あるプロジェクトで「iPad」を使うことになった。その延長線上でこの一週間はアップルペンシルを試している。
秋以降の次のプロジェクト。コミュニケーションの体系。それぞれの時代に影響を受けた人物。一日のスケジュール。作文・小論文・文章法。午前・午後・夜。生成AIと私。学びの体系。、、、、、。
「図メモ」でアイデアを書き留めるのにいい。リビングで、カフェで、電車の中で、どんどん活用していこう。
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朝:ヨガを1時間。
午後:近所の公園の「ぽんぽこ祭り」は、あまりの暑さに早々に退散。
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池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 2019年8月30日)は、日本のドイツ文学者、エッセイスト、翻訳家。享年78。
兵庫県姫路市出身。東京外語大学卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸大学、東京都立大を経て、1965年に東大文学部助教授、1990年教授。1996年、定年前に早期退官。以後、文筆、翻訳で活躍。フランツ・カフカの全作品の翻訳・伝記を完了した。俳号は「黙念」。
『ペンによる肖像画』というPRに惹かれて購入し読了。新聞や雑誌から、死去を告げられ、書いた追悼文に加筆したもので、28人との交友を回顧し、人物の肖像に仕上げた本だ。著者がみた、その人物の本質をきっちりととらえて書いた、と後書きで述べている。
- 木田元「「いやな男」のいやなところを指摘しながら、同時にその人物の大きさ、天才生をきちんと伝えるなど、なかなかできないことなのだ。他人の悪口を言うとき、おのずと語りテrの人となりとスケールが出てしまうのである」
- 森毅「森さんは死んだかもしれないが、いなくなったわけではないだろう。人は逝っても言葉は残るからだ」
- 小沢昭一「そのウンチク、その見方、考え方、さらにその語り方。すべてがそっくり「名人とは何か」の答えになっているのではないか。」
- 米原万里「とびきり自分に正直で勇気あるこの女性は、あきらかにあるべき未来の女性を先どりしていた」
- 赤瀬川源平「たえず、「素」(もと)に戻って考える人は、おのずと時流を突き破っており、こころならずも時の人になる。大いなる過激派の宿命というものだ」」
- 児玉清「おつき合いいただいたのは、ほんの数年なのに、したしくこの人の一代記に立ち会った気がするのは、どうしてだろう?」
- 高峯秀子「ほぼ四半世紀を退くことのできない緊張を強いられる場で、おそろしくまっとうに生き、あざやかに身を消した。アッパレな女がいたものである。」
『二列目の人生--隠れた異才たち』を読んだことがある。一番を選ばない生き方を追った作品だ。ひたすら無名者として日本を愛した、ハーンにならない作家・モラエス。種から胃袋までの中尾佐助。もう1人のトビウオ、橋爪四郎。
2012年に徳島の「モラエス館」を訪問したことがある。眉の形をしているところから眉山と呼ばれるようになった山の山頂にある。1854年生まれのポルトガル人。海軍の軍人にして、日本に関する著作も多い文人。神戸総領事の職を辞めて、大阪松島から落籍したおヨネの故郷である徳島に永住した。この縁で徳島とポルトガルのレイリア市は姉妹都市である。モラエス忌が毎年行われている。
橋爪四郎は「名言との対話」で取り上げた。「古橋は選手を育てて金メダルを取るために水泳連盟に入り、僕は底辺を広げるためにスイミングスクールを開くことになるんだ」と2列目の悔いなき人生を語っている。
私は池内紀の2冊の本を読んだだけだ。調べるとこの人は膨大な仕事をした人だった。
「池内紀の仕事場」全8巻。『世紀末の肖像』『ユダヤ人という存在』『カフカを読む』『自由人の暮らし方』『文学の見本帖』『架空の旅行記』『名人たちの世界』『世間をわたる姿勢』。
「詩集・小説」は12冊。「随筆・評論」は91冊。「ドイツ文学・文化論」は28冊。「翻訳」は28冊。「カフカ関連」は11冊。「児童向け」は12冊。「共著」は10冊。「座談・対談」は5冊。「翻訳(共著)」は4冊。「編著」は28冊。「アンソロジー」は10冊。合計は239冊となる。実には幅が広い。
ユーチューブで軽井沢の土曜懇話会での「カフカのおかしさ」という講演をみた。カフカは生前は無名だった。死後、友人の作家が編集した本が出ている。それを日本では新著社が二度全集にしている。それらは15人から30人が手分けして編んだものだ。池内紀はカフカがノートに書いた「手稿版」を一人で全訳した。カフカ自身が書いた原稿によっている。カフカの息づかいが聞こえる。だから「白水社」版はよくわかる。ある日突然、普通の日常が異様なものに変わっていく。『変身』が現代を象徴する小説だという意味がわかった。
池内紀という作家の全貌をつかむことはできないから、今の時点では私は人物論をやった人とみることにしたい。「その人物の本質をきっちりととらえて書いた」というように、出色の人物論の書き手だった。追悼文を書くことは、その人物の生涯全体を眺め、その人の本質を描き、後に遺すということだろう。「ペンによる肖像画」、それをやった人だと理解しよう。その対象の代表がカフカであった。
『ペンによる肖像画』