、常に次の一手を問われる将棋に近い短編だ。できることなら、若鮎のような文章をめざしたいものだ。

一尾の鮎: 随筆集