(後姿探検隊)
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「十年偉大なり 二十年畏るべし 三十年歴史なる 五十年神の如し」
雑誌『致知』10月号で鍵山秀三郎が語ったと紹介されている。出典は不明。
一つのことを10年続けるのは偉大なことだ。20年は畏敬すべきことだ。30年では歴史ができる。50年続ければ神の如き存在となる。それは天地の加護、所縁の導きがなければできない。そう説明されている。
自分はどうか。
10年:「名言との対話」(2016年から)
20年:ブログ「今日も生涯の一日なり」(2004年から)
20年:人物記念館の旅(2005年から)
40年:著作(1982年から)
40年:計画と総括のサイクル。知的生産の技術研究会。(1980年から)
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「大上は徳を立つるなり その次は功を立つるなり その次は言を立つるなり」(『左伝』)。立徳・立功・立言を三不朽という。
人間の一生の仕事の上で最大の行いは「道徳」を立てること。次は大きな「事業」を興すこと。次は正しい「言葉」を残すこと。(諸橋轍次の解説)
自分はどうか。以下のテーマに挑戦中。
「徳」道徳:「新・代表的日本人」
「功」事業:「図解コミュニケーション」
「言」言葉:著作
(後姿探検隊)
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野田一夫先生の命日。『野田一夫の大いなる晩年』を読む。
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「名言との対話」9月3日 長谷川慶太郎「好きなことだけしかやらない」
長谷川慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年11月29日―2019年9月3日)は経済評論家。享年91。
京都府生まれ。大阪大学工学部を卒業後、新聞記者や証券アナリストを経て、国際的視点に立ったユニークな分析で活躍した国際エコノミストである。終戦の翌日から軍事の勉強を始め、自衛隊幹部学校、防衛省防衛研究所一般課程の非常勤講師を30年以上務め、「現役自衛官の中には私の教え子がたくさんいる」と語っていた。こうした長年にわたる軍事知識に裏打ちされた独特の分析に定評がある。また工学部出身でもあり、最先端の技術情報にも詳しい。
政治・経済・国際問題を大胆に予測し、企業経営者や投資家にファンが多い。石油危機の到来と終息を予見するなど、的確で先見性のある分析を提示した。「長谷川慶太郎は『高橋亀吉プラス石橋湛山プラス、シャーロック・ホームズ』である」とは中谷彰宏の言である。
1981年に『世界が日本を見倣う日』で文藝春秋読者賞、1983年に同著で第3回石橋湛山賞を受賞。1990年のベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦終了後は「世界規模の国家間戦争は経済的に割に合わない」とし、各陣営に囲い込まれていた経済資源が共有されることでデフレーションが継続すると分析。1994年『「超」価格破壊の時代』で日本経済のデフレ到来をいち早く予測した。2005年前後からは「デフレは100年続き、21世紀はデフレの世紀になる」と主張している。
私は1982年、『私の書斎活用術』の取材で五反田駅から徒歩5分のマンションにある氏の自宅を訪れ、インタビューした。当時はベストセラーを連発し多忙だったが、「1時間くらいなら」と応じていただいた。リビングも兼ねた23畳のワンルームの一角の小さな机で原稿を書いており、この机から多くの著作が生まれているのかと感銘を受けたことを思い出す。
本は月に30〜40冊を速読で読む。好きなことだけを徹底して追究するという考え方で勉強を続け、自分の関心のないことは一切切り捨てる。国柄が表れる軍隊や工場を必ず見る。朝5時から物を書き、新聞の切り抜きも自分で行い、休日の日曜日はせっせとその整理に励む。
ゴルバチョフから注目され、ソ連を訪問する機会もあった。「ソ連はつぶれた。私はソ連崩壊の6年前に共産党政権がつぶれると言ったが、そう断言できた最大の理由は、何十年もモデルチェンジしない生産現場を自分の目で見て知っていたからである」と語っている。
2019年4月に届いた月刊誌『致知』5月号のインタビューでは「歩くこと」を強調。人に会い、現場を見ることを心掛けている。現場を押さえるからこそ絶対の自信がある――それが仕事の基本だという。
『長谷川慶太郎の大局を読む2017』で「既成政治や利権構造にうんざりしているアメリカ国民がトランプ氏を新大統領に押し上げるのではないか」と予想し、見事に的中させた。
『長谷川慶太郎の大局を読む』シリーズは2020年版まで続いた。そこではトランプ大統領の誕生、イギリスのEU離脱、ソビエト連邦の崩壊、そして日本はデフレから脱却できないことを20年以上前に喝破している。デフレ論については当時は奇異に思えたが、今となってはその予測どおりに推移していることに驚かされる。
死後の2020年3月に刊行された遺著『中国は民主化する』では、「中国共産党は崩壊し、中国は七つに分かれて民主化する」と記した。
好きなことしかやらない、好きなことならどんどんあたまに入る。そして自分の関心のないことはいっさい斬り捨てる。頭や耳に残らないような話は大した話ではない。1982年にインタビューしたときにそういわれて、「それでいいのか!」と感激したことを思い出しだ。長谷川慶太郎は、好きなこと・得意なことに生涯を通じてトコトン励んだ人である。